2016再開祭 | 茉莉花・拾柒

 

 

ウンスにしては珍しいと言って良い。
チェ・ヨンの胸に隙間なく寄り添い凭れたまま、ウンスは夜空を見上げて黙り込み、動かなくなった。
耳許を抜ける風の音。ウンスの小さな息の音。
静か過ぎて眠り込んだかとヨンが背後からそっと覗きこめば、鳶色の瞳は確りと開いている。

長い沈黙に根負けしたヨンの方が、不安になって声を掛ける。
「・・・イムジャ」
その時を待っていたかのようにウンスは夜の中で突然叫んだ。
「ああ、やだやだ!!」

急な大声に驚いた鳥達が、庭の木影で激しい羽搏きの音を立てる。
ウンスの叫び声と相まって、夜の闇が俄に騒がしさに包まれた。
「一体何を」
膝上で突然騒ぎ出したウンスを宥めるように、チェ・ヨンが両腕で抱き締め直す。
しかし口に出せずにいたヨンの分の苛立ちまで背負うように、ウンスは改まった厳しい声で言った。
「今日の帰り、チュホンを皇宮に残したのはどうして?」
「それは」

唯でさえ自分もウンスも気鬱を溜めた今、今正直に告白するのが得策か。
判じかねたヨンが口籠る。
返事が返って来ない事など気にしないのか、ウンスは続けて怒りの籠る声のまま吐き捨てる。

「階級社会が始まったのは朝鮮時代だと思ってたけど、違うのね」
「ちょうせん」
「ああ良いの、こっちの話。そうよね。この時代にも貴族階級は存在するんだしね」
チェ・ヨンの家系こそが高麗指折りの文官貴族の名家という史実は、今のウンスの頭からすっぽり抜け落ちていたらしい。
その嫡男がこんな様子では、忘れてしまっても当然なのか。

じっと夜空を見上げ、ウンスは考えていた。
辛抱を重ね、無言の抗議を貫くヨンの態度がもどかしくてたまらない。
威張れば良いのだと思う。それだけの地位も、王の後ろ盾も、実力も人望もある。
そうしないから好きなのに、我慢しているチェ・ヨンを見ると、威張ってしまえば良いのにと。

21世紀に歴史を紐解けばあんな玉子男の事など、国史の教科書に一行も出ていない。
歴史書や高麗史まで読み漁ればひょっとして載っているかもしれないが。
自分達一般市民、歴史に興味のない人間でも知っているチェ・ヨン将軍の知名度とは、雲泥の差がある。

なのに高麗での現実はこうだ。
チェ・ヨンよりもたまたま今ランクが高いというだけで、愛する男はその理不尽にじっと耐えている。
玉子男にだけではない、その娘のワガママにさえ。
そんなバカバカしい身分制度そのものに、ウンスは腹が立って仕方がない。

きっとチュホンを皇宮に置いて来たのも、朝のあの騒ぎが原因だ。
ふだんなら夜明け前から騒いだりなど絶対にしない賢いチュホンが朝早くあんなに鳴くなんて、昨日預かった子馬が理由に違いない。

どうしてあの常識外れの勝手な一家の為に、こっちだけこんなに我慢しなくちゃいけないの?そんなのおかしいじゃない?
言えば困らせるくらいは分かるから口にはしない。けれど本心では、言いたくてたまらない。
それでも百歩譲って自分はまだいいと、ウンスは思い直す。
天人だという理由で、王も王妃も周囲の皆も自分に完璧な高麗のマナーを求めないでいてくれる。
けれど人一倍そういう事にうるさいチェ・ヨンは、そうはいかない。
命がけで守る王の為、それを名分化するしきたりと我慢辛抱ばかり。

もしも王も敬姫の家族も構わないと言ったところで、ヨンの考え方が一朝一夕に変えられるとも思えない。
自分が誘ったパーティのせいでチェ・ヨンが嫌な目に遭った事にも、申し訳なさが募る。
自分も知らないうちにストレスが溜まっているかもと、ウンスは冷静に考えようとする。
けれどそうしようと努力しても、あの生意気な子の一言を思い出す。

思い出してしまえば腹が立つのも仕方ない。
結婚前に一緒に住むのがふしだら?ふん、笑わせるんじゃないわよ。
ウンスは心の中で毒づいた。
こう見えてあの少女の母親より年上かもしれない。だけど正真正銘、心身ともに清らか。
何しろ愛する相手が婚儀まではと、頑なに指一本触れないんだから。
ふしだらと後ろ指を指される事など、神に誓って何一つしていない。

自分の方が心配になるほどだ。本当は女性として、それほど愛されていないんじゃないかと。
本当は愛する男を政治的にも立場的にも、もっとサポートできる家柄の女性が山ほどいる事も知っている。
チェ・ヨンさえその気になれば、そんな女性が何人でも手に入る事も判っている。
李氏朝鮮時代にもお妾制度が事実上まかり通っていたということは、この時代なら特に問題はないだろう。

ウンスは考えていた。
きっと高麗だってその気になれば、そして相応の財力があれば。
ましてチェ・ヨンに備わった代々の家柄、皇宮での立派な地位。
おまけにとても魅力的な外見と、周囲が無条件に従う圧倒的なカリスマ性まである。

だからあの少女の言葉が引っかかる。気に障ると言ってもいい。
年齢が違い過ぎる?そんなことは理由にならない。
21世紀だって年齢差のある結婚など、腐るほど見て来たウンスだった。
社会的、経済的に成功した男ほど、年齢の離れたうんと若い妻を手に入れたがった。
俗にトロフィー・ワイフというやつだ。
自分は男としてそういう若い女性を手に入れられると、何かや誰かに証明でもするように。
そして物を知らない若い女性を、言葉は悪いが自分の色に染めて調教するように溺愛したものだ。

「ああ、やだやだ!!」

考えるのも億劫で、いや実際には腹が立つから考えたくない。
そんな気持ちが怒鳴り声になった。完全なるストレス反応だ。

チュホンの事、貴族階級の事。
そんな話を問い質していても、ウンスの頭の中に懸案事項は一点。
自分は愛する男が我慢する姿を見るのが嫌なのだ。
ましてあんな偉そうな礼儀知らずの親子のせいで。
未来を知っているから、つい言いたくなるのだ。
この人は歴史に名を残す高麗時代の英雄だ、あんたら風情が偉そうな態度を取るんじゃないと。

そして、本当に認めたくはないけれど。
ないけれど、どこかで少しだけ淋しいと思っているのかもしれない。
チェ・ヨンが毎晩ただ抱き締めるだけで、満足した笑顔を浮かべすやすやと眠ってしまう事が。

いっくら寝太郎だからって、女性としてちょっと自信喪失するわ。

ウンスは心の中で呟いて、背後から自分を抱き締めるチェ・ヨンを振り返った。

 

 

 

 

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