2016 再開祭 | 木香薔薇・拾柒

 

 

「そろそろ陽が暮れます。もし宜しければ、夕餉をご一緒に」
ソンヨプはそう言って、この人だけを目で示した。
その声にこの人の従者が顔色を変えて首を振る。
「駄目です医仙。大護軍が」
「うん、分かった。分かったから、トクマン君も落ち着いて」

勢い込む従者に、この人は困ったように頷いた。そして改めて俺を見ると
「ごめんなさい。私も、薬を煎じたら帰らないと」
それでもそんな声の後に、
「でも、明日また様子を診に来ますから」
と、こちらを元気づけるように言って下さる。

「いえ、御無理はなさらないで下さい。ここまでして頂いただけで本当に充分なので」
「無理なんて、そんなことないですよ!」
俺の声にこの人は首を振った。
「ケガさせたのは私だし、きちんと責任を」
「責任なんて」

責任があるから会いに来る。責任があるから診察をして下さる。
先刻から言われてるのは充分知っているけど、それが俺の心を重くする。

会ったばかりで、即座に好感を持って頂きたい訳じゃない。
けれど責任があるから来ると繰り返されると、それ以外の俺にはまるで興味がないと言われている気がする。
「あ、あの・・・」

仕方がない、この人の呼び名をそれ以外知らない。
「あの、医仙」
呼び掛けるとこの人は明るく、はい、と声を返す。

「これ以上お引き留めするのも申し訳ありません。夕餉のご予定もおありでしょうし」
「ああ、大丈夫ですよ。まずはキム先生が薬を届けるのを待ちたいんです」
「それでしたら、家の者が頂戴します。煎じ方なら家令が知っておりますから。空腹でいらっしゃるでしょう」

重ねて言う俺に、この人は素直に両手でご自分の腹を押さえた。
「それは・・・まあ・・・」
「でしたら是非、若様とご一緒に夕餉を」

我が意を得たりとばかりにこの方の言質を取ったソンヨプが水を向けるのを、俺は厳しい声で諫める。
「無理を言うな、ソンヨプ。それより肩を貸してくれ、お客様を門までお見送りする」
「え、いいです!ほんとに、キム先生が戻るまで」

慌てて上がったこの人の高い声に、丁寧にお断りの首を振る。
「もしも明日また診て頂けるなら・・・お待ちしております。今日はこれにて、どうぞお帰り下さい。ソンヨプ」
その声にソンヨプは腰掛けた椅子の脇へ寄り、立ち上がる俺の腕をがっちりと支えた。
動いた足許から、湿布薬の薄荷の匂いが鼻先まで漂ってくる。

これで楽になれば良いが。そう思いながら俺はゆっくり、居間のお二人を先導するように扉を出る。
明日また会えるようにと、機会を引き延ばしたのだろうか。
それとも義理でここに残ると言われたのが寂しかったのか。

判らないままで居間を出て、廊下を渡って、庭を進む。
「テギョンさん、ほんとにだいじょうぶだから、もう戻って」

そんな声が後から付いて来る春の庭、長かった一日の陽はようやく西に傾いて、空を燃えるような金に染めていた。

 

*****

 

先刻門前払いを告げた門番は息を切らした私に深々と頭を下げて、済まなさの滲む声で告げた。
「・・・医仙様と従者殿は、一足先にお帰りになりました」

調合した薬草の包を持って駆け付けた邸の門の前。
辿り着いた頃には陽はすっかり西へ傾き、辺りには柔らかな春闇が迫っていた。
門横にはその薄闇になお映える、淡い白の木香薔薇が揺れている。

「お帰りに」
「はい。御医殿のお戻りをお待ちになるとおっしゃったのですが。
坊ちゃまがこれ以上お待ち頂くのは却ってご迷惑になり、申し訳ないからと」

ここで押し問答をしても始まらない。
まさかこの門番も、中にまだウンス殿がいらっしゃるのに嘘を吐くような真似はすまい。
「・・・判りました。では」

運んで来た薬草の包を門番へと差し出して
「どなたか煎じ方はご存知でしょうか。もし御存知なければ、私が今日の分を煎じて」
「ああ、いえ。家令が知っております」
「ではまた明日伺います。もしも何か変わった事があれば、皇宮の典医寺までお知らせを」
「は、はい。ありがとうございます」

門番は差し出した包をしっかりと両の手で受け取ると、もう一度深く頭を下げ直した。

 

*****

 

「侍医!」
大路で呼ばれて足を止め、帰途を急ぐ夕闇の人波の中に姿を探す。
この人波の騒めきの中に聞き分けられるという事は、あの声にだけは耳が慣れて来たのだろう。

何しろ頭抜けて丈高い。周囲の人波から優に頭一つ近く大きいから、姿を探す苦労はない。
「チェ・ヨン殿」

その姿に雑踏をかき分けて足早に寄る。
先刻の私どころではなく息を切らし、顔を強張らせたチェ・ヨン殿が掴み掛らんばかりに私の鼻先まで顔を寄せる。
「あの方は」
「お帰りになったそうです、迂達赤のお伴とご一緒に」
「・・・帰った、のか」

チェ・ヨン殿は肩で大きく息をしつつ、切れた息を整えている。
「ええ。私は明日、もう一度改めて診察に伺うつもりですが」
「お前、チュンソクに・・・迂達赤隊長に、何を言った」
「先刻のあの捻挫の若い男が、ウンス殿に懸想したようだと」

包み隠さずずばりと伝えると、チェ・ヨン殿は顔をしかめる。
「侍医」
「はい、チェ・ヨン殿」

周囲の雑踏に紛れ込むように踵を返すチェ・ヨン殿の横、私たちは皇宮の方へと歩き始める。
「俺は構わん。一言多いのにも慣れた」
「それは何よりです」
「しかしその一言で、チュンソクもテマンも大騒ぎだ」

チェ・ヨン殿は何を思い出したか、うんざりした息を吐く。
成程、私の一言で騒ぎになってしまった事は想像がつく。
「しかし隠し立てするわけにもいきません。事実ですから」

あの脈診。そしてチェ・ヨン殿ご本人は、それすらせずにお気付きだったではないか。
それに輪を掛けて、あの若者の態度は判りやすい事この上ない。
あれで気付くなという方が無理だ。脈診などするまでもなく。

「だからこそチェ・ヨン殿は、私に治療を代われとおっしゃったのだと思っていました。
これ以上あの若者が先走らぬように。ウンス殿と接点を持たぬように」

本当に、生来とはいえ一言多い。
自覚はあるが、しかし私からすればチェ・ヨン殿の口が重過ぎる。
あの鈍感な天の医官様に何も言わずにいれば、話は本来あるべき道筋から外れていく一方だ。

誰かが止めねば今以上の騒ぎになる事は目に見えている。
そんな下らぬ事でお二人の間に無用な亀裂が入るのも、それが元で典医寺の診察に支障が生じるのも、私としては歓迎し難い。

「治療は私が代わりましょう。ですからチェ・ヨン殿は何が何でもウンス殿をお止め下さい。
あの迂達赤の方では、ウンス殿に釘を刺すわけにはいかぬでしょう。何しろ命より大切な大護軍の奥方様なのですから、当然遠慮はある」

薬草を取りに戻る直前、あの邸の居間で見ている時もそうだ。
ウンス殿の気儘な振舞いに、どうにかそれを押し留めようとしてはいるものの、何処まで口を出して良いかと悩む風情だった。
だからこそ私が出て事の次第をお伝えし、チェ・ヨン殿を邸へと向かわせるために、迂達赤隊長の不興までかったというのに。

「チェ・ヨン殿」
「・・・何だ」
「正直にお伝えしてみてはどうですか。あの若者がウンス殿に懸想したから、もう邸へ伺わぬようにと。
治療は私が代わって引き受けたからと」

それが一番の早道。問題を一遍に解決する正攻法だ。私の声に
「・・・やってはみる」
チェ・ヨン殿は最後に低く呟くと、ご自身のお邸の前に続く脇道へ大路を逸れて入って行った。

 

 

 

 

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