2016再開祭 | 茉莉花・拾肆

 

 

横のチュンソクの溜息。
その顔を確かめたチェ・ヨンの視界隅、思い悩む横顔が映る。
儀賓大監への面会にチュンソクを巻き込んだのは失敗だったのかもしれないと、初めてヨンは思い当たる。
この律義な男は自分の頼みを断り切れず、しかし将来の舅の儀賓大監の顔を潰す事も出来ず、悩んでいるのだろうと。

繰り言や愚痴は言いたくないが、暢気であるのはこの揉め事の元凶である判院事ただ一人。
今も早朝からこんな会話が交わされている事も露知らず、あの生意気な娘の顔色を窺っているに違いない。

チュンソクを悩ませるのも、儀賓大監に対しこの一件で負い目を負わせるのも、双方ヨンの本意ではない。
ならばどうする。
判院事に対してだけでなく儀賓大監に対しても、借りでなく貸しを作るなら。
「儀賓大監」
ヨンの声に儀賓もチュンソクも、その顔を改めて確かめる。

「某の馬を、迂達赤厩舎に」
「・・・そうしてくれるか」
「は」
「助かる、恩に着る大護軍」

その一言が欲しかった。決して顔には出さぬようチェ・ヨンは肚で頷いた。
たっぷり恩に着て頂きたい。
儀賓の所為ではないとはいえ、あのように軽佻浮薄な弟を持った兄として。
朝陽の差し込む広大な屋敷。
向かい合う三人は三様の思惑を胸に、挟んだ卓上の茶を取り上げ、乾く咽喉を潤した。

 

*****

 

「チュンソク!」
招かれた応接の間を出た途端、扉外に侍女のハナと共に控えた敬姫が小走りに寄ると、指を伸ばす。
そして見慣れない麒麟鎧の正装の、何処を掴めば良いか判らないのか。
指は迷った末に、チュンソクの節の太い指先を遠慮がちに掴んだ。
「どうしたのだ。急に、こんな朝から大護軍までご一緒に。お役目で何かあったのか」

チェ・ヨンの前で指を握られ、振り払うわけにもいかぬチュンソクは鼻先を赤らめた。
天衣無縫な医仙の行いの陰で大護軍はこんな思いをしているのかと、改めて身に詰まされる。
ハナはそんな敬姫を窘めるよう、控えめで堅実な姉らしく
「敬姫さま」
と呼びながら敬姫の指先を解き、自分の手で逃がさないよう握り直す。
「なりません」
「だってハナ!」

敬姫は厭々と首を振りつつ、目の前のチュンソクを不安そうに見る。
恨み言を言うまいと思いつつもチュンソクの胸にまた一つ、口に出せない罵倒の声が積もる。

あの判院事の所為で。

チェ・ヨンの前で手を握られたのも、不安げな声で呼ばれるのも、心配を掛けるのもそこに起因している気がして唇を噛む。
敬姫に慰めも言い訳もしないチュンソクを見兼ねたように、仕方なくチェ・ヨンが顎を下げる。

「昨日の仔馬の件で」
ヨンの声に敬姫が目を大きく瞠る。
「大護軍に何か、ご迷惑をお掛けしたのか」
「・・・いえ」

既に片の付いた話だ。蒸し返すつもりはない。
それでは儀賓も敬姫に対し、示しがつかぬだろう。
そう判じてのヨンの一言に、敬姫は眦を決した顔で首を振った。
「もう黙ってはおれん」
「姫さま」
「キョンヒ様」
「出掛ける。ハナ、支度をしておくれ」

それだけ残すと敬姫は迷いなく、自身の殿へと廊下を戻り始める。
「キョンヒ様」
チュンソクが慌てたようにその背を追いかけ、どうにか押し留めようと前に回る。
敬姫は頬を紅潮させ、いつもの嬉し気な目ではなく怒り心頭の様子でチュンソクを見上げた。

何を急に。意味が判らずその上目遣いに見据えられ、チュンソクが幾度も瞬きを繰り返す。
「お勤め中にチュンソクを、こんな朝から幾度も走らせて!」
いつもの駄々を捏ねる時の拗ねて甘える口調ではない。小さく低い声で敬姫が鋭く言った。

「大切なお勤めまで邪魔をして、絶対に許せない」
「キョンヒ様、もうそれは」
「もうそれは何」
「済んだ話です」
「・・・そうなのか」

これで落着だろうと、最後の一押しにチュンソクが深く頷いて見せる。
「では、琴珠を叱って来るだけにする」
「・・・は?」
何故そうなるのだ。意外な敬姫の一言に素頓狂な返答の声を上げると
「あの子が我儘を言うからこうなった。馬が欲しいならまず厩を建ててもらうべきだったのだ。
後先考えぬのは父も娘も同じ。そんな事を繰り返せば、今にチュンソクや大護軍だけでなく、あらゆる方々にご迷惑をお掛けするようになる」

敬姫の言い分は至極尤もだ。尤もだがまだ判っていないとチュンソクが首を振る。
「キョンヒ様がおっしゃってはなりません」
「私でなくば伝えられない」
「だからです」

娘姫を諭すのに此処ではまずい、父上の儀賓に声が届いては良くない。
そう考えてチュンソクは黙って敬姫の手を引くと、敬姫の殿の前まで連れて行く。
「良いですか、キョンヒ様」
素直に従いて来た敬姫に振り返ると、チュンソクは膝を折るように目の高さを合わせた。

「キョンヒ様が出張れば、御父上は判院事殿に対し面目を失われます。
直訴に伺った俺も大護軍も、儀賓大監に合わせる顔がありません。
あちらの娘御も、キョンヒ様の御言葉では聞くしかない。
正しいか間違いか判らぬまま、ただ目上に言われたから唯々諾々と従うようでは、解決になりません」
「だって、チュンソクが」
「俺を想ってなら、ここは収めて下さいませんか」
「・・・判った。そうする」

敬姫は言うと、丸い唇を噛んで頷いた。
収まったと安堵の息を吐き、やっとチュンソクは周囲の景色が見えるようになる。
何も考えず敬姫の手を握ってここまで歩いた事。
目線を合わせた今もまだ、柔らかな手を握っている事。
そんな二人の姿をハナが優しい目で、そしてチェ・ヨンが腕を組み苦笑いで見ている事。

全てあの糞爺、もとい判院事の所為だ。
敬姫を不安にさせたのも、初めてあんな怒りの籠る目をさせたのも。
チェ・ヨンの前で手を握るような、穴があったら入りたい恥ずべき醜態を晒したのも。
判院事と、その我儘な娘が元凶なのだ。
八つ当たり半分で胸に吐き捨て、チュンソクは小さな手を出来る限りそっと離した。

 

 

 

 

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