2016再開祭 | 蔥蘭・結篇【真実】(終)

 

 

「だからあたしは一度だって、自分の口から名乗っちゃいませんってば!」
監営の獄に近づくにつれ洩れて来る不穏な叫び声に足を止めると、この方が横の俺を見上げた。
「あれって、さっきの偽者じゃない?」
「ええ」

この方は興味津々と書かれた顔で、獄の方へと小走りに駆け出す。
先刻からどうしても解せぬ事が一つ。
走り出した小さな背を守りつつ、心の中で首を傾げる。

あの女が店先で金を払わず飾り物を盗った時も、そして病人を診もせず追い払ったと聞いた時にも。
この方は一言も罵り声を上げなかった。いつもなら、まず其処で怒り出しそうなものだが。
怒ったのはあの偽の小男が俺の名を騙った時だけだ。

笠を脱いだ理由は判ったが、この方が偽の女に怒らぬ理由。
それが知りたいと思いつつ俺達は連れ立って獄舎へと急ぐ。

獄舎に近付くと入口の左右に立つ門衛の官軍が、交差していた槍を下し俺とこの方に向けて一礼した。
「大護軍」
「罪人を開京へ移す。郡守から許しは得た」
「伺っております。今牢車を用意しております」
「ああ」
「罪人に御用ですか」
「・・・聞きたい事がある。男と、女と」
「畏まりました。どうぞ!」

開かれた門を通って獄へと近づく。
簡素な造りの木の牢柵の中、偽の女が大声で叫び散らしていた。

「あたしは一度だって医仙だなんて名乗ってません!チェ・ヨンを騙った男と一緒に居て、周りが誤解しただけなんですよ!
勝手に誤解されただけなんです。あたしには関係ないでしょう!」
牢の柵を握り締めて揺らしながら叫ぶ女の金切り声を聞きながらこの方は牢へと近寄り、柵の此方側から中を眺めた。
「ちょっと」

叫んでいた女は突然現れたこの方を、刺々しい目つきで睨む。
「あんた、誰よ!」
「ああ、私がその、あなたが名乗ってないって言ってる医仙です」

ヒドが言った通りだ。
先刻見た折にも腹は立ったが、こうして獄越しにでも改めて並ぶと、余りの差に気分が悪い。
美醜云々は言いたくないが、立ち居振舞いからして違い過ぎる。

「あなたにお礼を言おうと思って」
「・・・何言ってんのよあんた。おかしいんじゃないの。そんな風に言いくるめようったって、そうはいかないよ!」

この方は口汚い罵り言葉になど全く動じずに、獄の柵越しに平然と笑みを浮かべた。
「あなたが患者を診ないでくれて、本当に良かった。素人判断っていうのが一番怖いのよ。
患者を殺すような誤診をしてたらって心配だったけど。本当にお金を巻き上げただけで済んで良かった。
命は返せないけど、お金ならいくらでも返せるものね」

そう言うと初めてその冷たい瞳が、獄中の女を真直ぐに睨む。
「患者さんはね、遠くからでもほんのわずかな望みを頼りに、必死で医者を訪ねて来るの。
あなたがお金だけ取った貴族の名簿は手に入ってるから、出来る限り訪ねてみる。
追い返しちゃった患者さんは、探せるだけ探してみるわ。
あなたが医仙を名乗ろうが名乗るまいが、そんなことはどうでもいい。
患者の期待を裏切った罰はしっかりと受けてもらうから覚悟して。それと」

この方は獄中の女の帯を顎で示した。
「さっき盗んだそのノリゲ、さっさと外しなさい。他に盗んだ物があるんなら、今のうちに大人しく渡した方が身の為よ」

 

*****

 

「ほんの出来心だったんですよ!」

先刻の女の金切り声とは違う、哀れな声が獄の奥から響く。
女よりも罪が重いと判じられたか、小男は奥の獄舎の内で見張りに立つ官軍の兵に訴えかけていた。

「大護軍様を騙ったのは誓って最初の一度です。噂が噂を呼んで、俺が迂達赤大護軍だって事になっちまったんですよ!
貴族がやって来るようになって、金を取ろうって言いだしたのはあの女です。俺は関係ないですよ、本当ですって!!」
 

見張りの官軍が見え透いた言い訳に腹を立てたよう、床に立てた槍を握り直すと思い切り男の牢柵に叩きつけた。
獄舎中に響く鈍い音に、牢内の男は体を丸める。
「お前が大護軍を名乗ったのが一度だろうが百度だろうが同罪だ!高麗の兵の中でそれを許す者は一人もおらん!判ったら黙って」
「・・・其処までだ」

獄舎に踏み込んだ俺の声に、見張りの兵が怒声の途中で頭を下げた。
その怒りも判る。しかし今大切なのは、この男が盗んだ物をどう民に返すかだろう。
猛りのままに怒鳴り散らして怯えさせても、何の解決にもならん。

晩秋の陽が獄舎の柵を巡らせた高窓から射している。
それでも牢の奥まで光は届かず、舎内は冷え冷えとしたものだ。
その中をゆっくり進み、柵越しに牢の中の男と顔を合わせる。
「言ったろう」
「え、な、何を」
「チェ・ヨンに狼藉を働いて、只で済むとは思わぬと」
「あ、あの大護軍様、あれはですね、その」
「御託は良い」

本物よりもずっと弁の立ちそうな小男は、俺の制止に黙り込む。
「答えろ」
「何を、でしょうか」
「まず麦俵」
「あ、あの、あれはその」
「今もあるか」
「・・・いえ、売っ払いましたから、もう・・・」
「その金は」
「・・・使っちまいましたから、もう・・・」
「他に強奪した物は」
「強奪っていうのは聞こえが悪いですよ旦那、いえ大護軍様。俺が顔を見せたら、向こうが勝手に」
「強請っておらんか」
「そ、そりゃ、欲しいとは・・・言ったかもしれませんが・・・」

男の声に呆れたように、横のこの方が怒りに満ちた息を吐く。
「あんたね、いい加減にしなさい!!寝言は寝て言いなさいよ!!さもないと」
「おい」

この方の声の途中で男から眸を外し、見張りの兵に声を掛ける。
「はい、大護軍!」
「何処から何を強奪したか、盗んで持って行ったか、判る限り全て吐かせろ。忘れているようなら呼べ」

もう一度牢の中を睨みつけ、口許に笑みを浮かべて見せる。
「俺が思い出させる。吐き終えるまで移送は待つ」
「畏まりました、大護軍!」

深々と頭を下げ直した官軍の声を背に、この方を連れ獄舎を出る。
先刻の女に投げた声で、その肚裡が全て読めた。
つまりこの方はこの後数日、鎮州に居座るお積りなのだ。
女に怒らずにいたのは、女の罪の分まで御自身が担う気だから。
御自身の医術の範疇で担うからと、何もおっしゃらなかったのか。

あの紙に書き付けられた貴族を一軒一軒訪ね、病状を確かめ、薬湯を出し、おまけに門前払いを喰らった民まで調べ上げる。
御自身の顔すら知らず偽者を頼った者らに、そこまで真心を尽くすお積りなのだ。
何処まで人が良いのかと呆れた息を吐く俺に、鳶色の瞳が当たる。
「ヨンア」
「はい」
「私たちって」

この方は後生楽にうふふと笑いながら、俺の顔を下から見上げた。
「思ったより有名人なのね。結局あなたも私も顔バレしちゃった」
「顔ばれ」
「顔だけでどこの誰だか分かることよ。なんだかここまで来たら、もうセレブ気分を味わうしかないわねー」

この方が患者を調べ上げその者らを診る間、俺に何が出来るか。
医の道には暗い。この方の手助けをするには限りがある。
「監営内の、信用出来る町医者を探します」
「そうしてくれる?」
「イムジャが此処を出た後も、民を診られるような者を」
「ありがとう!・・・あ」

嬉しそうに笑んだ後、ふと気付いたようにこの方は声を止めた。
何だと眸で問い掛ける俺に、訝し気に眇めた視線が戻る。
「あの、ね、ヨンア。話変わるけど」
「・・・はい」
「チャンイさんのこと、なんだけど」
「はい」

問う気も隙もなかったが、あの女の本当の名は何だろう。
今になって思い出した俺を見る瞳の色がいつもとは違う。
「もしかして、私に隠れて連絡取ってた?」
「・・・は?」
「そりゃ確かに最初にチャンイさんに会った時には、私の態度も良くなかったわ。
あなたにも冷たかったかもしれない。だけど、もう私たち結婚したし、別に今なら本当のこと言ってくれても」
「イムジャ・・・」

もしや俺が不貞を働いているとでもおっしゃりたいのか。
あの正体も本名も判らぬ、手裏房の女を相手に。
「確かにチャンイさんは美人だし、今回だって助けてくれたわ。それは分かってる。
ヒドさんとも知り合いみたいだし。でもいくらお兄さんの知り合いでもあるからって、妻に隠れて他の女性と連絡取り合うのは・・・」
「本気ですか」
「え?」
「俺が隠し事をしていると」
「だってあまりにタイミングが良すぎない?あの偽者が現れた町に偶然チャンイさんとヒドさんがいたわけ?」
「それは」

ヒドは手裏房の用向きがあったのかも知れん。
あの女が此処に居合わせた委細までは知らん。
「確かめます」
「ううん、もういい!いいから気にしないで」
あなたは慌てて首を振り、走り出そうとした俺の袖口を握り締めて止めた。
「実際にこうやって確かめてみないと、何も分かんないのよね」
「はい」

確かにそうだとその声に頷く。
俺の名、この方の名だけが独り歩きをしたのが、此度の騒動の発端だ。
あなたは改めて背後の獄舎を振り返り、決心したように呟いた。
「私は責任持つわ、自分の名前に。守りたいわ、あなたの名前を」
「・・・はい」
「気持ちを伝える。知らない人が知らないまま、勝手な思い込みで誤解したりしないように」
「はい」
「だからね、ヨンア」
「はい」
「他の女の人とこっそり連絡取らないで。他の女の人に、あなたの大切な名前を教えたりしないでね?」
「する訳が」
「しないって判ってるし、信じてるわ。でもね、ユ・ウンスは時々こんな風にすっごく嫉妬深くなっちゃう。
ちゃんと覚えておいてね、チェ・ヨンさん」

必ず聞き出してやる。いや、あの女から直接この方に伝えさせる。
あの女の本名は何か。何故此処に居たのか。この方を裏切り、俺と一度でも隠れて繋ぎを取った事があるか。
その名に懸け誓わせてやる。今までもこれからも、決してこの方に恥じる繋がりなどないと。

秋の終わりの監営の庭、足許に咲く今年最後の蔥蘭。
怒りの余り白い花弁を踏まぬよう気を付けながら、無言で小さな掌を握ると強く引き、足早に歩き出す。

「ちょ、ちょっとヨンア、どこ行くの?」
「本物と、真実を捜しに」

あの白と紫の絹房の号牌どころの重さではない。
チェ・ヨンの名に懸けて、この誤解を解いてやる。
そうでなければ悔しさと腹立たしさで夜も眠れん。

あの時持たなかった号牌は今、この懐にある。
高麗中の手裏房を総動員しようと女を捕まえ、必ずその口から真実を吐かせてみせる。
心に決め俺は空いたもう片方の手を懐へと突込んで、手裏房の号牌を引き摺りだした。

 

 

【 2016 再開祭 | 蔥蘭 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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