2016 再開祭 | 桃李成蹊・28

 

 

「どうしても一度は、クリニックに行く必要があるわ」

社長の声に頷いた10月の初めの夜。
近付いてる台風のせいか、窓の外を吹く強い風が唸ってる。

「あと2日でみんなが帰って来る。その直後には入れ替われるようにしておきたいの。
でもギプスを外す為には、一回はレントゲンを撮る必要があるから。うまく台風前に帰れるといいけど」

社長も吹き荒れる風の音に、心配そうに暗い窓の外を見る。

「帰国したらそのまま、ヨンさんと病院?」
「それが一番良いでしょうね。今あんたがソウルでパパラッチにでも撮られたら、辻褄合わせるのが大変になる一方よ」
「・・・うん」

近づく台風。唸る風。真っ暗な窓の外、街灯の中の黒い木の影。
枝を斜めに倒しながら、根元から折れそうなほど大きく揺れている。

「秋夕も祝えなかった」
「ブログにコメントはアップしたでしょ」
「地震もあったし」
「まあね」
「今年は雨が多いね」
「そうね。ここまで海外ロケがほとんどだったから、スケジュールにはあまり影響は出てないけど」
「雨は嫌だな」
「何よ」

俺の不満な声に、社長が吹き出した。
「子供みたいなこと言って。雨ならパジョンが食べられるわよ」
「ダイエット中だよ」
「ああ、そうね。でもそれ以上絞る必要あるの?」
「動画を見る限り、今くらいでちょうどだと思う。ヨンさんのサイズで衣装合わせたみたいだから」
「確かにどんどん痩せてったものね」

社長は心配そうに言うと、窓の外を見ていた目を俺に戻した。
「向こうでも暇さえあればジムで鍛えてるってチーフマネージャーが言ってたわ。あんなに削げちゃって、倒れないか心配だって」
「多分それがあの人の見つけた、天才詐欺師の姿なんだろうな」
「見つけた?」
「うん」

一人二役。天才詐欺師に両班の息子。
なぜそんな風に生きたのか。何が理由でそうなったのか。
きっとあの人なりに考えた結果のジム通いなんだろう。

ロケ現場の撮影動画が送られるたび、ヨンさんの体が引き締まって行くのが分かった。
ゆったりした衣装で体のラインを隠しても、多分それを脱げばあの大きな傷のある腹。
そこは6パックどころか腸腰筋のラインまで出てるに違いない。

あの人なりのストレスや苛立ちもあるんだろう。だけどもう少しだけ許してほしい。
だってあなたにはウンスさんがいるから。
いつだってすぐ近くで、あなたの事を見つめていてくれるんだから。
守って、怒って、笑って、あなたのためにだけそこにいてくれるから。

 

*****

 

「台風が接近中だって。ちょうど帰国日あたりにぶつかりそうだ。飛行機が飛んでくれるといいけど」

のっくの音に覗き穴から扉外を確かめる。
部屋前に立つ見慣れた姿。その顔だけが大きく穴外に見える。

開けばちーふまねーじゃーが言いながら、扉の隙間から無遠慮な大股で旅籠の部屋内へ入って来た。

不思議なものだ。見知らぬ空の下でひと月近くも共に過ごせば、否応なく為人が判る。
この男が本当に奴を大切に思い、役目を超え主従を超え、奴を守りたいと思っているのも。
だからこそ今身代わりの俺を守り、面倒から遠ざけようとする事も。

この方も同じなのだろう。
最初に怒り心頭で叫んだ事など無かったように大きく笑むと、男に向けてひらひらと手を振る。
「大丈夫ですよ。この人はきっと運強いから、帰るまでは晴れてるはず。ね?ヨンア」
「そうかあ。頼りにしてますよ」

男は調子を合わせるように大声で言うと、佇む俺の肩をその掌で大きく叩く。
確かめたくとも、昼夜の別なく分厚い布で覆われた窓外の様子は判らない。
まして撮影で表に出る事も無かった今日は、朝から一度も空を見ておらん。
「さあな」

肩を竦め素気なく首を振る。
いくら俺とて空模様までは自由にならん。天に任せるしかなかろう。
頼りない返事につまらなそうに口を尖らせ、この方は向かいに腰を下ろした男の顔を見る。

「もう帰国までオフですよね?」
「はい。自由に街に・・・って言ってあげたいんだけど、すいません」
男は本当に申し訳なさげにこの方へと頭を下げる。
「大丈夫です。パパラッチがいるかもしれないし、そうじゃなくても面倒なこともあるでしょ?」

身代わりを引き受けた一月と半、この方と出歩いた事など一度とて無かった。
鉄の鳥に押し込められて空を飛び、あれ程美しい島、これ程美しい町に居ながら。
ただ狭い部屋で、こうして顔を突き合わせているしかない。

俺はそれで十分だ。撮影の度に彼方此方へと引き摺り回された。
海の見える崖、町の真中、石畳の広い道の上に立ち、かめらで追い掛けられて来た。

ただ買い物の好きなこの方を、表に出して差し上げたかった。
出歩き好きなこの方と人目も気にせず歩ければ、どれ程喜ばせられるか。
眸に付く店に足を止め、見た事も無い飯を差し向かいで喰い。
足が棒になるまでただ歩ければ、どれ程の笑顔が見られるか。
それが出来なかった、ただそれだけが心残りだ。

これがあの男の選んだ道。愛する女人の笑顔を独占する代わりに、周囲の者を笑顔にする道。
俺は選ばん。その道は決して。この方の笑みと引換に出来るものなど、この世に何一つ無い。

それが王と兵との差。
己の道を自由に走れる虎と、天地を統べる龍との差。

辛ければ捨てるしかない。捨てぬなら守るしかない。

如何する、王座に就く唯一無二のお前は。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    あ~ もうすぐ
    お役御免。
    そして 帰れるかもしれない。
    確かに キレイな外国の空の下
    二人ならんで ういんどうしょっぴんぐもできず
    残念だけど… 仕方ないね~
    あ~無事 飛行機飛びますように!

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    ふたりの気持ちが
    心の揺れが見える…。( 〃▽〃)
    読んでいて楽しい。
    大丈夫…?(*・・)σ
    心配して(・_・;
    魅せられ…( 〃▽〃)
    綴って下さって…感~謝っ(⌒‐⌒)
    ありがとうございます。( 〃▽〃)

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