2016 再開祭 | 婆娑羅・30

 

 

「大護軍、申し訳ありません。振り向きざまに襲われました」
「気にするな。傷は」
俺の声に確りと首を振り、ウンソプというその兵は唇を噛み締めた。

「怪我のうちにも入りません。殴られて気を失っただけです」
「意識ははっきりしてるのね。良かった。座って?すぐに診ましょう。そしたらお風呂に入って。
入ってる間は皮膚を擦ったり揉んだりしないでね。ただ浸かるだけ。いい?」

この方は先刻カイの為に開いた包の中から別の治療道具を取り出し、俺に向かって頷いた。
「ヨンア、他に怪我人がいないか確かめてくれる?いればすぐ報告して下さいって」
そう言いながら腰掛けさせたウンソプの傷を素早く確かめ始める。
此処から先はこの方の本領だ。己には己の成すべき事がある。

部屋中に幾つか散らばって揺れる蝋燭や油灯をありったけ卓の上へ集める。
明るんだ手許に初めて傷から目を上げたあなたが笑う。
「ありがとう、ヨンア」

その声に首を振り、廊下へ集う奴らに声を掛ける。
「各隊それぞれ隊員を確かめろ。怪我人がいればすぐ連れて来い」
「はい、大護軍!」

軍議部屋の前に山のように集い、心配気に部屋内を確かめていた廊下の兵らが頷いて散る。
最後に国境隊長と副隊長が俺とこの方に深く一礼し、部屋扉を抜けて去って行く。

この方の瞳はもうそれすら追ってはいない。
連れて来られたウンソプの額の熱を計り、顔色を診て脈を取り、出血した傷を素早く確かめて行く。
「うん。ちょっと腫れてるけど、耳鼻から出血も髄液漏もなし。眼周鬱血、バトルサインもなしね。
7日間くらいは念のため様子を見てね。鼻血が出たりしなかった?」
「いえ、鼻からは全く。頭の横を殴られただけです」
「頭痛や吐き気は?」
「ありません」
「じゃあまず、これを飲んで落ちついてね?」

手渡した茶碗の水をウンソプが飲み下すのを、この方の視線が注意深く追っている。
「飲みにくかったりしない?」
「いえ、大丈夫です。ご馳走さまでした」
「そうなのねー」

その明るい声と笑顔につられて微笑んで頭を下げたウンソプの手から、この方は頷いて茶碗を受け取る。
次に包から小さな小瓶を出して蓋を開け、そのまま奴の手へ渡す。
「ちょーっとだけ、かいで見て?」

奴はその声に素直に鼻を近づけ、途端に顔を顰める。
「あははは、臭い?嗅覚も異常なしね」
次に急に声を潜めると、奴の耳元で囁くように
「これくらいの声でもちゃんと聞こえる?」

艶さえ漂うような吐息の囁き声。
奴は瞬く間に耳まで朱くした後で、俺を見て表情を改めると慌てて大きく頷いた。
「うん、難聴もなし。じゃあ最後にゆっくり立ってみて?」
素直に腰を上げた奴に向けて
「ふらついたりしない?じゃあ、両腕を左右に肩の高さまで上げて」

見本を示すよう細い両腕を左右に広げ、肩の高さに上げる。
「そのまま、片足だけ上げられる?」
ウンソプは素直に従い片膝を曲げ足を上げて見せる。

「うん、平衡感覚もOKね。じゃあお風呂に入って!皮膚変・・・えーっと、凍傷の心配もなさそうだから。
ただお風呂に入って手足が痒くなったら、水とお湯と、交互に浸けても良いわ。
湯冷めして風邪をひかないように気を付けてね。7日間無理は禁物です。
いつもと違うな、とか、頭痛や吐き気、顔が引き攣れたり舌がもつれたら、必ずすぐに言ってね」

ウンソプは素直に頷くと、この方と俺とに平等に深く頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした、大護軍。ありがとうございました、医仙様」
そしてチュンソクから鎧を受け取ると腕に抱え、血に汚れた下衣姿のまま急ぎ足で部屋を出て行く。

その背を見送ったあなたは足音が聞こえぬ程離れた処で、ようやく俺を振り返ると頷いた。
「凍傷と頭骨骨折が心配だったけど、今のところはどっちの症状もないわ。
神経麻痺は遅れて出て来る場合があるけど、今のまま安静にしてれば可能性はとっても低いと思う。
国境隊長さんたちに、彼は7日間安静にするように伝えてあげて?」
「はい」

頷き返した俺に、ようやくほっと息をついたこの方が笑う。
「ヨンアがまた強くなったの?それとも刺客が少なかった?何だかあっという間に勝った気がする」

それは周囲に奴らが居たから。そしてあなたが慣れて来たのだと口にしかけて背筋が冷える。
そうだ。一々口にして説いて挙げ連ねずとも、呼んだ瞬間にこの方は素早く床に伏せた。

此処に共に居るという事は、否応なくそんな日々に慣れて行く事。
こうして無理をさせる。そして慣れて行かざるを得ぬ状況に置く。
誰よりも争いや流血を厭うこの方を、その只中にたびたび曝して。
それでもこうして刺客を放たれ、誰かがこの方を傷つけようとするなら躊躇は無い。
どれ程憎まれ蔑まれたとしても、俺の取るべき道は一つだけだ。

そしてこの方も判って下さっている。
以前なら今頃は、あの手傷を負った刺客二人を治療させろと騒ぎになっていたろう。
俺はこの方の為、出来る限り無要な命を奪わぬように。
この方は俺の為、気には懸っても治療と言い出さずに。
少しずつ互いを理解し歩み寄り、共に歩んで行く道を選ぶと信じている。

天人二人の墨付きである以上、俺は将軍になるまで生きるのだろう。
そうなるにはこれから先も数千、いや数万の敵を屈させるのだろう。
理想は孫子だ。百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。
数万の敵の命を奪う必要はない。要は戦意を喪失させ、降伏させればそれで良い。
出鼻を挫く事。将を落とす事。千の兵も束ねるのは一の将だ。一万でも十の将を落とせばそれで済む。
そして逆に俺が堕ちれば、高麗の千の兵が堕ちる。

「・・・ヨンア、大丈夫?」
声に弾かれるように顔を上げれば、優しい瞳が俺を見上げている。
俺が堕ちればこの戦女神も同時に堕ちる。それは絶対に赦さない。

背負うもの、護りたい者の重さと愛おしさに頷きながら考える。
何故俺は今、こうして奴らの目前で無様に立ち尽くしているのか。
今すぐに、二人きりになれる処へあなたを攫いたい。
攫ってただ一言だけ、あの天界の言の葉を伝えたい。

長い雪夜の闇と寒さの中、唯一の温かさを身動き出来ぬよう強く抱き竦め、二度と失わぬと誓いたい。

 

 

 

 

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