2016再開祭 | 茉莉花・卅肆

 

 

「大護軍。こいつは」
迂達赤の厩舎番は、チェ・ヨンが牽いて来た栗毛の仔馬をじっと見る。
ヨンが頷きながら仔馬と共に厩舎へ踏み込むと、横に着いた厩舎番が仔馬を撫で、馬体を確かめる。
「良さそうな馬ですね」
「鍛えてくれ。軍馬として物になるかは判らんが」
「それは勿論構いませんが」

奥へと牽かれつつ、仔馬は耳を立て辺りを黒い目で見回すと、一頭の馬の前で足を止めた。
そこにいるのは愛馬チュホン。
仔馬の姿か、それとも匂いで判るのか。
チュホンは馬がそんな表情をするのかと驚くほど露骨に目を怒らせ、正面から見えなくなる程耳を寝かせる。
仔馬は以前とは違う。それ以上近寄らず耳を立てたまま距離を取り、柵向こうの怒るチュホンをじっと見た。

睨み合いがどれ程の間続いたか。
やがてチュホンは興味を失くしたように黒く濡れた目を外すと、主チェ・ヨンにだけ向けて耳を立てた。
ヨンが大きな掌で鼻面を撫でると懐かしさに喜ぶように、もっとと催促するように鼻面を押し当てて来る。

お前と一緒の馬房には絶対に入れん。
しかしあの心無い馬房で、野垂れ死にを待たせるわけにいかなかった。
「許せよ」
詫び声に愛馬は鼻面のチェ・ヨンの指を、ごく軽く愛咬した。

 

*****

 

「大護軍」
久々に康安殿で向き合う王は、チェ・ヨンの申出前から既に人払いの上で、大卓の玉座に腰掛けている。
「は」
「迂達赤に仔馬が増えたそうだな」
「いずれ軍馬にと」
「ふむ・・・」

視線を下げたままのチェ・ヨンの斜向かい、王は愉し気に言った。
「そなたと言い、仔馬と言い、迂達赤には文官名家出身が多いのう」
「王様」

護衛の為に玉座横を守るチュンソクが、王の声に深く頷く。
馬鹿が暢気に頷きやがって。誰の想い人の家族を守ったと思ってる。
チェ・ヨンは肚裡で吐き捨てた。

「ああ」
王はふと思い出したように、仏頂面のチェ・ヨンへ頷いて見せる。
「判院事の態度が変わったぞ」
「・・・は」
「前から丁寧な男ではあったが、近頃は放って置けば今にも床にひれ伏しそうな勢いだ」
「何より」

王は恐らく何かしら勘づいている。その上で黙して語らずにいる。
そして判院事もそれに気付いている。それで良いとヨンは思う。

判院事は王を守り心より忠誠を誓い、喧しい重臣を押さえつけ、儀賓大監の弟として権勢を振るえば良い。
それでこそ、敢えて面倒な取引に出た甲斐もあると。

「何があったのだろうな」
「存じませぬ」
王の問いにヨンは首を振る。それ以上は語らない。
仔馬を手に入れた経緯も、あの日判院事の宅で見聞きした事も。

朗報はあれから数日後、ウンスが嬉しそうに言った事だ。
あの人の熱傷、だいぶ良くなったわ。もう大丈夫だと思う。
それだけで良い。他に大切な事などない。

「まあ良い。これ以上は訊かぬ」
王はすこぶる上機嫌で口許を下げ、笑みを浮かべる。
「そなたの力でまた一人、心強い重臣が出来た。今はまだ力量の程は判らぬがな」
「は」
公主の夫、儀賓大監。自分の前で蟄居まで口にした以上、相当の覚悟はあるだろう。
そして弟、判院事。今でも思う。罵倒し倒し、詫びさせるべきだったのかも知れぬ。
全て白日の下に晒し、事の重大さを骨の髄まで叩き込み、王の決断を待つべきだったのか。

そうせずに許したのは、チュンソクの将来が安泰だと判ったからだ。
蟄居を申し出た儀賓の声に嘘はないと、あの日信じる事が出来たからだった。

 

*****

 

「旦那様」
部屋扉の外から掛かる声。桟越しの庭の光の中に男の影が一つ映る。
「入れ」

儀賓の声に開いた扉から深く頭を下げたまま、判院事宅へと遣わせた男が一通の文を差し出した。
「判院事様よりお預かりしました。馬はお言いつけ通り、庭先に繋いで水を飲ませております」

あの野放図で勝手な仔馬が、儀賓の庭の貴重な木を食んだりすれば大事になる。
チェ・ヨンは席を立ち頭を下げた。
「お聞き入れ有り難く存じます。大監」
「大護軍」
立ち上がったヨンに一拍遅れ、チュンソクも席から立ちあがる。

「大護軍。馬は自分が引き受けます」
「関わるな」
「しかし、それでは大護軍が」
「関われば大監に累が及ぶ」

それしか考えられなかった。口を閉ざす名分はそれしかなかった。
今回の一件はなきものとする、口止め代わりに仔馬を頂戴したい。
たとえ賄賂を要求していると思われても仕方ない。
しかし仔馬もあの豪華でみすぼらしい厩で育つより、人質として迂達赤の厩で育つ方がましだろう。

「大護軍、本当に良いのか」
「某の馬として、迂達赤厩舎で育てます」
これ程の身内の恥だ。
儀賓からも判院事からも、事の次第が外部に漏れるとは思えない。
ましてそれぞれの大切な娘が絡んでいる以上。
後は仔馬を貰い受けた名目で、自分さえ黙っていれば丸く収まる。

「本当に一頭で良いのかと確かめて来た。御所望ならもっと良い馬を、二十頭でも三十頭でも、五十頭でも用意すると」
何処までも人の心の判らぬ男だ。
最後に呆れたように、そして何処か淋し気に儀賓が呟くと、判院事の文を懐へしまい込んだ。
そんなに寄越してみろ。迂達赤厩舎は聞き分けのない若駒で溢れ返る事になる。
チェ・ヨンはうんざりと息を吐いた。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    チュホン、今までごめんね。
    そして、我儘な娘の我儘な子馬のために、今までの厩舎を離れてくれてありがとう。
    もう、ヨンの屋敷の厩舎に帰れるね。
    チュホンは賢いから、状況を理解してくれるね。
    それにしても玉子男…、相変わらずダメ男。

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