2016 再開祭 | 釣月耕雲・肆

 

 

「馬鹿か」

昏い目で地面の男を眺めたチェ・ヨンの、呆れ声が響く。

「何だと」
「殺すなら、端から助けん」
ヨンの声に男は地面で首を回し、自分より余程酷い有様で周囲に倒れる五つの男達の体を順に見渡す。

「まあな」
「で、お前は誰だ」
「・・・ヨニョル」
「勇烈」

その名に恥じぬ喧嘩だったらしいと、チェ・ヨンは倒れた男達を見た。
テマンと共に通りかかった時、五人は既にそれぞれ手傷を負っていた。
五対一で此処まで暴れられるなら、それなりに腕は立つのだろう。

しかし五人相手で相当無理したらしき男は、起き上がる力も無いか。
地にだらりと寝たままで血の混じった黒い唾を暗い地面へと吐いた。
「ああ、いてえ」
「歯は」

ヨニョルと名乗った男は、切れた唇の中を舌でのろりと確かめる。
「折れてない」
「骨は」
ヨンの声に、ヨニョルは寝そべったままどうにか四肢を動かして見せる。
「折れてない。しこたま殴られただけだ」
どうにか肘で地を支え体を起こすヨニョルに、ヨンの視線に気付いたテマンが素早く腕を貸す。

「家は何処だ」
テマンに起こされたヨニョルは声を返そうとし、痛みに低く呻いた。

 

*****

 

「ここだよ」
思ったよりも近隣の一件の小さな店の前。
ヨニョルは苦しそうな息を切らして足を止めた。

「お前の店か」
「いや、親父の」
「先刻の男らの目星は」
「ここら一帯の、元締めの手下」
「何故お前を襲う。金でも借りたか」
「違う」

ヨニョルが脂汗を浮かべた顔で首を振り、切れた唇で言った。
「元締めの娘が、俺に惚れたんだってさ」
「・・・何だそれは」
「婿になれってよ」
「色男は面倒だな」
「断ったら、親父の店を立ち退かせるって」
「断ったのか」
「そりゃそうだ。元締めの娘に俺の代わりはいても、店を継ぐのは俺しかいない」

チェ・ヨンの声に呆れたように、ヨニョルの腫れ塞がった目が当たる。
殴られた顔の彼方此方が赤黒く斑になっても、眸を瞠る程の男ぶりだ。
これではさぞ目立つだろう。確かに女が放って置く筈が無い。
既に半ば呆れたヨンは、諭すようにヨニョルに言った。
「娘と夫婦になって、店を継ぐのはどうだ」
「商人から血も涙も出ないほど搾り取るような、元締めの娘とか!」

ヨニョルは烈しく吐き捨てると傷に触れたか、体を折り苦し気に乾いた咳をする。
「そんなに悪どい奴か」
「そうでなきゃ俺だって考えるさ」
「・・・ああ」

男も女も美しさが過ぎるのは身の毒になるらしい。
かと言って今はこれ以上此処で出来る事は無いと判じ、ヨンはヨニョルへ告げた。
「傷が癒えるまで隠れろ」
「隠れたところでどうなるでもない。店に出ればまた同じだ。何も変わらない」

反抗的なヨニョルの声に薄笑みを浮かべて首を振り
「変わるかもな」
ヨンは低くそれだけ言った。
「て、隊長」
察したテマンが小さく呼ぶ声を制し、ヨンは踵を返す。

暇な自分の眸の前で喧嘩を始めた奴らが悪い。
晩秋の月下、ヨンが空を見上げる。
寝るか、呑むか、喧嘩に首を突っ込むか、鍛錬するか。
それしか刻の遣り過ごし方を知らぬ男の眸の前で、喧嘩を始めた奴らが悪い。

いつ果てるとも知れぬ長い長い刻。
どうにか潰せるなら、何でも良い。
刺し違えるも善し、纏めるも善し。
刺し違えれば死ねるだろうし、うまく纏めれば市が落ち着くだろう。
何方に転んでも損は無い。

空を見上げる黒い眸は闇だけを映して昏い。
昇る月など嘘のように、光の欠片も見当たらない。

 

*****

 

「ヨニョル」

秋の夜の立ち回りから十日余り。
店先で立ち働くヨニョルは、背後から掛かる低い声に振り向いた。

日毎に増す寒さの中、白い息を吐き佇む背の高い男。
脇にまるで小さな影のように添う、一回り小柄な男。

あの時は腫れ上がった目が碌に開かぬ月の下、影を見ただけだった。
それでもヨニョルは妙な確信に、頷きとも挨拶ともつかぬ深さで、二つの姿に頭を下げる。

あの時自分を助けたのは、この二つの姿だ。
月影の中で聞こえた低い声だけは忘れない。
「あんたたち、何をしたんだ」

ヨニョルの問いに背の高い方が咽喉で笑う。
「さあな」
「元締めの処で豪く強い奴らが大暴れしたって、市で噂になってる」
「そうか」
「あんたたちじゃないのか」
「知らん」
「じゃあ何で元締めが、わざわざ婚儀の約束は無しにしろって、店まで言いに来たんだよ」
「何故だろうな」
「頭まで下げてたんだぞ。あんたたちしか考えられない」
「しつこい」

背の高い男はヨニョルの傷を確かめるように、整った顔を覗き込む。
「癒えたな」

その声に頷いて、ヨニョルは親指の腹で自分の頬を擦ってみせた。
「ああ、すっかり」
「何より」

踵を返す背の高い男に添う、小さい影までが背を向けた時。
ヨニョルは二つの背中に声を掛ける。

「名前だけでも、教えてくれよ」

 

 

 

 

3 件のコメント

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    やっぱり 優しいから(もともと)
    鬼だのなんだの 言われるけど
    ウンスに やられちゃってるから
    もともとの 優しさが出ちゃったか?
    面倒見がいいのね~
    ヨンったら

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    ヨンが、まだ、自分の気持ちと葛藤している頃ですよね。その頃、このような市井のもめごとにも手を差しのべたのですね。高麗の民のためですから、目はつぶれません。
    相変わらずクールなヨンだけれど、相変わらず…格好いいヨンですねぇ…。
    惚れ直しますよ!…いつも惚れているけれど。

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    さらんさん
    いつもながら、さらんさんの想像力に感服します!
    新しい登場人物(夜叉のような美しさ!モデルはだれかな~~⁉︎)に期待感が溢れます!
    あーなるかな?こーなるかな?とワクワクして、お話の更新をお待ちしてま~~す(^_^)

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