2016再開祭 | 茉莉花・拾伍

 

 

「ヨンさん」
儀賓大監への約束通り、帰りにはチュホンを牽かずに厩舎へ残す。
敢えて尋ねず、幾度も皇宮を振り返るウンスと並び、帰途を宅まで戻り着く。
その門で今日も困り顔のコムが二人を迎えた。
「・・・此度は何だ」
「ヨンさんに御客人が」
「客」

その声にウンスと顔を見合わせる。思い当たる者は全くない。
コムはヨンの声に頷くと、巨体を縮めるように門内を覗き込んで声を顰めた。
「もう少しすればお帰りだと思うので・・・少しどこかで暇潰しを」

客人が帰るまでの暇潰し。
コムの言う事が腑に落ちず、確かめようと口を開きかけた途端。
門内から敷石を踏む軽そうな音が近づいて来たと思ったら、件の客人らしき甲高い声が叫んだ。
「やっとお帰りですか、チェ・ヨン様!!」

同時に門影から飛び出して来た小さな影は、チェ・ヨンだけを真直ぐ見上げ笑って言った。
「いつもこんなに遅いのですか。お父上は出かけても昼には帰って来るのに、迂達赤は大変なお役目なのですね」

昨日会ったばかりの小生意気な娘。
その後ろにはどうやら判院事の家人らしき付添いが、困った様子でクムジュをじっと眺めている。
眺めているくらいなら疾く連れ帰れ。空が紅くなり始める刻だ。
他家の家人に一喝をくれる訳にもいかぬチェ・ヨンに、言わぬ事ではないとコムは息を吐いた。

「仔馬を見に来ました」
無言でウンスと並んで歩く逆横、クムジュはヨンを見上げて言った。
どうやらウンスの存在には、徹底的に無視を決め込むつもりらしい。
有力者の娘らしからぬ礼を失する態度が、癇に障って仕方がない。

「・・・ご覧になりましたか」
「はい。昼から見ていたけれど、元気そうでした。とっても可愛い」
「ならば充分でしょう」

あの仔馬のお陰で、愛馬を暫し手放す羽目にまで陥った。
仔馬といい突然の訪問といい、何から何まで腹に据えかねるとヨンは足を止め、その顔を一瞥すらせず顎を小さく下げた。
「お引き取り下さい」

頭を下げるのは目の前の餓鬼にではない。その背後、判院事への最低限の礼儀。
その礼儀はまた王と縁続きの銀主公主に向け、そして儀賓大監へと向けたもの。
何より補佐役であり、板挟みになっているチュンソクへと向けたものであった。

馬を返すと判院事の屋敷に捻じ込まないのも、王へ直訴をしないのも同じ理由。
今の王には判院事の力が、言ってしまえば判院事の力ですらなく、それを目当てに群がる派閥の重臣の力が必要だからだ。
かと言って、この小娘まで自由に屋敷に出入りさせる謂れはない。
此処は自分とウンスだけの、そして自分達が出入りを許した者だけが立ち入れる域だ。
王から賜った居所であり、そこに主の許しない自由な出入りは禁物。
大護軍である自分には敵が多い故に、出入りに危険が付き纏うという名分もある。

チェ・ヨンの冷淡な態度に、甘やかされるしか知らなかったクムジュの顔が泣き出しそうに歪む。
勝手に泣けば良い。チェ・ヨンは甚く冷静にそう思う。
泣き顔に心が揺れるのは、大切な者が相手の時だけだ。
自分の心が揺れる涙を零すのは、この世で唯一人だけ。
その一人は事の次第も呑み込めぬまま、鳶色の瞳を丸くして横から此方を見ている。
他の者が泣こうが喚こうが、まして目前の我儘な娘がどうなろうがチェ・ヨンは痛くも痒くもない。

ただ面倒は御免蒙りたい、それだけは思った。
勝手に押し掛けられ宅で泣き出され、責任を押し付けられたりすれば笑い話にもならない。
そもそも愛馬を迂達赤の厩に置き去りにした理由すら、ウンスに碌に話していないのだ。
餓鬼の相手をしている暇はない。

そんなヨンの視線の動きに敏感に気づいたクムジュは、溢れそうな涙を溜めた目でウンスをきつく睨みつけた。
「ではどうして、この女人はここにいるのですか!」
「・・・え?」

いきなり矛先を向けられたウンスは、驚いたようにクムジュを見た。
「ええっと、私はここに一緒に住んでるのよ。だから」

うるさいわね、あんたに関係ないでしょ?
内心誰より思っているから、顔が強張る。
涙を溜め自分を睨み続ける生意気そうな女の子相手に、どうにか優しく微笑もうとして失敗する。
それでも不機嫌な顔だけは見せないように、努力しながらウンスは言った。
その途端、クムジュは顔をしかめて地団太を踏みながら叫んだ。

「何とふっ、ふしだらな!」

この娘もそうだがと、チェ・ヨンは思う。
他家に勝手に押し掛け、その家の主の許婚である、まして国の医仙である天人に暴言を吐く主の娘を制止すらせず。
この家人は一体何を考えているのか。

これ以上は刻の無駄だとばかり、泣き出しそうなクムジュを無視して横の家人へとチェ・ヨンの視線が移る。
「お引取りを。医仙への無礼失言の件は、この後改めて伺う」

本当なら疾く帰れと怒鳴りつけたいところだ。
言葉尻こそ丁寧ではあるが、迂達赤に声を飛ばす時よりもずっと硬い命令の意思を籠めたヨンの、有無を言わせぬ低い声が飛ぶ。

どうやら家人は序列を見るに敏らしい。そのチェ・ヨンの声に頷くと
「クムジュ様、さあ、夜道は危険です。大護軍様にもお会い出来たのですから帰りましょう。
御父上様も心配していらっしゃいます。お邪魔しました、大護軍様、医仙様」

べそを掻くクムジュを急かしてチェ・ヨンとウンスに頭を下げると、家人は慌てて門へと向かう。
そしてクムジュは幾度もチェ・ヨンを振り向くと
「明日も来ます、絶対来ます!」

夕焼けの下、そんな声を残しながら小さくなっていく。

「絶対来ます、チェ・ヨン様!」

ふざけるな、来られて堪るか。
チェ・ヨンは作法通り、視界からその姿が消えるまでそこに立つ。
消えた途端に首を振り、ウンスの手を握り母屋への径を歩き出す。
コムにも必ず伝えなければならない。どんな理由でも良い。
何か名分を捻り出し、聞き分けのない餓鬼を門前払いにしなければと思いつつ。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    いつも、胸にズシッとくるお話を届けてくださりありがとうございます。
    今回も、我儘お姫様に振り回されるヨンとウンスが、意表をつく展開でドキドキしています。
    チュホンまで巻き添え…で、何だか可哀想で。
    あの…ところで…
    前の部分を読もうとしたら、
    「竹秋 拾弐」の後が無く…
    「茉莉花 玖」の前が無く…
    あれっ? 私のスマホの不具合?
    と、悩んでいます。
    お話、何処かへお引っ越し したのかな…?
    それとも、私のスマホの…?
    です。
    明日の朝は、戻っているとよいのですが。

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    お騒がせしました。すみません。
    「茉莉花 壱」から読めました。
    ただ、「竹秋 伍」あたりからまた…
    私が悪いようです。
    すみません(>_<)

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    ウンスに対して、あんな態度を取るなんてヾ(。`Д´。)ノ
    ヨンに一目惚れしたのかもしれませんが、そんな子供相手にする訳無いのに~(;^_^A
    でも普段チヤホヤされてるから、ヨンの態度が逆に新鮮にうつるかも。
    病気や怪我等でもして、ウンスにしか手当出来ない様な、緊急事態にでもならなければ、ウンスの偉大さが分からないかも。
    今後の展開も楽しみにしています♪

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