2016再開祭 | 茉莉花・拾壱

 

 

「ヨンア」

背後から声を掛けられ、母屋へ向かう径で足を止めたチェ・ヨンは視線だけウンスへ振り返る。
「はい」
「あのね」

呼び掛けて足を止めさせたまではいいものの、ウンスも何と言えば良いのか分からない。
ごめんなさいは変だ。仔馬の一件で自分は何も悪い事をしていない。
じゃあ、ありがとう?それも自分が言うことではないと思い直す。
礼を言うべきなのはあの玉子男と生意気な少女で、自分ではない。

出かける時から機嫌の良くなかった婚約者は、今はもうそれどころの話ではなさそうだ。
出たくもないパーティに連れ出され、挙句の果てには手土産代わりに仔馬まで押し付けられて。

けれど王の姉からあんな風に言われれば、断われるわけがない。
愛する男の頭の固さと、上下関係に関する厳格さは良く知っている。
それについては謝るべきなのだろうかと、ウンスは悩んでしまう。

せっかくのデートだと楽しみにしていたのに。
気の乗らないパーティに連れ出した、その理由だけでも説明させて欲しい。
ウンスは無言で自分を見つめるチェ・ヨンの大きな手を、小さな両手でぎゅっと握りしめた。
「あのね、今日パ・・・宴に、行こうって言ったのは」

厭な話を蒸し返されて途端に険しい表情を浮かべたヨンに、ウンスは懸命に語りかける。
「私たちの、結婚式の参考になるかなって思ったの。私は高麗の宴の事全然知らないし。
どんな雰囲気なのか、どんなお料理や飲み物をどうやって出すのか、知りたかったのよ」

正直な告白に険しい黒い瞳が少しだけ優しくなった事に励まされて、チェ・ヨンの手を握る両手に力を籠める。
「本当はそれにかこつけて、あなたと一緒に出かけたかったの。2人でどこかに行きたかったの。
普段はなかなか出来ないから・・・えらい人の祝宴なら誰も文句を言わないだろうし、外出しやすいかなって思ったの」
「ならば」

ウンスの言葉に視線を逸らして庭へ目を向け、チェ・ヨンが短く言った。
「何故チュンソクばかり」
「はい?」

チュンソクばかり?

一体何を言っているのかと首を傾げるウンスの様子に、チェ・ヨンは諦めの息を吐く。
その赤い唇でこんな甘い言葉を伝えられて、怒り続けるのは難しい。
きっとウンスがそう言うなら、それが本心なのだろう。
こうして意味が判らないという顔で戸惑っているから、最初から深い意味などないのだろう。
考え過ぎていたのだろう。チュンソクにばかり気を取られているのではと思った自分が。

許すから付けあがらせるのだと判っていても、微笑んでしまう。
握られる小さな手に任せて、籠めていた肩の力を抜いてしまう。
「最初から言って下さい」

最後の抵抗で言ってはみるものの、その声にはもう怒りなど微塵もない。
情けなく気恥ずかしい程に低く穏やかになるヨンの声に、ウンスが唇を尖らせて握った手を小さく揺らす。
「だって本当はあなたに誘ってほしかったんだもの。女からデートに誘うのって勇気がいるし、恥ずかしいんだから」

でーとが何かは判らないが。
揺らされるに任せた手の温みを感じつつ、チェ・ヨンは決意する。
次の外出の時は、強引にでも必ず自分から誘い出さねばならない。
誘って欲しかったと言われれば。勇気を出し恥を忍んで誘い出させた分も。

こうなれば仔馬も預かって良かった。
少なくとも判院事に返しに出向く口実がある。
その時は必ずウンスを伴おうと決めヨンは今来た径の奥、厩の方を眺めた。

夕焼けに赤く染め上げられた庭の木々。その葉を揺らす静かな風。
今宵縁側で抱き締めたなら、ウンスには暑いだろうか。
そう考えながら紅を深めていく空を見上げる。
「赤は」

チェ・ヨンの声に、その顔を見上げたウンスが頷く。
こうやって雨だれのようにぽつぽつ落ちる、あなたの声が大好きだ。
そしてこんな風に照れたように自分から逸らす黒い瞳も大好きだと。
その頬がいつもより少し赤いのは、夕焼けのせいなのだろうか。

「この世で一番美しい色です」
チェ・ヨンは握られていた手をそっと解き、ウンスの髪をその指で梳る。
夕焼けの光の中で、いつもよりもずっと深い紅に染まった髪。
撫でられる毛先は金色に透けて、光の中で踊るように跳ねる。

少し考えて思い出す。変な髪だとあの時少女に言われたことを。

チェ・ヨンはきっとずっと怒っていたに違いない。
相手が子供だから、そして玉子男の娘だから事を荒立てなかっただけで。

すっかり忘れていたのにヨンが覚えていたのがおかしくて、ウンスは小さく笑う。
その笑い声を咎めるように、ヨンが黒い目を眇める。

あなたに撫でられると、全ては生き生きと動き出す。
優しい指の動きに目を閉じて、その温かさを味わう。
髪も、頬も、指先も。瞼も、睫毛も、唇も。
こうしてあなたが息を吹き込む。私の吹き込んだ息を毎日少しずつ返してくれる。

だから私はあなたを守る。もしその息が止まったら、何度でも私の息をあげる。
そうしながら最後まで、ずっとずっと一緒にいたい。
その瞬間にきっと思い出すのだろうと、ウンスはドクターらしからぬ事まで考える。

走馬灯というけれど、その中に過るのはきっと特別な光景じゃない。
手をつないだ事、散歩をしながら見た景色。
一緒に並んで眺めた月や、分け合って食べたおまんじゅうや、飲んだお酒の味。
怖い赤じゃなく夕陽の優しい赤に染まるあなたの姿。
そしてあなたが褒めてくれた、今日の私の髪の色。

そんな思い出をたくさん積み重ねて一緒にいよう。
そして悲しいことは半分に、嬉しいことは二倍に。
「ヨンア」

ウンスの声に、夕焼けで赤く染まったチェ・ヨンの瞳が問いかける。
何ですか。何も言っていないのに、そんな声が聞こえるから。

「愛してる」

虚を突かれたようにその瞳が瞠られるのを確かめてから、ウンスは勝ち誇ったようにヨンを追い越し、赤く染まった夕陽の庭を歩き出す。

 

 

 

 

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