2016 再開祭 | 想乃儘・伍

 

 

「ヨンア」

向かい合う夕餉の卓で飯を喰うこの方の箸が止まる。
呼ばれて頷き、握る箸を卓へ戻して姿勢を正す。
「はい」
「王様にもお知らせしたけど、もう風邪の流行はほとんど治まった。心配かけてごめんね。
でも季節の変わり目だから、もうちょっとだけ経過観察したいの。だから」
「待ちます」

つまりまだ、典医寺には来るなという意味だろう。
それ以上は問わず頷く俺を訝しがるように、向かい合う瞳が不安げに色を変える。
「・・・怒らないの?まだかーって」
「いえ」

この方が俺の出入を禁じる理由は判る。もし怒って翻意があるのなら幾らでも怒鳴っただろう。
怒鳴ってこの方に余計な鬱憤が溜まる方が、今の俺には怖いのだ。

この方の瞳は素直だと思う。覗き込めば其処に浮かぶ心が透ける程。
皇宮を生き抜くには余りにも素直過ぎる。
今日の朋が明日の敵にもまた逆も然る政の真中に立ち、皇宮最高の名医の称号、医仙を名乗るには危うい程に。

だから護らねばと思う。幼子のような方だから。
放って置けば俺の為に、倒れるまで無理をする方だから。
俺に隠れて一人で泣きながら、また立ち上がる方だから。
しかしこうして典医寺への出入までを禁じられれば、何をしているか想像するしか手立てがない。

無理をしていないか。昼餉は取れたか。危ない事をしておらぬか。
患者は減ったか。状況は如何か。俺を気遣い嘘を吐いておらぬか。

気を揉んでいても仕方がない。想像だけでは限度がある。
だから行き交う者たちに気の毒そうに見つめられても、王様の御耳に噂が届く程になっても、夕刻に典医寺の門前に立ってしまう。

この方が作り笑顔を浮かべる隙も無いように、走って来た小さな体を受け止める。
俺にしか判らぬその熱を確かめ、顔色を見、髪に触れ腕の中の息遣いを感じ、いつもと変わらぬかと。
医の心得はなくとも誰かを心から愛おしく思う事は、その者だけの最高の名医になる事なのかもしれん。
医術など全く知らぬ父母が、子にとっての最高の名医であるように。

俺の事を護って下さる方だから、俺も護りたいのだ。心も体も。
ただ敵の刃から護るだけでなく、日々を笑って過ごせるように。
病や怪我で体が痛めば笑う事は難しい、そう教えてくれるこの方を。
病んだ体を治すには病んだ心を治せと、そう伝えてくれるこの方を。
俺の事、民の事、周囲の者たちにばかり感け御自身の事は後回しにする、愛おし過ぎる身勝手なこの方を。

「・・・イムジャ」
「なあに?」
たとえ想いの儘に動けずとも。あらゆる柵や面倒な名分に縛られても。
いざとなればそんなものは全部捨ててやる。
この方を抱き締め熱を、顔色を、髪の感触を、息遣いを確かめる為に。

向かい合わせの卓を立ち、この方の真横へ回り込む。
飯の途中で行儀が悪いが、したいのだから仕方ない。
この方の真似事のようその頬を己の掌で掬い上げて包み、仰向いた鳶色の瞳をじっと覗き込む。

その色は昨日と、昨夜と、今朝と、今日の帰りと変わらんか。
包む頬の温かさと顔色は、俺のよく知るあなたと変わらんか。
辛そうな処はないか。無理して笑っていないか。何か隠そうとして視線を逸らさぬか。
出来る事なら俺は、無茶をするあなただけの医官になりたい。

肚裡は伝わったか伝わらぬか。 この掌に撫でられたまま、あなたは溶けるような満面の笑みを浮かべた。

 

*****

 

立春末候は魚上氷。
温かさに溶けだし割れた氷の合間から魚が水面へ飛び出す頃。
この季節の変わり目の頃に、凍りついていた景色が動き出す。

町の水路に厚く張っていた氷の動く軋むような低い音。
屋根に載った雪が滑って落ちる、濡れて湿った重い音。
軒に伸びた氷柱の先から垂れる滴が、地を穿つ水の音。

耳を澄ませばそんな音の合間に、確かに感じる気配がある。

まだ若芽すら萌えぬ裸枝を揺らす風の温み。
頭上から灰色の影を雪へ伸ばす陽射しの色。

何処から漂うのかは判らない、しかし確かに昨日とは違う。

寒さで暫し開く気にもなれなかった迂達赤の私室の窓を押し開く。
冬の間外枠に積もっていた厚い雪が押され、庭へ落ちる音がする。

開いた窓から臨む窓外の景色の中、風と光を受けて眸を閉じる。
見慣れた同じ眺めの筈なのに、昨日とは違う景色が教えている。

もうすぐ春がやって来る。

「大護軍!!」
鍛錬後の兵舎に戻る路、樹上から掛かるテマンの声に雪中の歩を止める。
太い幹を器用に滑り降りて駆け寄ると、奴は懐こい笑みを浮かべ眼を輝かせながら言った。
「典医寺が、嗽薬と石鹸を取りに来いと。行って来ていいですか」

典医寺への出入を禁じられて以来、気に病んでいたのだろう。
ようやく出入の禁を解かれたと報せたかったのか、わざわざ俺を待つのがこいつらしい。
「大護軍も、一緒に」
「・・・来いと言ったか」
「え」
「あの方は」

問う声に首を傾げると、テマンは素直に首を横に振る。
「医仙はわざわざ大護軍に面倒かけたりしません。誰でもいいから取りに来いって」
「では行って来い」
「大護軍は」
「鍛錬がある」
今日出入の禁が解かれるとは知らなかった。この後も鍛錬が詰まっている。

春からは戦。王様の先日の御声が頭を過る。
死なぬ程度に鍛えねばならん。一日毎に温かさを増す頃だ。
体を動かすにも楽になり、陽が延びればその分長く鍛錬に費やせる。

後になってあの時鍛錬していればと悔いるくらいなら。
あの方は典医寺で、俺は迂達赤で。
互いの場所で悔いなく全力を尽くし、残りの刻は共に過ごす。

複雑な肚裡を誰よりも知るテマンが頷き
「夕は迎えに行っていいか、聞いてきます!」
何処までも素直な弟らしく臍曲がりの兄の声を代弁すると、残雪の中を一目散に駆け出して行った。

 

 

 

 

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