2016再開祭 | 黄楊・拾伍

 

 

「本当にそうか。戯言なのか」
大きく吐いた息の後で叔母上が低く呟いた。
俺の方は一切見ず、その両の目は暗い庭を見ている。

「今までなら一笑に付した。王様がどれ程お主を重用しようと、身に余る御信頼を賜ろうと。
大護軍の立場だけでも過分と思っておった」
「ああ」
「しかし此度の件、強ち鼻で笑ってばかりもいられぬと思い知った。まさか上護軍とはな」
「だからと言っ全て信じるか」
「信じぬわけにはいかん。逆に疑う理由がないのだ。姪でもあるが、天の方でもある。
今までの預言に何一つ誤りがない以上」

叔母上自身も困り果てたように、小さく首を左右へ振った。
「そして周囲はお前が思う以上に、お前を慕っておる。信頼しておる。お前の声であれば命を懸けて果たそうとする。
それは厄介でもある。お前を失えばその全員が、道を見失うも同然という事だ」
「・・・ああ」

「言ったろう。お前は昨夜ウンスを説得せなんだ。ひとつ目だ。
例え他の全員に伏せるにせよ、ウンスには必ず伝えろ。でなくばあの跳ね返りは何をするか判ったものではない。
預言を知る故にな」
「・・・それは、認める」

確かにそうだ。
昨夜のうちに俺は辞するがあなたは残れと伝えれば、此処まで皆を、そして王様と王妃媽媽を巻き込まずに済んだ。
言えなかったのは、あの時はまだ状況が判らなかったからだ。
周囲固めを先にしたかった。
俺が辞するあの方は残すと周囲に報せ、守る態勢を整えてから。

「そして王様から下賜された邸を引き払えばどうなると思う。お前に倣って、畑を下賜された全員が返すだろうな。
畑だけが頼りの食い扶持になっている元兵らも。そこまで考えたか」
「それは」
「片手落ちの独り善がりと言われても仕方あるまい。違うか」
「・・・判った」
「此度はウンスの方が、余程頭が切れていたぞ」

叔母上は思い出したように低い声で笑って言った。
「お前は自分を探して必ず坤成殿に来る、そう言っていた」
「そうなのか」
「典医寺の残留の件、邸の件。お前が説明しておらん以上、王様への拝謁を賜る前に必ず自分に話に来ると。
王妃媽媽の御拝診後も坤成殿に籠っていた。お前を確実に足止めする為に」

 

*****

 

「王様に話に行きます。誤解です。あの人は王様に逆らうつもりじゃなくて、自分に納得出来ないだけなんです。
本気で辞めたいわけじゃないし、辞めたら絶対ダメです」

外の雨と御部屋内の溜息で沈んだ空気の中、我慢ならぬと言うようにウンスが椅子を蹴って立ちあがった。
「医仙様、お待ちください!」
「医仙、どうか冷静に。大護軍の立場もあります」

そのまま扉から駆け出ようとする勢いにも、ドチ殿と迂達赤隊長では押し留める訳にもいかん。
二人の男は手を拱き、困り果てた顔で私を見た。
「医仙の御立場では許されませぬ、お戻り下さい」

王妃媽媽の横から一歩進んでその道に塞がれば、さすがに叔母を突き飛ばさぬ冷静さは残っていたのだろう。
ウンスは焦れったそうに足を踏み鳴らし、私に抗議の目を向ける。
「だって、早く王様に説明しないと誤解が深まるばっかりですよ!」
「判っております」

王様の御性格、甥の気質。何方も一度決めたら引かぬ。
しかし皇宮内には厳然たる順位がある。
医仙とはいえ気の向くままに康安殿へ飛び込みご拝謁賜る事も、直訴する事も叶わぬのだ。
そうするならば正式な手順を踏んだ上、ご拝謁の御許しを頂かねば。

外堀を埋め、外聞を整え、万一露呈した時も周囲の声を捻じ伏せる。
それが此度の王様の御決断とあ奴の体面、双方を救う唯一の道。
さもなくば昇進打診の件が万一外部に漏れた時、王様の御寵愛を嵩に大護軍が分不相応な振舞いをしたと、責めを負う事になり兼ねん。
だがこの天人に、そんな道理は通じぬらしい。
「だったら一刻も早く行かないと!」
「ですからその手を考えております。お静かに」
「叔母様、そんなのん気な」

すぐにでもお伝えしたい気持ちは痛い程判る。
しかし人払いを受けた此度の密談の内容を、内官長殿が言い訳するは無理な相談。
迂達赤隊長も同様だ。
あ奴の直属の部下では却って奴を庇っていると、要らぬ誤解を招く惧れもある。
奴が王様に直接その口から、役目を辞すと伝える前に。
その足を止め王様に奴の本心をお伝えせねばならない。
「医仙」

私も、向かい合うウンスも、間に立ち狼狽えるドチ殿も迂達赤隊長も決して大きくないその御声に動きを止める。
王妃媽媽は御椅子に腰を降ろされたまま、ウンスを諭すように静かにおっしゃった。
「チェ尚宮の言う通りです。王様と大護軍に良かれと動く事が、後に御二人を窮地へ追い遣らぬとも限りませぬ」

そこで初めて御背を伸ばしたまま椅子から真直ぐに御腰を上げられ
「チェ尚宮。出掛ける。支度を」
それだけおっしゃり奥の間へとお進みになると、目塞ぎに隔てた紗を上げて中へと入られる。

それ以上の長居は不要と察したか。
ドチ殿と迂達赤隊長は奥の間へ、そして私へと頭を下げて部屋を出る。
出際の二人に来訪を固く口止めし、ウンスを置いて奥間へ入った私に
「お約束なく王様にお会いでき、私的なお話をする名目がある者は」

鏡を覗かれたまま此方を振り向く事なく化粧台の卓の前、黄楊櫛で御髪を整える御背越しに御声が掛かる。
「一人しか居らぬ」

そして御手の黄楊櫛を棚上に戻す、ことりと小さな固い音。
指先で鬢を整え終えた王妃媽媽が私へと振り返られた。

「媽媽。それはなりませぬ。事が大きくなります。王妃媽媽にも累が及ぶやも知れません」
「だから何だ」
「どうぞ無謀はおやめくださいませ。私がどうにか」
「そなた一人でどうにかなるなら、愚図愚図と此処には居るまい」
「王妃媽媽」
「決めたのだ。これ以上言うでない。参るぞ」
「・・・あのぉ」

目隠しの紗向うから聞こえた珍しく遠慮がちな声に、王妃媽媽が透かし見るよう御首を傾ける。
「医仙」
「媽媽、私に考えがあるんです。少しだけ聞いて下さいませんか?」
次間の卓へ戻られた媽媽、そして私に向けウンスは声を小さくした。

「お芝居が必要だと思うんです」
「芝居・・・」
「はい、媽媽。さっきの話で思ったんです。私に皇宮に残れとも、引越についても言わない限り、あの人はまずそれを説明しに来るはずです。
少なくとも私に絡むことを1人で勝手に決めたりしません。王様に答をお伝えする前に、必ず一度はここに来ます」

その冷静さに内心で舌を巻く。確かにウンスの言う通りだ。
良くも悪くも頑固な男、王様に関する事なら尚更筋を通すに違いない。
己の保身の為でなく、王様の御判断は全て公正であったと明かす為。
そして典医寺に残すと決めた、ウンスの立場を守る為。

「確かに。来るでしょう。あ奴なら」
「でしょう?知って欲しいんです。自分が辞めるって言うのがみんなをどれくらい心配させるのか。
あの人は自分1人だけ辞めれば良いって思ってますけど、そうじゃないってことを」

その通りだ。あ奴一人が辞して済むなら、誰もこれ程に気を揉まん。
深く頷く王妃媽媽と私に向かい、卓向うのウンスは身を乗り出した。
「こんなこと繰り返したらダメです。あの人は王様をずっと守る人で、この先大将軍になるんですから」
「医仙!」

王妃媽媽の御前での突然の暴言に叱咤の声を飛ばす私を、王妃媽媽は御目で黙らせる。
「それも天の預言ですか、医仙」
「そうです。恭愍王、魯国公主、崔 瑩。全員が高麗の有名人です。
王様と媽媽の恋物語は私たちの世界でも永遠の憧れですし、あの人の強さと清廉潔白さも有名です」
「大護軍は、王様と共に居られますか」
「もちろんです。最後までずっとずっと、王様と媽媽と一緒にいます」

ウンスは何故か複雑そうな表情で、それでも笑みを浮かべて見せた。
「だから考えました。ショック療法を。信頼する人が突然辞めるって聞いたら、みんながどれくらい心配して動揺するのか」
「どうする御積りなのです、医仙」
「そこで媽媽に折り入ってお願いがあるんですが」
「はい」
「叔母様を、クビにして下さい」

・・・驚天動地とはこの事だ。まさか姪に言い渡される日が来るなど。

「医仙、一体・・・」
凍りつく私の横、王妃媽媽の低い御声が静かな御部屋に響いた。

 

 

 

 

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