2016 再開祭 | 神技・中篇

 

 

「・・・医仙!」

突然門の前に立った私に大きな火を焚いた門の前、呼び出しに走って来てくれたチュンソク隊長が深く頭を下げた。
その横で心配そうな顔のテマンが私に向かって
「て、大護軍は」

そう言って私の歩いて来た、真っ黒な典医寺への道をじっと見る。
そこから大好きなあの人が歩いて来るんじゃないかって願うみたいに。
「えーっとね。報告と、お願いしに来たの」
「どうされました」

真剣な私の声に、焚き火の光でオレンジ色になった2人の顔が強張る。
「まずあの人は大丈夫よ。腎炎。えーっと、腎が悪かったの。
ちゃんと確かめたから安心してね。典医寺での治療法も決まったし、今は寝てる」

私の報告に2人の大きな溜息が聞こえる。
門の横の焚き火が揺れるんじゃないかって思うくらいの、大きな息。
「1か月も大人しくしててくれれば、完治すると思う。でもその間はとにかく無理は禁物なの。
最初は完全にベッドレスト。お手洗いも1人じゃダメだから。怖いのは、そこで無理して慢性化した時なの。
私からも王様にお願いするけど、お休みもらっても平気?」
「勿論です。絶対に出仕はお止め下さい。迂達赤は自分らだけで問題ありません」

チュンソク隊長は厳しい顔できっぱり言い切った後、目尻を少しだけ下げた。
「その為に鍛えられてきました」
心配かけてるのよね。あの人も少しは自覚してくれたら良いのに。
いっつも1人で突っ走らないで。全部1人でしょい込まないで。
そのストレスと疲れだって、絶対今回の急性腎炎に因果関係がある。

「それで、次は、お願い」
「何なりと」
報告に安心したんだろう。
さっきまでの強張った顔よりずっと優しくなった表情と声で、チュンソク隊長が頷いた。
「家にひとっ走り、してきたいの」
「御邸にですか」
「何故」

こんな夜に何言ってるんだ。そんな顔でテマンとチュンソク隊長が同時に大きな声を上げる。
「うん。サムケジュクを作りたいのよ。でも塩は一切使えないから、お酢とユズの皮と、麹を持って来たいの。
1人で行ったら後であの人にばれた時心配させちゃうから、出来れば」
「俺が行って来ます!」

私の声の途中で、ガマンできないみたいにテマンが叫んだ。
「鶏の粥を塩抜きで。酢と、柚子と、麹で良いですね」
「・・・う、うん。でもね、テマナ」
「御邸に行く前に典医寺に送ります、医仙」
「だけどね、わざわざテマナが走らなくても、一緒に」
「医仙」

チュンソク隊長もテマンの声に頷いて、穏やかに私を止める。
「粥より何より一番の薬は医仙です。横にいらっしゃらぬと大護軍も落ち着かぬでしょう。
他の事は自分達が何でもします」
「だけど」
「お戻り下さい」
「でもこれは、私用で」

私の言い分をしっかり聞いてはくれたけど、聞いたうえでチュンソク隊長は言った。
「テマナ」
「はい」
「医仙を典医寺へお送りしろ。充分気をつけてな」
「はい!!」
有無を言わさぬチュンソク隊長に呆気に取られる私の横で、テマンは会心の笑みで頷いた。

 

*****

 

夜の寝台。灯を落とした薄暗い部屋内。
額の汗を拭われる布の感触に眸を開く。

布越しでも判る。あの方の手ではない。
それ以外の者が思うように動けぬ身の横に居るのは嬉しくない。

一旦離れたそれが再び近付く処を確実に狙い、その手首を捻る。
握っていた布は軽い音を立て、枕の耳許真横に落ちる。
力を篭めた指先を留めるよう、薄闇の中で声がする。
「私です、チェ・ヨン殿」
聞き慣れた声に息を吐く。闇に浮かぶ薄笑いさえ思い浮かぶ。

「寝込みを襲うつもりではありませんでしたが、離して頂けますか。折れてしまっては典医寺の治療に差し障りが」
「二度とするな」
「はい」

手首ごと突き放すように戒めを解く。
本気で痛むか奴は握られていた手首を擦りつつ、其処から静かに俺を見る。
「手負いの虎を介抱するのも命懸けです」
「そういう時はな」
その声にもう一度眸を閉じる。軽口に付き合う気力は残っていない。
「放って置け」
「そうは行かないのですよ、チェ・ヨン殿。
何しろその虎の番いが、必死になって看病に精を出しているものですから」

その声に閉じた瞼が再び上がる。
「あの方が」
「毒が腎から体の外へ出されておりません。急性ならば一月ほどで快癒するが、慢性化して持病になっては難しいからと。
急遽薬剤を掻き集め、天の薬で病まで証明されました。治療の薬湯も決められて、そのまま表へ飛び出して行かれましたが」
「・・・何処だ」

この夜の中、一人で外へ出て行った。
暗い部屋で寝台の上へ身を起こそうとするこの肩を、その手が静かに押さえ付ける。

「慢性化せぬ一番の要は快癒までの完全な休息と、ウンス殿より言われております。
何を言おうと動かすな、最初は厠も行かせるなと」
「離せ」
「申し訳ないが、致し兼ねます」
「腕が大切なら離せ」
「無論この腕は大切ですが」

侍医は諦める事無く、淡々と声を重ねる。
「チェ・ヨン殿に万一事有れば、典医寺もウンス殿も総崩れですから。
その時は全員役目を辞しますので、こんな腕も不要なのですよ」

丹田の気さえ満ちていれば、望み通り折ってやれるのに。
侍医如きに肩を押さえられただけで跳ね起きられないのが口惜しい。
「絶対に無理はさせるな」
「さて。それはこれからチェ・ヨン殿がどれ程良い患者で居て下さるかにかかっておりますので」

その時テマンの気配に守られながら、小さな足音が途の下草を踏み、夜の庭の中を近寄って来る。
探すように眸を窓外へと流す俺に気付き、侍医が低く笑う。
「それ程お辛くとも、ウンス殿だけはすぐ判るのですね」
「煩い」
起き上がり、立ち歩いていなくて幸いだ。
下手をすれば暗い庭から見える部屋の影で、露呈していたかもしれん。

肩に乗る侍医の手を払い除けてそのまま掛布の上端を握り、鼻先まで思い切り引き上げる。
「侍医」

掛布の中からの籠った呼び掛けに、奴の視線が俺へと戻る。
「俺は寝ていたな」
「・・・はい」
その念押しに、奴は愉し気な含み笑いで頷いた。

 

 

 

 

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