2016 再開祭 | 気魂合競・卌玖

 

 

「何してる」
チュホンで駆け戻った門前の、いつもの篝火は落ちていた。
点したところで、雨に打たれ湿った薪が煙るのが関の山。
正解だと暗い門前まで近づき、立っている人影に目を瞬く。

律儀なコムは笠も被らず、其処でまだ門を守っていた。
濡れた蹄の音に気付いて顔を上げ、安堵したように見せた白い歯が暗い雨の中に浮かぶ。
「良かった、ヨンさん」
「こんな雨の中」

俺が背を降りて身軽になったチュホンの銜を掴み、優しく門内へ連れ戻しながら、コムは当然という顔で頷いた。
「あの皮胴衣の男らは」
「・・・此処を訪う事はない」

警戒していたわけかと、コムの心中を推し量る。
元国からの越境、将軍に仕えた戦士と聞けば、委細を知らぬコムがそう思うのも無理はない。

但しあの男らはそんな事はせぬだろう。敵の敵は味方。
奴らにとっての敵は生国であり、それを治めるトゴン・テムルであり、その耳元に讒言を囁いた哈麻。
俺に送られた。それが托克托の最期の意思だと知る以上、刃を向けるような真似はせぬ。
「ウンス様が」

厩に戻ったチュホンの泥で汚れた体を桶の水で清めつつ、コムが気遣わし気に母屋を目で差した。
「ご機嫌斜めのようです。先刻タウンが」
この夫婦者は何処までも。

コムは門を守り、タウンはあの方を守っている。
その忠義に心中で頭を下げ、コムを手伝おうと俺はチュホンの逆へ立つ。
母屋に帰るのを渋る俺を見透かすように、チュホンの大きな目が此方を確かめると、呆れたようにゆっくり閉じた。

 

「戻られたようです」

タウンさんはふと顔を上げると、小さな声で言った。
「そうなの?」
私には何も分からない。耳を澄ましてみても、聞こえるのは大きな雨の音だけ。

「ウンスさま」
「・・・なあに、タウンさん」
「お怒りになってはいけません」
「だって」
居間の中で向き合って刺しゅうをしてたタウンさんは、運針の手を止めて苦笑する。

「二日間、ウンスさまを懸けて取組をされました」
「だからってケガするまでやらなくても」
「ウンスさまも、何故賞品に名乗り出たのかお伝えしないと」
「それは・・・今晩、言うつもりだけど・・・」

痛いところを突かれて、反論の声も怒りも尻すぼみになる。
「だけど足首をケガした後に、こんな遅くまで出歩くことないと思わない?心配してるのも知ってるはずなのに」
「きっと理由がおありです」
「自分の体より大切な理由?あの人のケガが長引いて嬉しい人なんて、誰もいないわ」
「ウンスさま」

自分の刺しゅう台を片付けながら、タウンさんは私の刺しゅうを覗き込んで
「お上手になりましたね」
って、少し驚くみたいに言った。
「縫うのは得意なのよ」

まあ、人体に限るけど。
肩をすくめた私が言うと、その刺しゅう台も一緒に居間の物入れにしまい込んでくれたタウンさんは頭を下げて
「今晩はこれで。ウンスさま、短気は損気です」

最後に小声で釘を刺して、静かに居間から縁側に向かう。
開けたままのその扉の縁側の向こう、同じタイミングで暗い庭から
「戻りました」
って、待ち続けた声が聞こえた。

 

叔母上の鍛え続けた剣戟隊長の勘には恐れ入る。
雨の中で庭先に立った途端、開け放ったままの扉向こう、女人の影が一つ立った。
「お帰りなさいませ、大護軍」

その影は縁側の床に膝をつき丁寧に頭を下げると、俺と入れ替わるように滑り降りる。
「夕餉はどうされますか」
「適当に済ませる」
「畏まりました」

いつもであればあの方と結託し、断っても夕餉を強いるタウンには珍しい。
呆気なく一歩退き、そのまま雨の庭を別棟へ小走りに駆けて行く。
つまり飯より先に話せ、暗にそう言っている訳だ。

足首を捻った。昨日からの取組で、確かに幾つか小さな痣も拵えた。
あの方も明け方から飛び起きる程心配して下さっていたのはよく知っている。だからと言って。

疚しい事など何一つ無い。寧ろ言いたい事が多過ぎて。
ご自身が賞品になれば、俺が意地になって取組に当たるのは判り切っていただろうに。

玄関へは回らずに縁側から直接居間に上がると、燈された油灯の明るさに慣れぬ眸をあなたに当てる。
それを受けて勝気そうな鳶色の瞳が、俺をじっと見上げ返す。
確かにかなり臍を曲げている。如何に鈍くともその程度は判る。
「イムジャ」

唇を尖らせてあなたは床から腰を上げ、俺へ小さな手を伸ばす。
頬へ、そして額へ、次に頸へ、最後に手首へ。
その道筋は、何があっても変わらぬだろう。温かさも優しさも。

伏せていた睫毛が上がる。
正直に嬉しい色を浮かべる瞳と、尖ったままの唇のちぐはぐさ。
「大丈夫でしょう」
思わず言い聞かせる。あなたの心を痛めるような疵ではないと。
もしもそんな事になると思えば、己の為でなくあなたの為に布団に横になる真似くらいはする。
そしてあなたは不満げに吐き捨てた。
「決めるのは主治医よ」

しかし此度は、抱き締めて宥め透かす気分ではない。
居間の宅前の座椅子に腰を降ろすと、あなたが向かいに回り込む。
其処から身を乗り出すようにして
「安静にしててって言ったでしょ?ヒドさんだってそうしてくれるのに、どうして聞いてくれないの?」

ヒドにはヒドの、俺には俺の、為さねばならぬ事がある。
一番気分が悪いのは、そんな同列の扱いだ。
別の誰かには出来るのに、お前には何故出来ぬのだ。
そう訊かれて気分の良い者が居るか。

俺は比べない。あなたに出来ぬ何かが出来る者が良いなら、端から其方を選ぶ。
出来ぬと知って選んでおきながら、何故出来ぬと責めるのは筋違いも甚だしい。

此度もそうだ。
たとえ王妃媽媽の御言葉とはいえ、うまく逃れる手は幾らでもあった。
俺は責めない。ただ気を揉んだだけだ。そして絶対に取り戻すと決め、取組に臨んだ。
勝手に想っている。だからこの心を理解しろと押し付けはしない。
それでも。
「片付けるべき事が」
「こんなに疲れてるのに?こんなケガしてまで?どうして、もっと安静にしててくれないの」
諍いをするつもりはない。俺は向かい合う席から腰を上げる。

「着替えて参ります」
それでもあなたは立ち上がり、寝屋に向かう俺の後から
「今日はお風呂につからないで、体を流すだけにして。温まると、かえって傷に悪いから。それくらいひどい打撲傷なのよ」
そんな風に、きゃんきゃんと吠えたてながらついて来る。

「あなたも忙しかったのは分かる。私のせいで大会で無理しすぎたのも分かってる。だけど私だって心配したわ」
寝屋の扉を開け、箪笥から乾いた夜着を取り出し、風呂の用意を整えて無言で部屋を出て湯屋へ向かう間も
「私が賞品になったせいでしょ。だけどちゃんと理由があるのよ。話したくて待ってたのに、全然帰って来ないし」

余りのしつこさに湯屋の扉で振り返り、溜息を吐いて訊いてみる。
「風呂に」
「分かってるけど、まずは話を聞いてよ」
尖ったままの唇は諦めを知らぬらしい。そんな時には逃げも方便。
「では、風呂で話しますか」

其処まで言えば絶対に退くだろう。勝ちを見越して尋ねた俺に
「いいわよ」
あなたはあっけらかんと微笑んだ。

湯屋の扉に手を掛けていた腕の中から、乾いた衣が廊下に落ちる。
膝を折り、それを取り上げて俺の腕の中に戻しながら
「さ、行きましょ?」

そう言ってあなたは、俺の開けた扉から先に中へ滑り込んだ。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    ヨンの立場、いろいろあるから。
    ウンス、分かってあげてね。
    もともと、ウンスの方が心配かけたんだもの。
    理由ねぇ…
    ヨンもお疲れモードだから、
    お風呂で、優しく(*^^*)
    ヨンの背中流してあげてね。
    お風呂の湯気が、二人を和ませてくれるから。

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    ヨンアの疲れとチョイイライラもあり風呂場で話を?と退くと思って言ったが逆手にとって呆気なく喜んで(^^)と風呂場にヨンア的にまさか…これからどんな話し合いが…?

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