2016 再開祭 | 棣棠・伍

 

 

どうしようか。

あの人がいた妓楼からまっすぐ駆け戻った兵舎。
一晩中大護軍の部屋の外の廊下に座り込んで考え続けても、答は出ない。

部屋の外からでも大護軍は一晩中眠らなかったって分かる。
別に大きな音がするわけでも、特別に騒ぐわけでもない。部屋の中は夜明けまで、怖いくらいに静まり返っていた。
だからなおさら分かるんだ。きっと大護軍が起きてる事が。

そうでなければあんな風に妓楼を出て行った後の事を確かめに、一度くらいは部屋を出て隊長のところに行くはずだ。
さもなきゃ俺かトクマンを呼んで、確かめるに違いない。

でも声は掛からなかったし、部屋から出て来る気配もなかった。
そして声が掛からない限り隊長もトクマンも俺も、大護軍の部屋に入る訳にはいかなかった。
昨日の夜、医仙にそっくりなあの人を見てしまった後で。

あれは一体、誰なんだろう。
医仙だと言われれば医仙だと思う。大護軍も悩んでいるんだろう。あの人を見れば当たり前だ。

うまく言えない。あのメヒって女の時とは何かが違う。
俺がちゃんと口に出せるなら、大護軍に分かってもらえるのに。

確かにそっくりだ。最初に見た時には、医仙かと見間違えたほど。
でも違う。あの人は大護軍を呼んでない気がする。
呼んでないのに、俺の大護軍が心を乱されるのを見るのはつらい。

夜中の春の初めの廊下は、まだ冬の寒さが勝ってる。
吐く息は白くて、尻をつけた床板が凍るほど冷える。
だけど体がふるえ始めたのは、そんな寒さのせいだけじゃない。

大護軍なら大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。
そんな事は分かってる。大護軍を信じられないなら、もうこの世に俺が信じられる人なんて一人もいない。

それでもあの人は、本当に医仙じゃないんだろうか。
もしも医仙なら、どうして俺達を見ても平気な顔で、初めて会ったみたいなあいさつをしたんだ。
今の俺でさえこんなに悩んでる。何が起きてるか見当もつかずに。
それならこの扉の向こうの大護軍は、どれだけ悩んでるんだろう。

団子虫みたいに手足を小さく丸めて、守る部屋の扉横で俺は膝を抱えこむ。
もしかしたら気が変わって話そうって気持ちになった時、絶対に大護軍を一人ぼっちにしないように。

 

*****

 

「余計な事は一切口にするな」
「はい、隊長」

ようやく解放された妓楼からの帰り道。
テマンは妓楼の門を出た途端、辛うじて俺に頭を下げると、脇目も振らず一目散に夜の道を走り出した。

その速さについて行く気も失せ、頭を振りながら重い足で西京兵舎への途を辿る。
市中を走り回ったトクマンも、疲れ切っているのだろう。
長い足を引き摺るように俺の横を並んだままついて来る。

しかし俺達などどうでも良い。大護軍が心配だ。きっと今頃は兵舎の部屋で、一人頭を抱えておられるだろう。
あの人は考えない訳ではない。
寧ろ頭の回転が速すぎ、状況を読み判じるのが早すぎて、俺達がそれについていけんのだ。
しかし此度の一件については、さしもの大護軍もああしてあの場を去るしかなかったのだろう。

「トクマニ」
「はい、隊長」
「お前が見かけた時、医・・・あの、女人はお一人だったか」
「はい。間違いなく」
「判った」

すっかり名残の冬の寒さの戻った夜道、交わす声に互いの口許から白い息が立ち上る。
「お前、手裏房の若衆に槍の修練を受けているな」
「チホですね。はい」
「繋ぎは取れるか」

俺の問いにトクマンは悔しそうに首を横に振った。
「俺はそもそも、大護軍の紹介で鍛錬を受けてるので・・・手裏房に繋ぎを取れるのは大護軍だけです」
「そうか」

裏世界に絶対的な力を持つ情報屋を頼ろうとした己が甘かった。
こうなれば正攻法しかなかろう。たとえ多少時間がかかっても。
「恐らく大護軍は、一刻も早く開京に帰りたがる」
「そうですね」
「もしくは、二度と帰らぬか。どちらかだ」
「あの女人のせいですか」

確かめる愚か者がいるか。呆れて吐いた息にトクマンは顔を顰め
「でも、あれはご本人なのですか。医仙なのでしょうか」
「今から調べようと思う」

あの女人の情報が少なすぎて、そうとも違うとも言えん。
正攻法で鳩でも文でも飛ばしてやる。門から出て来たのか。それでも判らんのならこの足で出向く。
「結果が判るまで、一先ず西京に留まらねばならん」
「はい、隊長」

確かめねばならん。あの女人が本当に医仙なのか、違うのか。
背を向けさせるのも共に逃げさせるのも、今の状況では結局大護軍の傷を一層深くするだけだ。

今度こそ堂々と、本物の医仙と御二人並んで開京に戻って頂く。
そうして初めて大護軍の受けた傷は、体も心も双方癒えるのだ。

「帰ろうという素振りを見せたら、一先ず全力で止める」
「判りました隊長。でも・・・」
トクマンは不安そうに言って、横の俺を確かめる。
「止められるか自信がありません。相手は大護軍ですよ」
「いざとなれば急病でも大怪我でも。動けなくなれば良い」
「隊長!」

夜の道でトクマンが怖そうに声を震わせた。
「まさか、大護軍にそんな事するつもりじゃ」
「馬鹿者!俺達があの人にそんな事が出来る訳がないだろう」
「ですよね・・・じゃあ」

察しの悪い大男が首を傾げるのを確かめ、その手が握った槍を指す。
「大護軍が聞き入れて下さらなければ、それで俺を刺せ」
俺の頼みにトクマンの顔が凍りつく。

「隊長・・・まさか本気じゃあないですよね」
「すこぶる本気だ。但し死なん程度に頼む」

あの時に俺達が瀕死のあの人を絶対に置いていけなかったように、俺が傷を負えば大護軍もきっと同じ道を選ぶ。
後で露呈し罵詈雑言を浴びても構わん。今の何一つ判らん状況で大護軍が後々悔いるなら、傷を負う方が気が楽だ。

北方の天門の守りにつく官軍への飛文。鳩が行って帰って三日。
その三日間は、何があろうと西京に留まって頂く。

そうだ。あの時大護軍が瀕死の重傷を負ったのは、元はといえば医仙の刺した刀傷が理由だった。
まさか生き写しの女人が元で再びこんな羽目に陥るとは、妙な縁としか言いようがない。

早ければ明日の朝には刺されるかもしれん己の腹を、帯の上から撫でてみる。
しかしあの人がこの後一生悔いて生きるなら、腹の刺し傷くらい耐えてみせる。
それであの女人が天界の医術を振るえば、間違いなく医仙。
人違いで振るえない時には・・・死なんように祈るしかない。

それでも二度と見たくないのだ。俺の大護軍の暗い顔は。
誰にも何も言えずに、ひたすらご自分を責めている姿は。
「まず西京兵舎からすぐ鳩を飛ばす。今の大護軍にそこまで思いつくゆとりがあるのか判らんからな」
「判りました、俺は隊長を刺すなんて死んでも御免ですから。まず急いで鳩でも鶴でも鴎でも飛ばしましょう、隊長!」

奴は言うが早いか、槍を抱え直して暗い夜道を走り出す。
今は愚痴を言う場合ではない。考える暇があれば動く時だ。

暗く寒い夜の西京を、俺も奴に続いて全速で駆け出した。

 

 

 

 

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