2016再開祭 | 黄楊・弐

 

 

縁側に無言で座り込み、無言のままで夜空を仰ぐ。
せめてその空に月でも浮かんでいれば、多少は気も紛れるだろうに。

この方も何処かがおかしいと判っているのだろう。
いつもなら膝に抱く俺がそれもせず、夜空を仰ぐ真横に黙って添う。

星すらもない空の許、無言で並ぶ夜の縁側。

この方なら判って下さる筈だ。
他人の口から知られるよりは、己の声で伝えたい。
「イムジャ」
待ち続けていたのだろう。この方は言葉尻に被せるように返す。
「なあに?」

真黒い空の向こう。
あなたは違うと言うが、その遥か上にあの眩しい夜がある気がして仕方ない。

天界で初めて逢った時から、あなたは光り輝いていた。
夜の天を突く高い箱、馬のない馬車、目が痛む程の輝く光に溢れ返る天界で見た何よりも。

あの光の中で見た染み一つない白い衣。黙家に攫われて折れた踵の沓。
肩に下げていた薄藍の革の包。 手首や首に巻いた豪奢な金銀の装飾。
奇轍の邸で見かけた時に纏っていた空色の衣。白絹の長衣の揃い。

今まで見て来た眩いあなたの姿の数々を思い出す。
そんな衣を纏わぬ今でも変わらない。
絹糸の柔らかな髪。白磁の肌。抱き寄せる度に鼻を掠める花の香。

医仙という役目、天人という立場。
これまで命は脅かされようとも、決して粗末に扱われた事はない。
典医寺であっても奇轍の邸でも、そして今は宅まで下賜されている。
王妃媽媽からの一方ならぬ御寵愛、王様への拝謁も許されている。
暮らし向きは天界とは違ったとしても高麗で最上の待遇に違いない。
絹の布団、三度の膳、王様から頂く医仙としての俸禄。
天界でも高麗でも、泥水を啜るような赤貧を味わった事はなかろう。

呼んだまま無言の俺の次の声を、あなたはじっと待ち続ける。

この手の鬼剣を鋤鍬に持ち替えようと、釣竿に替えようと。あなたにそんな惨めさだけは味わわせない。絶対に。
死ぬまで護ると約束した。あなたの心も体も。
今のように分不相応な贅沢な暮らしは与えて差し上げられぬとしても、日々の暮らしの苦しさに喘ぐ事は無いように。

居間から漏れ来る灯の中、此方を覗き込む瞳を見つめて思う。

共に来てくれるだろうか。
今の身分も立場も失くし、農夫や漁師になった俺でも。
この後あなたに少なからぬ苦労を掛ける事になっても。

買い物が好きで、喰う事が好きで、楽しい事の好きな方だ。
全て辛抱させる事になっても、共に来てくれるのだろうか。
本当に身も心も護ってやれるのか。倖せにしてやれるのか。

あなたさえいれば、俺は他に何も要らない。
あなたが喰う飯、寝む床。
あなたが雨風を凌ぐ庵があればそれだけで、俺には過分な倖せだから。
己の進む道は絶対に変えられぬと判っていても。
「・・・イムジャ」
「うん」

高麗どころかこの世に並ぶ者無き天の医術をお持ちの方だ。
王様はあの折約束して下さった。この方を守って下さると。
俺が皇宮を出ようとも、反故にされる事はないと信じたい。
この方に一切の非はない。事の発端は総て俺の我儘なのだ。

あなたさえ医に邁進出来るなら、俺はどうなろうと構わない。
本来はあの時皇宮を出る筈だった。それが叶うと思えば良い。
何をしようと喰っては行ける。あなたが困らねばそれだけで。

その覚悟もなく王様の御言葉に逆らうなど、臣下としては許されん。
それでも譲れぬ道だからこそ、全て考え尽くした上での反発だった。

「・・・役目を辞します」

その声にあなたが小さく息を吸い込んだ。

 

*****

 

音もなく降る雨に打たれ、今年の終いの芍薬が揺れている。
王妃媽媽の朝の拝診を終えた医仙は、媽媽の御召物の御袖を整えゆっくりと笑って頷いた。
「媽媽、昨夜はよくお休みになれましたか?」

何もかもお見通しという事なのだろう。
媽媽は御背を正されたまま、窮するように御目を御膝へ落とされる。
返る御声がなき事こそ、何よりもの御答。医仙も心得たように微笑んだままで頷いた。
「王様とご一緒に起きていらっしゃったんですね?王様のご体調も、後でキム先生に確認しておきますね」
「・・・医仙、大護軍より何かお聞きになられましたか」

王妃媽媽の小さな御声で、微笑んだままだった医仙の顔が曇る。
「あの人は役目を辞すって、それだけです。何があったんですか?」
「王様は御自身が裏切ったと。何があったのかはおっしゃらず」

その遣り取りからも結局の処、正確な状況はまだ判らない。
早朝に捕まえ探りを入れた内官長殿も、何が起きたか全く判らぬ始末。

攻める方角を見極め兼ねて、雨音に紛れ息を吐く。
昨夜の王様の御様子から、何か重大事が起きたとだけは判るものを。

 

 

 

 

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