2016再開祭 | 黄楊・拾肆

 

 

朝からの霧雨もすっかり上がった夕刻。
宅の門でチュホンの背から降りると同時に、手綱を預けたコムが母屋の方を目で示した。
「チェ尚宮様が、先程からヨンさんを待って」
「・・・用件は」

思わず眉間に深い皺を刻んだ俺に、コムも戸惑ったよう首を傾げた。
「詳しくは伺えませんでした。今はタウンがお相手を」
「判った」
この方の小さな手を握り下馬を手伝いつつ頷くと、鞍を降りたこの方が困り顔で俺を見上げる。
「私のせいかも」
「いえ」

昼の騒動の所為だ。宅まで乗り込んで来るとは思わなかった。
息を吐き、正面突破の覚悟を決める。
「イムジャ」
「なに?」
「とにかく余計な口は開かず」

小さな手を握り締めて歩く母屋への敷石の径。
その先の気配を探れば、葉擦れの音に交じり届く切れ切れの声。
という事は居間内ではなく、縁側か庭で待ち構えている。

さて。茶碗が飛んで来るか、罵声が先か。
この方を背に隠し母屋の庭先へと薬木の葉影を廻りこんだ途端。
「寿命が縮んだ!!」

俺達の姿どころか気配を察知するが早いか、その声が飛んだ。
まずは茶碗でなくて有難いと思っておくべきだろう。
「・・・俺の所為では」
「お前の所為に決まっておろう!畏れ多くも王様が義兄だなどと」
「ああ、それは媽媽です、叔母様」

咄嗟に庇った背から顔を覗かせ、俺より先にこの方が答えた。
「私と媽媽で王様にお会いしに行った時、媽媽がおっしゃいました。姉の相手はお義兄さまですねって。
そもそも叔母様を母上代わりっておっしゃったのは王様です。だから心を開いてお話するようにって」

・・・俺も叔母上も与り知らぬ処で、そんな恐ろしい話をされたのか。
こうして伺っても肝が冷える。そして叔母上は俺以上だろう。
「姉、義兄、母」

叔母上は握る茶碗を投げつける事も忘れたように、茫然と呟いた。
「ウンス・・・」
「はい、叔母様?」
「それがどういう意味を持つか、よもや判らぬとは言うなよ」

恐ろしい唸り声に、焦った様子でタウンが仲裁に入る。
俺と叔母上との間に身を割り込ませ
「隊長、一先ず」
「悠長にしている場合か。こ奴はお前達の勤め先を見つけた後で邸まで引き払おうとしたのだぞ、タウナ!」

怒りは収まる事を知らぬらしい。
叔母上は仲裁に飛び出たタウンを睨み、大きく振り上げた腕の指先で真直ぐ俺を指すと吐き捨てた。
しかしタウンはそんな声も何処吹く風というように微笑むと
「大護軍、ウンスさま。何処に行かれようと、一緒に参ります」
そんな馬鹿な事まで言い出す始末だ。

「そんな訳に行くか」
「自分らの食い扶持は稼げます」
「そもそもお前が予め話を通せば起きずに済んだ騒動だ。判ったら観念して、包み隠さずに吐いてしまえ!」

王様のおっしゃる通り、口煩いのは母の役目か。
しかし此方も確かめたい事がある。手の内を明かさぬ限り事の全容は聞けまい。
観念するしかなさそうだと安全な距離を取り、背後へ首だけ振り向ける。
先ずはこの方を安全な場所に。
「イムジャ」
「なぁに?」
「先に着替えを。俺は叔母上と話が」
「・・・うん、わかった。すぐ戻って来るわね」

宥める為か励ます為か。小さな掌がこの背を一度撫でてから離れる。
その足音は庭の敷石を踏みながら宅の玄関の方へ遠ざかって行った。
「話せ」

あの方の小さくなる背を横目で確かめ、まるで仁王像のような叔母上の両目が改めて俺を睨む。
「もう判っているだろう」
「それでも聞いておかねば、気が済まんからな」
「・・・昇格だ。上護軍」
「断わったわけだな」
「当然だ」

タウンが気を利かせ厨へ去った縁側に、今宵は叔母上と腰を据える。
同じ縁側でも並んだ相手は、昨夜とは雲泥の差だ。
「邸も引き払うつもりだった。役目を辞して居残る訳にはいかん。
あの方を連れて、小さな仮住まいの庵でも見つけようと思っていた。
そこで漁師でもやろうと」
「成程。そこがお前の失態のひとつ目だ」
「・・・叔母上」

俺の不機嫌な声に動じる人ではない。叔母上は目だけで先を促した。
「理由は後でじっくり教えてやる。で」
「昨夜のうちにあの方へ伝えた。役目を辞すと。朝はチュンソクに。
役目を辞す事、邸を出る事、あの方は残るように説得すると」
「何故昨夜のうちに、ウンスを説得しなかった」
「一度に聞いても混乱する。俺が辞するとなれば共に来ると駄々を捏ねると思った」
「ふん、それがふたつ目だ。で」
「それで全てだ。あの方に残るよう説得する為に彼方此方探したが、見つかる前に叔母上と会い、あの騒動が起きた。
先に王様に拝謁する事になった」

叔母上は此方を見、無言で息を吐いた。次は此方の攻める番か。
「叔母上」
「何だ」
「ひと芝居打ったろう」
「今更気付いのか。遅すぎるな」

開き直った顔で平然と頷かれれば、それ以上確かめる必要もない。
「一度口にしたら撤回は効かん。もし先に王様の御耳に届けば」
「王様は既にお聞き及びだった」
「何だと」
「それをお伝えする為に王妃媽媽と医仙が康安殿に伺ったのだ。私がお前と会っている、同じ頃にな」
「叔母上!」
「いきなり怒鳴るでない、煩い男だ!」
「どういう事だ」
「媽媽が引き受けて下さったのだ。御自身が私の役を解いたと王様にお伝え下さった。御自身の御判断だと」
「何を考えている。王様を騙したと露呈すれば、王妃媽媽の御名誉は地に堕ちる。今後その御声が軽視され兼ねんぞ!」

それ程危うい橋だった。王様と王妃媽媽の御話が万一外へ漏れれば。
「内官長らも噛んでいたのか」
「いや、誰にも何も報せておらぬ。王妃媽媽と私とウンス三人だけの芝居だ。知る者が増えればそれだけ綻びが生じやすくなる」
「賭けか」
「そうだ。内官長、迂達赤隊長、副隊長、万一不忠な者が居れば今頃王妃媽媽の御威光は地に落ち、王様の御英断も笑われておった。
そんな事は決して許されぬ故、私は本当に役を辞していただろう」
「正気か!」
「怒鳴るなと言ったろうが!!」

いよいよ堪忍袋の緒が切れたらしい叔母上は、素早くこの頭に速手を飛ばした。
叩かれる刻すらも惜しい。正気の沙汰ではない。
俺を止める為だけに王妃媽媽の御名誉も、自分の首も賭けるなど。

「よく憶えておけ。これ程肝を冷やせば、忘れる事もないだろうが」
叔母上は声を改めると、雨上がりの暗い庭先で俺を見た。
「最早お前の一存で進退は決められぬ。お前は不満この上なかろうが。
人に慕われ、頼られるとはそういう事だ。面倒ばかりが増えていく」
「・・・ああ」
「大護軍から上護軍でこの騒ぎだ。将軍ならばこれ処では済まんぞ」
「有り得ん」
「いや。どうやら本当にそうなるようだ。ウンスの天の預言によるとな。私も信じ難いが、上将軍までと」

あの方は王妃媽媽の御部屋で一体どんなまじないを使ったのだ。
まさかそんな出鱈目を、叔母上までが信じるとは。
どんな天人とて読み間違いや憶え違いはある筈だ。
当の本人がこれ程固辞しているのに、如何して上将軍まで昇格する。

「戯言は良い。今日の仔細を教えてくれ」
二度と騒ぎを起こさぬ為に。何処からこの芝居を思いついたのか。
正確に誰が裏で糸を引いたのかを知らねばならん。
次に本当に役目を辞す時の為に、同じ轍は二度とは踏まん。

俺の問い掛けに観念したか、叔母上はひと息大きく吐き出した。

 

 

 

 

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