2016 再開祭 | 紫羅欄花・伍

 

 

「大護軍」

空は春の終わりの明るさ。
中天から僅かに西へ傾いた陽の下、康安殿へと足早に急ぐ。
坤成殿近くの回廊で、後ろに武閣氏数人を従えた人影と擦れ違いざま低く呼ばれて。

早晩捕まるだろうと思ってはいた。
しかし今は困ると思わず眉が寄る。
「後だ」

首を振り回廊を歩き去ろうとした俺の手首を、獲物を捕える鷲の爪の鋭さで狙い澄ました指が掴む。
そして寸分の狂いも無く、骨が軋むほどに握り上げられる。
大した力の無い女人ゆえに、関節を決める技は人並み外れて優れている。

そのまま回廊の隅へと引き摺られ石段へ放り投げられ、階の角へ強か腰を打つ。
「・・・相変わらず乱暴だな」
「相変わらずの間抜けが相手だからな」

打った腰を押さえるこの声に冷たく返る声。
叔母上は石段に腰を下ろしたまま見上げる眸を、立ち尽くしたままで睥睨した。

陽が高いうちに向かい合い言葉を交わすのが、あの方で無く叔母上とは。
息を吐いた俺に、叔母上は呆れた顔で腕を組む。
「奇家の者共は見つかったか」

前置きも無く、武閣氏隊長の声で問われる。

「探している。何しろ本貫は鄙だ」
「手裏房でも武閣氏でも使え」
「探し出しても北方強化は変わらん」
「人を増やせ。お前が一人でどうこう出来る範疇ではない」
「王命だ、チェ尚宮」

武閣氏隊長に向け、俺は大護軍として返す。

「奇家一門の粛清。元の襲来に備えた北方警備の強化。皇宮で最も耳の早い武閣氏隊長なら判ろう」
「だから飯も喰わずに毎晩夜中まで動き回っておるのか、ヨンア」
「知っているなら行かせてくれ。今から王様にご報告がある」

吐き捨てて石段から腰を上げると、叔母上が鋭い目で睨み返す。
「馬鹿につける薬は無いな。天界の医仙にも無理だろう」
「・・・あの方はお元気か」

名を聞くだけで、胸が締め付けられた気がする。
大きく息をついた俺に、無情にも叔母上の首が横に振られる。
「元気だと思うか」
「テマンたちは、そう言っていた」

回廊の隅。
射し込む初夏の陽が、叔母上の溜息でたちどころに翳ったように見える。
呆れられるのも仕方ない。気まずさに叔母上から眸を逸らす。
そうだ、こうして眸を逸らしてばかりだ。向き合わねばならぬ事から。
「お主自身では確かめぬのか。誰かが元気と言えばそれで良いのか」
「頼む、叔母上。禅問答する暇は無い」
「せめて飯は食って欲しいそうだ。今宵から夕餉は迂達赤へタウンが運ぶ」
「何の話だ」

思いもかけぬ申し出に逸らした視線を戻すと、叔母上は腹立たしそうに小さく唸った。
「宅に用意した膳に箸をつけぬと、ウンスが今朝坤成殿で訴えて来た。
どうにかして食べて欲しい、体が心配だと。
お主に頼む時間も無く、冷めたものを食べさせるのは心苦しいと。
しかしタウンや夫君がお主の帰宅を待てば、却って負担になるだろうとな。ヨンア」
「判っている」

判っている。あの方がどれ程心を痛めているのか。どれ程淋しいか。
俺とて逆の立場なら、許されるなら典医寺へ駆け込んで直談判する。
無理にでも座らせ、この手で箸を握ってでもあの口に飯を詰め込み、喰い終えるまで見届けたくなるだろう。

あの方がそうせぬのは俺の役目を薄々勘付いているからだ。
そして俺がそれに応えられぬのは、王命という名分の為だ。
ご自身で来れば尚更俺の負担になると、判っているあの方が愛おしい。
心底愛おしくありがたく、そして心苦しい。

「タウンの来訪は止めさせててくれ。足を運んでも会えるとは限らん。
此処で無駄足を踏むなら、宅であの方を守って欲しいと伝えてくれ」
「それ程切羽詰まっておるのか」
「ああ。奇家の粛清で、奇皇后がどう動くか読めん」
「・・・王様にお願いするか。別の者でも成せる処があろう。奇一族の捕縛なら官軍でも禁軍でも」
「ただの罪ではない。謀反の大罪だ。その場では斬れん。
王様の近衛、迂達赤が動くのが大義だ」
「まあな」
「北方の鍛錬はゆくゆく他の者に任せるとしても、まずは国境隊長と話を詰めねばならん。
今すぐに他の者には任せられん。武器防具の移送もある。
元の宮廷に潜らせた密偵は誰であろうと露見するわけにいかん」
「聞けば聞くほど、お主が動かねばどうしようもないという事か」
「ああ」

誰かに預けられるならば、俺一人きりで此処まで動き回りはせん。
あの方を夜中まで一人にする事も、気配に気付かぬ程眠り込む事も。
そんな暇があるくらいなら、喜んであの文に返答を書くだろう。

誰より顔を見たいのは、逢って触れて詫びたいのはこの俺自身だ。
それでもこの山を超えれば片が付く。奇家一族さえ捕縛すれば。
奇皇后に露見する前に、一挙に終える必要がある。
大きな事になる前に、此方から謀反の証を突き付ける必要がある。

国境隊との話が終わり、鍛錬の目途がつき、開京との連絡方法が決まれば終わる。
その時には心から謝る。出来る全てを穴埋めするから。
だからもう少し。もう少しだけ、待ってくれ。

薄明るい回廊を歩き始めた俺を、もう叔母上が止める事は無かった。

 

 

 

 

7 件のコメント

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    さらんさん、こんばんは。
    叔母様も兵だから分かってるんですよね。
    止められないって。
    ウンスの気持ちも分かるけど、王宮勤め故に分かることもあるだろうし、ヨンがやらなきゃならないって事も分かってるから…
    小さな事の積み重ねで、ウンスの心にも影が掛かってきちゃったし心に隙間が出来ちゃうよね。
    ヨンも分かってるけど今はどうする事も出来ない。
    辛いですね…

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    叔母さまの言葉でさえ拒否するヨン…
    もう少しだけ、待ってくれ。
    その言葉を、ウンスに言えば良いだけなのにねぇ(–;)
    待つことの辛さは、誰よりもヨンは知ってるのに困ったものですね(-_-;)

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    忙しいのは 分かるけど……
    ほんの少しの亀裂が 大きな物になっていく
    其れを はやく思い出して欲しいな……
    どんなに お互いを理解し尊重しあっても
    たった一言の 言葉が大事だったり
    するのにね……
    本当 今のヨンには 何が一番大切か見えてないのね…
    ウンス 頑張れ‼︎

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    うん
    後から謝ろう…すっごい謝ろう…うん、わかる。((φ( ̄ー ̄ )すっごい、わかる…。(。_。)φけど…
    現代と違って、夜のない世界と違うから、便利な日常品もないから、長く待つ時間は替えが効かない。(;>_<;)
    どれだけ疲れているかもわかる…。頑張っているのもわかる…。秘め事なのもわかってる。
    だから、ウンスには痛い…大切な人だから。(;>_<;)
    本当に、現代だったら
    優れ物の日常家電が大働き、夜時間のある時に、食事用意して冷蔵庫、電子レンジでチン、サラダも新鮮…なっ食事、温かいお風呂…
    起きてないと、傍に居ないと何にも直ぐに用意出来ない。明かりだって、つけられない。(;>_<;)
    出来ていたはず…。でも此所では望んでも出来ない。貴女のせいじゃない。でもあったらと気にやむ…。大切な人の為に。
    く~っ、健気だ…。
    後から…。後の付けって高いんだよー。それは其れ、これは此れ。仕事も家庭も待ったなし。だヨン。(⌒‐⌒)
    追伸…。(⌒‐⌒)
    お手ての御加減いかがですか?ギブスの後、筋肉筋つっていませんか。
    沢山、楽しいお話読ませて頂いてます。感謝しておりますが。無理しないで下さいませね。(’-’)

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    王命
    これほど重い任務なのね
    一番大切な人を 一番守りたい人を
    一番傍にいたい人に 淋しい思いをさせ
    心配をさせるほど
    ウンスの心が 心痛と淋しさで
    押しつぶされる前に 安心させてあげて

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    心配、淋しい、どうしたらいい?
    ウンスの想いが痛いほど溢れています。
    心配をかけて申し訳ない、淋しい思いをさせてしまい・・・。
    ヨンの想いが痛々しくて胸が痛い・・・。
    二人の心と身体がかみ合わないもどかしさに、どうしようもないです。
    今日も暑い1日です。安寧にお過ごしください。

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