2016再開祭 | 花簪・拾

 

 

あれ程厳しい鍛錬を付けたら、暫くの間鍛錬と歩哨以外では使い物になるまい。
疲れ切り重い体で、泥のように眠っているだろう。
そう踏んでいたが、食堂に近付くごとに大きくなる男らの話し声。
時に上がる笑い声が混じるそれに足を止め、部屋の扉を細く開く。

中を覗けばあの方は十名ほどの兵と椅子を突き合わせ、車座を組み話し込んでいた。
「本当に夜は真っ暗なのね。昨日もびっくりしちゃった。
夜お手洗いに行く時に、部屋のタンスの角に思いっきり足の小指ぶつけて」
そんな茶化した痛そうな話に、男らが一斉に笑う。

「夜は暗いものです、医仙様。お気をつけ下さい」
「でもこれだけ暗いと、よく眠れるのかしら。寝る時に部屋が明るいのが苦手な人っているものね」
「自分は暗いと眠れないです」
「・・・そうなの?」
「はい」
「そうかー。でも朝はきれいでびっくりしたわ。あの川、あ・・・あ」
「鴨緑江ですか」
「そうそう、あの大きな川までずーっと見渡せて。行ってみたいな、ここから近い?歩いて行けそう?」
「歩くには少々骨です。馬ならば。大護軍にお許し頂ければ、鍛錬の合間に誰かが御伴します」
「行ってくれるの?」
「勿論ですとも」
「でも向こう側は元でしょ?怖くない?」
「川辺まで下りるのは危険ですが、防壁の手前ならば」
「近寄っても平気?」
「はい。常に仲間の兵も配備されておりますから」
「そうなのね。国境だもん、守備は厳重よね」
「ええ」
「今回は無理かもしれないけど、次は絶対に行きたいわ」
「はい。朝陽も見事ですが、夕陽も美しいですよ」
「ああ、きれいでしょうね」
「お前は物好きだな」

他の兵が呆れた声で言った。
「俺は暗くなってからは近づけん」
「やっぱり怖いの?」
「いえ、あの川の音が苦手で。暗くなってから聞こえる川音が・・・」
「そうなのね。故郷に川はなかったの?みんなは実家はどこ?」
「自分は海州です」
「どんなところ?」
「海辺ですから、魚が良く獲れます。それくらいしか取り柄がない」
「俺は西京です」
「西京も大きな町よね?」
「でも実家が貧しかったので。今の田舎暮らしの方が豊かです」
「寧州出身です。皆よりは近いですね」
「頻繁に帰れる?」
「いえ。帰ろうと思わないです」
「そうなの?」
「他の皆も我慢していますから。皆と共に居た方が安心ですし」

・・・何かがおかしい。そこまで話を聞きながら、その会話に首を傾げる。
病の事でなく、怪我の事でもなく、ただ茶話を交わしているだけだ。
約束を反故にして茶飲み話をする為に、わざわざ部屋を抜けたのか。

実家話が始まった車座を扉の隙間から眺めていると、あの方より先に扉から吹き込む風に気付いた兵の一人が慌てて立ち上がる。
「大護軍!」
気付いた他の奴らも次々に席を立つと、俺に向けて頭を下げた。

「大護軍、お疲れさまです」
「どうかされましたか」

その車座で未だに図々しく椅子に座ったままの方を連れ戻しに来た。
危うく正直に言いかけて声を呑む。
あの瞳。約束を破っておいて、詫びる気など毛頭ないとばかりに顎を上げ、言葉以上に雄弁に語るその目付き。

今こうして見つけたのは、もしやとても間が悪かったかもしれん。

此処まで来て初めてそう思いつつ、見つかった以上連れ戻さぬ訳にもいかぬ。
部屋へと踏み込む俺に諦めたよう、ようやくあの方は椅子を立った。

 

*****

 

「心的外傷後ストレス障害」
「・・・何です」
部屋から出た途端、俺の横でこの方はぼそりと呟く。
問い質す前に庭へ出で短く指笛を吹くと、闇に紛れた二人の影がすぐ飛び出してくる。

「見つかったんですか」
「良かった、医仙」
「騒がせた」
「いえ、大丈夫です」

奴らは揃って安堵の息を吐き、俺達に一礼した。
「明日は早い。休め」
「あ、あの、大護軍」
テマンが何か言いたげに、俺とこの方を見比べながら声を上げる。

「・・・一先ず話してからだ」
「はい」
言いたい事は判っている。明日予定通りにこの方を開京に返すのか。
そう尋ねたいのだろう。返す。しかし車座での顛末を聞いてからだ。

この方もこうまで繰り返し抜け出るからには、追い返される覚悟は出来ていると見える。
暗い廊下を寝所へ戻る道すがらも、詫びは疎か言い訳すら一言も口にする気配すらない。

寝所の扉を開け中に入るや否や、先に部屋の中へ入ると卓へ腰掛け真摯な瞳が俺を見る。
「分かってる。すごく怒ってるわよね。でもひとまず聞いて」

判っているだろう。その顔を見れば此方も判る。
差し向かいの椅子に腰掛け、無言で対面のあなたを眺める。

「難しい話だからどこから始めればいいか分らない。ポイ・・・要点は3つ」
卓に細い肘を突き、顔の横に広げた小さな掌の一本目の指が折られる。
「出来るだけ早く、ここの医官を開京に呼んで。期間はそうね、最低6か月。昼の間に話して目星はつけてある。
名前を聞けなかったから明日の朝、あなたか国境隊長さんに医局に付き合ってもらって教えるわ」
「何の為に」
「心療士になる為。細かく言うとキリがないけど、心の治療よ」
「・・・心」
「そう。臨床期間では十分とは言えないけど、専門の訓練を受ければ心理士として見込みがありそうな人。
来てくれれば私が直接教えるわ。2つめ」

一つ目の提案に此方が否とも応とも返す前に、二本目の指が折られる。
「戦争の・・・なんて言ったらいい?期間。あなたの好きで決められるわけじゃないのは知ってるわ。
相手次第だってことも。だけどこれは特にあなたに覚えておいて欲しい。
出兵してから帰って来るまで、同じ人を使い続けるのは、長くても最長45日を目途にしてくれない?
それ以上長引くなら、兵士を入れ替えるくらいの覚悟でいてほしい。
特に上官クラスじゃなく、下の人に気を付けてあげて」
「四十五日」
「うん。1か月半。6週間。それが兵士の戦力が発揮できるマックスよ。それを超えると士気も能力もガクンと落ちる。3つ目」

最後の三本目の指を折り、あなたは俺を見ると掌ごと突いていた肘を降ろし、両膝に揃えた手を置いて頭を下げた。

 

 

 

 

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