2016再開祭 | 昊天・中篇

 

 

奴が立ったまま喰うのを頑なに拒むなら、俺もそうして許される。
「何だい、あんた急に大人しくなって」
マンボがどう声を掛けようと。

「ヒドさん、もう食べないんですか?」
女人が幾度そう尋ねようと。

そして大切な弟が視線で幾度頼もうと喰いたくない。

腕を組んだままで東屋の外に響き渡る蝉時雨を聞く。

蝉が寂しいのは忘れる程長く昏い処で生きた後、最後の力を振り絞り明るい陽射しの許で鳴くからだ。
空は青く、夏は暑く、太陽は明るい。そんな事など思い出さずに静かに居れば、その方が寧ろ倖せだ。
何も最後の力を振り絞り土を破って表に出て来る事も、ほんの短い間だけ太陽の許で鳴く必要もない。

この世は熱く明るい事を知る事だけが倖せとは限らない。
昏く冷たい土の下に、生まれた時から埋まっていたのだ。
一生其処しか知らなければ、自分の不幸を知らずに済む。

もしも知る事が倖せなら、知った後の刻の短さこそが不幸だ。
倖せの頂点で木から落ち、薄羽を広げ真黒い目を開き、蟻に集られる姿が哀れだ。

さまざまな蝉声の重なる蝉時雨。
時雨とはよく言ったものだ。烈しい雨のように降るその声の中
「あ」

背の向こうで心地良さげな声がする。
東屋に重く淀んでいた空気が、吹き始めた風で流されて行く。
「気持ち良い」
「・・・冷えます」

それで素足を拭ったのだろう。
奴がその横へ戻った時には、女人は身支度を整え行儀良く沓を履いていた。
奴は足許の桶を持ち上げて東屋を出で、そこに咲いていた夏草に桶の水を撒く。
長い腕で振り回す桶から撒かれる水は陽射しに光り、見る間に乾いた白い土を黒く染める。
奴は空になった桶を下げ、そのまま裏庭へ廻って消えた。

風に揺れる葉の丸い水玉が滑り、葉先から滴って落ちる。
水の重さで撓った葉が戻るまで確かめてから腰を上げた俺を
「あ、待ってヒドさん!」
慌てて女人の声が呼び止める。

「何だ」
「せっかくだからあの人にも食べてもらいたいんです。もう少しだけ待ってもらえませんか?」

そう言って奴の椀を引き寄せ、灰色の麺に酢をかけて解す。
「ヒドさんもあの人もお酒が好きだから。飲むなって言いたくはないんです。だからこそ、ちゃんと食べないと。
高麗のお酒は強いって、自分で身を持って知ってるし」

独り言のように呟きながら丁寧に麺を解し、その目が俺を見ている。
「ヒドさんを止めるのは、飲んじゃいけない時間帯に飲むからです。夏の真っ昼間だけは本当にダメです。
私の頃だって、それが原因で熱中症で運ばれてくる患者はたくさんいたんですから。
点滴出来ない状態だと命に関わる事がありますから、甘く考えちゃダメです。
まずちゃんと食べて、基礎体力を付けて、お酒は適度に、正しい時間に。
そういう意味でも季節の食べ物や解毒作用のある食材は、積極的に勧めたいんです。
それにみんなでご飯食べるとおいしいでしょ?」

事ある毎に飯を喰えと煩いのは、実は飯でなく他のものを腹に入れろと言っている。
喰う者の体への思い遣り。材料を選ぶ智慧。拵える手間。
そして共に卓を囲む者らと交わす、ひと時の言葉や笑顔。

その先まで考えるのは俺の役目ではない。裏の井戸へ桶を片付けに行っている男のやる事だ。
共に飯を喰い、互いに心を配り、己の力の限りで護る。
そうして最後まで共に居たいから選んだのだろう。俺から見れば到底理解出来ない生き方を。

束の間の奴の不在の間に顔色を確かめれば、先刻の赤みは引いた。
麺の力か、水桶の力か、それとも背で護られた力かは知らんが。
それで良い。真赤な顔でぐったりされては奴も気が気でなかろう。

小さく吐いた息と同時に近付く気配に視線を流す。
「ヒド」
太陽にくっきりと濃い影を足許に伸ばした奴が、裏庭から大股で戻りながら呼び掛ける。
「待たせた。行こう」
「・・・喰え」

女人が煩く言う前に卓上の椀を指した俺に、奴が首を振った。
「いや、風があるうちに片付けたい」
「良いから黙って喰え」

弟に喰えと言っておいて俺が喰わぬわけにもいかん。
何しろ腹に入れるのは不気味な色の麺だけではない。
成程な、だから頂きますと言うわけか。
智慧を、手間を、ひと時の笑顔を。実や草を、奪った鳥や獣や魚の命を。
神や仏は信じない。道を悔い改めるつもりもない。それでも
「頂く」

込められた心を。その思い遣りを。
頭を下げた後に再び麺を口に入れると、ヨンは眸を眇め首を傾げた。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    初めて見るものを口にするのは勇気が入ります(^_^;) ましてや見た目が…我が子もそうです。でも健康を考えて作る親心、ウンスも大切な家族のために作ったんですね♡
    その心を受けて、未知のものを口にしようとするヒドさん!カッコイイです♡

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    この暑さで、ついつい忘れがちになる、大切なこと思い出させていただきました。
    食べるまでに、かかる手間暇、そして何より、尊い命を、頂いていると、言うこと!
    何より大事な事ですね。

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