2016再開祭 | 花簪・拾壱(終)

 

 

「勝手に出歩いてごめんなさい。だけどこれ以外の方法は私には見つからない。精神状態を知るにはカウ・・・直接、話すしかなかったから。
話して分かった。心が疲れてる人が多いわ。心的外傷後ストレス障害は私の世界の心理学を学ぶ人間なら誰でも知ってるけど、判断基準があるの。
乗り越えるにはまず患者の努力が必要よ。心理士側は訓練が。少しでも早く始めた方がいい。戦が始まれば、それどころじゃなくなる。でしょ?」

この方も焦っていた。俺が焦っていたように。
そしてあの時の声が耳奥に蘇る。

─── 体だけじゃなく、心も守って。

下げた頭を上げた後、額から落ちた前髪を掌で押さえるようにもう一度卓へ肘を突き、紅い唇を噛み締めて。

「あなたの手が震えた時のことが忘れられない。愛する人の悲しい姿を見ながら、愛してるのに何も出来なかった自分の無力さも。
あなたは乗り越えたわ。きっと私が考えるよりずっと大変な思いをした。誇りに思うわ。
私は側にいて抱き締めることしか出来ないけど、絶対変わらないものがここにあるって、いつでも伝えたいの。
それが嫌なら無理強いはしない。どこにいても、ずっと待ってることに変わりないから。
でもね、傷を抱えてる、まだ治っていないみんなにはそれを言っちゃいけないの。
最初は自分で心のSOSに気付いて、段階的に適切な治療を受けて、言うのはそれからにしたいの。
あなたをいつも愛してる人がいるよって、教えてあげるのはそれから。そうじゃなきゃ、自分も相手も結局はその傷でもっと苦しむ事になる。
それが心理学的なメソ・・・方法、で、アプロー・・・何て言えばいい?」

難解でややこしい。けれど言いたい事は判った。
まず正面から傷に向き合い、乗り越えてから相手に心を伝えろ。

この方は俺にねだったように、俺にもいつでもそうして下さる。
そして教える。愛している。間違っていない。信じた道を行けと。
この体の傷を治すだけでなく、見なかった、見えない振りをして来た心の傷も手の震えも、抱き締めて癒した。御自身の命を顧みず。

俺だけではない。この方に関わった者は皆が救われている。
畏れ多くも王様と王妃媽媽の御心と御体もが救われている。
同じ事を兵にも伝えたいのだろう。
抱き締める腕を増やす為に、医官を呼び寄せ鍛錬をするつもりなのだろう。
何故ならこの方が医の腕でどれだけの心を救うとしても、細い両腕で、温もりを感じる近さで抱き締めるのは俺だけだから。

「判断基準は詳しく話せないの。あなたのフラッシュバックが怖い」
「ふらっしゅばっく」
「それはこの際良いのよ、ヨンア。考えないで。大切なのは私たちが一緒にいるところや楽しそうな姿を見る事。
スキ・・・統合・・・ああとにかく、別の病気では悪影響の可能性もあるけど、PT・・・っ!」

この方も相当辛抱していたのだろう。
声を詰まらせると急に席を立ち、額に落ちる前髪を押さえていた手で長い髪を搔き毟る。
「もう、心理学用語の説明ってどうしてこうめんどくさいのっ!!」

この方が椅子を蹴り立った瞬間に伸ばしていた腕で、小さな両手を掴まえて止める。
やると思っていた。
駄目だ。これは俺のものだからそんな風に乱暴に扱うのは許さない。
心も体も俺だけのものだから、俺以外が傷つけるのは我慢できない。

両腕で押さえた掌をそのままに、卓を廻りこの方を腕に包み込む。
大丈夫だ。大丈夫だ。そう伝わるように胸に抱き締める。
大丈夫だ。全て上手く行く。俺がいるから。あなたがいるから。
全て上手く行く。いつかまた皆きっと心から笑えるようになる。

「家族療法っていう治療法があるのよ。抑鬱状態が顕著な時に用いる事が多い治療法の1つなの。
みんなが会えないから私たちも会わないっていう選択肢が最高とは限らないのよ、ヨンア。
家族がそれぞれの役割を自覚して、抱き締めたり、ただ話を聞いたり、揺らがないのが治療の効果を高めることもあるの」

あやすように腕の中で揺らすと、あなたの声も揺れた。
「先に言えば良い」
「だってみんなと話すまで、PT・・・とにかく、心が疲れてるって判断が出る心理状態かどうか分らなかったもの!」

家族。父には父の役割が、母には母の、子には子の役割が。
父は家長として全てを背負い、家族を脅かす外敵と戦う。守る為に。
母は家族を愛し、抱き締め癒す。いつでも其処に居る。家族の為に。
子は愛と守りを受け育たねばならん。やがて未来の家を背負う為に。
そして父と母の睦まじさがあってこそ、子は安心して健やかに育つ。

それが家族なのだとしたら、俺は。そしてこの方は。
常に揺らがず役割を果たす姿を見せねばならんなら。
家族と離れた奴らの心の傷を癒すのも、家族の姿なのだとしたら。

「本当に、その療法は有益ですか」
「私の世界ではグループセラピーや、家族同席でのカウンセリングが行われるくらいよ。臨床で有効だって立証されてるわ」
「判りました」

揺らされてようやく落ち着いたあなたは、しばらく癇癪を起こす事はなさそうだ。
抱き締めていた両腕を解いてそっと離しても、確り両脚で立っている。
その横の卓に飾られた、一輪挿しの中に咲く花簪。

そういう意味だった。
斬り合いを知らぬ暢気な天人だからではなく、母の愛が飾らせた一輪の花。
それに気付く事の出来なかった俺が、気の利かぬ間抜けだったという事だ。

そう認めて口に出すのは悔しい。父としての威厳もある。
俺の視線に気付いたこの方は笑って言った。

「キレイでしょう。花がキレイだって思えればまだ大丈夫なのよ。それは外の世界に興味がある、目に入ってるって意味だから」

医官としての心遣いが飾らせた一輪の花。
それはもう一度抱き締める為に伸ばした腕の起こす風で揺れた。

 

*****

 

「大護軍、おはようございます!」
「おう」
「おはようございます、大護軍、医仙様!」
「おはよう、よく眠れた?」
「はい、ぐっすり」
「大護軍!あ、医仙様!良かった」

賑やかな事この上ない。この方が食堂に姿を現した途端、この騒ぎだ。
よく判った。お前らは本当に見たかったのだ、こうして二人並ぶ姿を。
「待って!」

食堂に踏み込むや小さく叫ぶと、あなたは一人の兵へ声を掛ける。
「ここどうしたの?」
「あ、医仙様。昨日矢場で・・・掠っただけです」

その兵の腕貫から覗く手の甲に鋭く目を走らせ、次にそっと触れ
「ちゃんと消毒した?ただの擦過・・・かすり傷にしては深いわ」
「いえ、この程度なら、あの」
「行ってね、誰か医局にいるから。それとも私が引っ張ってく?」
「い、行って参ります!」
「約束よ?ご飯食べたら行って。見てるわよ?」
「はい」

叱られて困ったやら嬉しいやら、そいつは複雑な顔で頭を下げた。
周囲もその声に笑いながら、早々に飯を終え朝の鍛錬に備えている。

「大護軍、医仙様、おはようございます。こちらへ」
食堂の奥で席を立ち、国境隊長が笑っている。
「あ、おはようございます!」

この方はその隊長の声に伸びあがって手を振り、奥へと進みながらも途中で度々足を止め
「今日はきちんと全部食べられそう?」
「おとといの傷、ちょっとだけ見せて?」

そんな風に話しかけるばかりで、なかなか辿り着けん。
「・・・判った」

根負けして低く唸ると、周囲の奴らも、そしてこの方も俺を見た。
「医仙、必要な奴には鍛錬の合間に声を掛けて下さい。お前らも傷が酷い時は、声が掛かる前に医局に行け」
「はい!」
「良いの?!」

家族なのだろう。これ程嬉しそうな奴らと、あなたの顔を見れば判る。
血を分けた家族に会えぬ時にも、此処にはもう一つ大きな家族がある。
揺らがぬ事。父は父として、母は母として、子は子として。
息子として、兄として、弟として、変わらぬ礼節と則がある。

「いやあ、奴らも大騒ぎだ。ここ一両日、御二人揃った姿が見えずに気を揉んでいましたから。騒ぎについては叱っておきます」
ようやく辿り着き腰を降ろすと、向かいから国境隊長が頭を下げた。
「・・・構わん」

すぐに俺達の前に配膳兵が駆けて来る。
「おはようございます!大護軍、医仙様。今朝餉を」
その顔は昨夜の車座の一人だったと思い出す。そしてこの方は俺より早く気が付くと
「おはよう、ちょーっとごめんね?」

有無を言わせずその手首に指を伸ばして血脈を取る。
いきなり手首を握られて目を剥く奴を尻目に
「うん。昨日はよく眠れた?」
「は、はい、医仙様と話した後は」
「よかった。あのね、実は今日から、食堂で出してほしいお茶があるの。誰に相談したらいいのかな」
「それでしたら俺から厨番に話しておきます。茶ですね」
「ほんと?助かるわ、ありがとう。後で材料持って来るわね」
「はい!」

この方の礼に誇らしそうに頷くと、頬を赤くして奴は厨房へ戻る。
その姿はまるで、母に褒められた時の子とそっくりだ。

本当に厭になる程変わらない。揉めようと、また一歩近づこうと。
何処に居ようとこの方は、この方でしか在り得ない。
周囲の目など我関せずで、仕来りも則も飛び越えて。
いつでも高麗最高の医仙、天の医官、俺のユ・ウンスでしかない。
「・・・大護軍も、気苦労が絶えませんね」

国境隊長が気の毒そうに、俺に向かって小声で呟く。
「父とはそういうものらしい」
俺のふて腐れた声に奴が首を傾げる。
そうだ、此処で俺以上に父というなら
「お前はもっと苦労する。何しろ父の背は重い」
「・・・俺には、まだ子はおらんのですが・・・」

ああ、こいつにも家族療法とやらを教えねばならん。
そして女房役は、責任感に溢れるあの国境副隊長か。
武術指南だけでも刻が足りんのに。
「隊長」
「は」
「お前、物覚えは良い方か」

問いの意味が全く判らんという顔で、それでも奴は慌てて頷いた。

 

 

【 2016 再開祭 | 花簪 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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6 件のコメント

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    泣けます…
    暖かくて、優しくて、頼りになって、
    泣けちゃいます…
    国境の地、家族と、愛する人と離れて過ごす国境の兵舎。
    その地で、高麗を護るために役目を果たしている男たち。
    高麗を護る、それは、家族を、愛する人を護ることになる。
    ヨンは、ヨンなりに、その大切な兵士たちを思いウンスの行動に怒りを持ったけれど…
    ウンスも、ウンスなりに、ヨンの大切な兵士たちのために、ヨンに迷惑がられながらも、己の成すべき行動をとり続けたのね…
    実の家族や愛する人だけが、大切な家族ではなかったのよね。
    兵士たちは、ヨンを、父、兄、弟、とは違う大切な家族、頼りにする背中と思って崇めてきているもの。
    そんなヨンが大切にする方、その女性がウンスなのですよね。
    ヨンとウンスが、仲良くいてくれる姿を見ているだけで、安らぎを貰えていたなんて。
    ヨンに、厳しい鍛錬を受けることもうれしい。
    ウンスに、自分の体のことを気遣って貰えることもうれしい。
    ヨンが兵士たちの父なら、ウンスは、兵士たちの母だから、二人のいがみ合う姿より、睦まじくしている姿を見せている方が、心を労ることになっていたのですね。
    水がなくても、凛と咲く花簪。
    それに目がいけるうちは、まだ心にゆとりがある。美しいと感じる心が残っている。
    ヨンが、それを感じてくれて良かった。
    きっと、兵士たちも、二人が咲かせてくれた暖かいものに、心を和まされていますね。
    泣けました…

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    必ずウンスがやることには理由が、そして必ずそれはヨン絡みだった。そしてそして、信頼し合っているからとはいえ、謝るって難しいですよね。理由があるからこそ。それができるウンスはやっぱりすごいし、ヨンのみならずみんなに愛されるなあ。そしてヨンと男たちのお話素敵でした。私達が虜になる2人。やっぱり男たちにも愛されてるのは父母であるヨン&ウンスですね。

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    結局 話せば分かる…何事も
    ヨンの血圧が上がったり 下がったり
    早く言ってくだされば~ トホホなのね
    みんなの手本となる夫婦で いないとね~♥
    医仙は素晴らし~
    いいお嫁さんをもらいましたね。(笑)

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    お話しがここに至るまでにハラハラドキドキしました。二人が喧嘩してズーーーンと落ち込むのはヨンの方だもの。ウンスは立ち直りが早いから。

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    さらん様
    楽しく拝見させていただきました。
    結局、またヨンが折れたと・・・
    「勝手に出歩いてごめんなさい。だけどこれ以外の方法は私には見つからない」
     謝ってませんよね、これって(^.^)
    こんなセリフの言える性格になってみたいものです。
    謝ったり、反省しないウンスにイラつく半面、
    だから、ヨンからこんなに深く愛されるのかと、変に納得。
    これからも楽しませていただきます。
    ありがとうございました。

  • さらんさん、今は「花祭り」の最中ですね。読み手専門ですが、さらんさんや他の皆様のお書きになっているお話等を楽しんでいます。
    皆様、凄いな~と。
    令和になり、今日は5月5日。
    なんて場違いな時期のコメントと、自覚しつつ…
    さらんさんのお話は、どのお話も心に響き、何度も繰り返して読んでいます。
    この『花簪』も…
    因みに、ここでは2回目のコメント…
    高麗に、高麗の兵士に…だけでなく、
    現代の社会でも通用する「心」についてが、いつも胸を暖めます。
    先日「花簪」の花を買いました。
    『花簪』のお話を読み返すときは「花簪」の白く可憐な花をそっとなぜ、シャラシャラという花の声を聞いてからにしています。

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