2016再開祭 | 花簪・壱

 

 

「本当に鍛錬指南だけでいらしたのですか、大護軍」

目立たぬ部屋を用意しろ。隊長副隊長以外は同席するな。
俺の要請で隊長に案内された小部屋は、見慣れた軍議部屋ではない。

初めて入ったその部屋は、恐らく隊長か副隊長の私室だろう。
こざっぱりと整えた部屋隅は行李が幾つか積まれ、壁には槍と鎧が掛かっている。

其処に国境隊長と副隊長との三人だけで向かい合う。
何かを感じたのだろう、国境隊長は単刀直入にそう尋ねた。
あれこれ回りくどく訊かない処が良い。此方も内情を明かし易い。
「いや」
「何かありましたか」
「国境はどうだ」
「大護軍からの文が届いて以来注視していますが、静かなものです」

先に送っておいた書状を改めて卓上に差し出し、国境隊長は此方に問うた。
万が一途中で奪われる事も考え、今年国境への派兵はなしとだけ素気なく記した書状を確かめるように指で辿り、
「元に何か起きましたか」

ようやく直接この口から委細を伝えられると、俺は問いに頷いた。
「今年、元からの侵攻はない」
「戦にはなりそうもないという事ですか」
「ああ。国内の分裂で此方への派兵の余力はない。紅巾族も騒乱に乗じ、国内の足場固めをしているようだ。内偵から報せが来た」

腕を組んだ俺に向かい合った隊長は眉を顰めた。
「皇帝はともかく、奇皇后がこのまま黙っておりますか」
「何れ反撃はある。今年でないというだけだ」

奇皇后の恨が簡単に晴れると思えん。
兄の奇轍を亡くした逆恨み、高麗駙馬王という御立場で己より目下の王様が双城総管府を閉鎖し、元への反旗を翻した今。
トゴン・テムルが政を顧みる事なく酒色に溺れる以上、奇皇后の頼みの綱は実子のアユルシリダラのみ。
次期皇帝として立てる為なら、どんな策でも弄して来るだろう。
生母としての権力を笠に、挙兵を企てる可能性もないではない。

それには乱れた国内の政敵を倒すのが先決。高麗にまで手が回らんのが実情だという。
その国内の荒れ方に、紅巾族も鴨緑江を超える前に身内の敵を倒す好機を狙っている。
密偵が探っても現在は高麗への侵攻の気配無しと、同じ報せだけが幾度も届く。
「元国内が荒れた分、鍛錬の刻が稼げる」
「それを知らせに来て下さったのですか」
「委細を知らねば不安だろう」
「いえ」

国境隊長は不敵に笑う。その頬の刀傷が引き攣れたように歪む。
「大護軍から一文あれば充分です。理由などどうでも良いですよ」
副隊長も同意するように大きく頷いて見せる。
「暫くはご滞在頂けますか」
「国境の様子も見たい。王様の御許しも頂いている。数日は居る」
「せっかくですから暇が許せば、本当に鍛錬を付けて頂けませんか。兵らも皆あの通り、楽しみにしています」
先刻の騒ぎを思い出すように、副隊長は視線で扉外を示した。

「・・・酔狂だな」
「俺達はなかなかお会いできないので。こんな好機は逃せません」
弾むような声で言った後、ふと気付いたように
「ご滞在中、医仙様は・・・大護軍と、御一緒の寝、所で構いませんか」

言いにくそうに妙な処で言葉を切りながら、副隊長が耳を赤くした。
「何しろ、女人はお迎えする機会が全くないので」
「お前らも家族がおろう」
「いえ、兵の家族が此処へ来る事はありません」
「たまには呼べ」
「とんでもないです、却って足手纏いになるだけですから」

頭を振る副隊長の横で、国境隊長が頷いた。
「ですから大護軍御夫妻は、俺達の希望です」
隊長の声に副隊長も嬉し気に同意する。
「常に共に居られる。己を守るのも精一杯の戦場で大護軍がどれ程強いご覚悟か、兵なら誰でも判ります」

護りたいから、三歩の距離にいたいから。
そんな理由だけで常に共に居る、それは許される事なのか。
生涯懸けて護ると誓った、その身も心も。
但しそれを口実に常に傍に置く、それは不公平ではないか。
兵達は家族と碌に会えぬまま、国境を守っていると知っているのに。
久々に会う我が子に泣かれ、好いた女に逃げられてまで。

愛する者と共に居たい、それは男も女も兵も民も等しく願う事だ。
俺だけに許されるべきではなく、俺達だけが享受すべきでもない。
確かに戦場にまで連れて行くには危険が伴う。
天の医術を持つあの方は、軍医として無くてはならぬ方。
キム侍医が皇宮に残るのであれば、迂達赤の出陣の折には連れて出る名分もある。

しかしあくまで戦か、若しくは王様か王妃媽媽の御幸が前提だ。
此度のような通常の鍛錬に連れ出し、周囲はそれをどう見るか。

新たな鍛錬の指南書を懐から取り出し、目立たぬように息を吐く。
兵に大切な者と過ごさせたいと言いながらこうして酷な鍛錬を課し、誰よりそれを妨げている俺があの方と二人の姿を晒すなど、無神経にも程がある。
現在の眼目は兵力の増強。新兵を受け入れ人を増やす事、今居る兵を限界まで鍛え上げる事。
それ以外にこいつらを戦場から無事返し、愛する者と共に過ごす刻を増やす手段を俺は知らない。

指南書を指先で弾き、眸の前の卓上、先の書状の横へ据える。
「これが腹案。最新の鍛錬書だ」

その声に隊長が一礼してから書を手に取り、慎重に最初の頁を繰る。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

1 個のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    戦いなんて無い世の中ならば
    愛する家族と 離れ離れに生活することなど
    無いのにね 
    名分はたつものの ウンスを連れて歩けるのは
    幸せなことだわ。 置いてくのも心配だしね
    何があるやら わかりません。
    ウンスがやらかすか… 巻き込まれるか…
    置いとけない (w_-;

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です