2016 再開祭 | 春夜喜雨・廿玖(終)

 

 

「では大護軍」

一通りの武器と鎧を確認し終え、チュンソクは頭を下げた。
「自分は一足先に失礼します。王様へご報告を」
「頼んだ」
「はい」

鍛冶から受けた試用の弓を詰めた矢筒を背負い、奴はその場の皆に深く頭を下げた。
「此度は本当にありがとうございます。
開京に戻り次第、王様にお見せすれば改めて報せがあるかと」
「畏まりました」

鍛冶は無言で嬉し気に頷き、長がそう言ってチュンソクに頭を下げた。
「道中お気をつけて。またいらして下さい」
「はい」

頷いたチュンソクに続いて、セイルがゆっくりと微笑んだ。
「此方の文を、王様へお渡し頂けますか。今後工房で作れる武器と鎧の量を試算してあります。
完成した武器防具の、開京への運搬についても」
「お預かりします」
チュンソクはセイルの手から親書を受け取り懐へ仕舞いこむと、確かめるよう上から押さえた。

「チュンソク隊長、気をつけてね。私たちも出来たらすぐ帰る」
大きく笑んだこの方が明るく言うと
「医仙」
「うん?」
「くれぐれも、無茶は・・・」

言い辛そうにそこで声を止めたチュンソクに、この方は笑った。
「分かってるってば。心配しないで」
その声を聞いて、チュンソクの目が此方を見る。
黙って頷くと、奴は頷き返してもう一度頭を下げた。
「では、失礼します」
「門まで送る」

門番の男が短く言うと、部屋内に残る面々に向かい軽く大斧を掲げて見せた。
「俺は隊長を送ったらそのまま門衛に戻る」

部屋の隅、階を降りて行くチュンソクと門番を見送りながら
「さて、では医仙の御用を聞きますですよ」
鍛冶は言って、部屋の隅の卓に腰を下ろした。

ようやく漕ぎ着けた。
息を吐く俺の横この方は嬉しそうに頷くと、手にしていた荷を鍛冶の目前で開いた。

 

*****

 

「お疲れさまでした、大護軍」

春の遅い日暮れ。まだ空は明るいまま。
西空へ傾いた夕陽が、静かな村の中を染めている。
鍛冶屋の前庭。
熱気の籠った風から逃れ、共に出て来たセイルと二人、並んで大きく息をつく。

庵の土壁、その屋根の茅葺、庵を隔てる柴垣。
村を囲み、守るよう枝を広げる雑木林。
全てが紅い景色の中で、セイルは静かに言った。
「厠の土が足りて、何よりです」
「肥桶を担がず済んだな」
「担いでも何という事はありません」

むきになる横の若き領主の声に頷くと
「しかし本当に御所望されるとは。どう効果があるのか、お話を伺った今でも」
首を傾げるその姿に喉で笑うと、正直に伝える。
「俺にも判らん」
「そうなのですか」
「あの方は読めん」

それでも医に関し、間違った事は決しておっしゃらん。
そして俺の為、俺の周囲の者たちの為にならぬ事は絶対にせん。
それだけは判る。あの方はそういう方だ。
無駄に人を動かさん。ご自身で黙って勝手に動く事はあっても。

そして赤子のような歩みなのに、俺の為に走ろうと無茶をする。
その無茶に眸が離せず、転びそうな足許に掌を差し出したくて。
だから俺は。

言葉を止めた俺を見つめ、セイルは静かに天を仰ぐ。
端正なその横顔も、夕陽は分け隔てなく染め上げる。
良く晴れた春の夕空を無言で眺め、セイルは視線を戻すと言った。

「霖雨蒼生と申します」
「・・・ああ」
「まさしく大護軍と医仙の事です」
「そんな大層なものか」

鼻で笑う俺に、横の領主は首を振る。
「降る雨はそんな事を考えぬのでしょう。御二人も同じです」
「買い被りだ」
「そうでしょうか」

愉し気に言うと、周囲の林にその目を投げて
「先日の春霖雨の前には、竹はあれ程伸びておりませんでした。
木々の葉も、あれ程青々とは茂っておりませんでした」
男にしてはしなやかな指が、夕景を鮮やかに切り取る木々の影を指す。

「喜雨の後には、目に見えて伸びるものです」
「ああ」
「この村の民が、あれ程に心を傾けるのも。冬中鉄を打ったのも。
そして私が早馬を飛ばして、王様へ文を奏上したのも」
「もう良い」

もう良い。弓と鎧が出来た。この若い領主と巴巽村の尽力で。
あの出来なら王様はさぞお喜びになる。
兵達はこれ以上重い鎧に悩まされずに済む。

その分これから新たな弓の鍛錬が待っている。
乗り越えればまた強くなれる。愛する者の許へ戻れる奴が増える。
育った兵がこの村を、より強固に守る事も出来る。

喜雨は地を潤し、愛しい者を濡らし、そして緑を育む。
民の全てに等しく降る雨。その雨のように等しく降るあの方の心。

此度作った道具を握って、またあの方は跳び回る。
侍医や医官たちに使い方を教え、一つでも救える命を増やす為に。
そんな命が何処かにあれば、駆けて行って最善を尽くす。
夜の陰でどれ程泣こうと、心を痛めようと、朝になればまた笑う。

雨上りの朝に射す、陽のような明るさで。

そしてそんなあの方を護れるのが、俺だけなのだとすれば。
俺はあの方の好きな雨になる。雨になってその頬へ落ちる。
その頬に落ち、そして微笑ませたい。
泣いているなら、その涙を隠したい。

霖雨蒼生の志など無い。ただあの方を濡らす雨になる。
凍った俺を救ってくれた雨のよう、いつもあの方を暖める雨に。

「大護軍」

夕空を見上げていた俺に、横のセイルの声がする。
眸を戻し奴を見れば、奴は俺を見つめ返してゆっくりと笑んだ。
「夏にはまた、お二人でいらして下さい」
「そうだな。その前に領主殿や鍛冶たちに開京へ足労願う。王様よりお褒めもあるだろう」
「・・・王様」

隠そうとしても何処か不満げな、その声の響きに眉を顰める。
「如何した」
「鍛冶は、嬉しいでしょうか」
「セイル」
「鍛冶や長や、何より私は」
「良いか」

これ以上の声は不要だ。言わせるべきでは無い。
「霖雨蒼生と言ったな」
「はい」
「その雨は、何処から降る」
「・・・はい?」
「人の目は目の前に生える草を見る。その草を育んだ雨を眺める。
しかし雨は、何処から降る」
「それは・・・天からです」
「そうだ。全て天の在る故だ。雨を降らすのも、草を育むのも」
「大護軍」

この若く賢い領主なら、言いたい事は分かるだろう。
「大き過ぎて時として見失う事がある。雨や草だけが全てでは無い」
「天が降らせ、育むのですか」
「そうだ」
「・・・それでも」

若く賢く、頑固な領主。
奴は口を結んで夕焼けの中、真直ぐな目でこの眸を正面から捉えた。

「それでも私は雨を信じます。草を育ててくれるのはその雨だと。
天は等しく頭の上にある。それでも雨が降らねば、草は枯れます。
ただ頭上に在るだけでは、天は何もしてくれません」

さて、この頑固な領主をどう天の味方に付けるか。
少なくとも雨が有り難いとだけ感じているようでは、未だ途は遠い。
息を吐き頭を振り、先ずは告げておく。

「・・・時には、雷も落とす」

俺の内功を知らんセイルは、此度は完全に意味が判らぬのだろう。
いきなりの声に不得要領な顔で、此方の顔をじっと眺めている。
「ヨンア、ちょっと来てー!」

その呼び声に背を振り仰げば、鍛冶屋の二階の窓からあの方の顔が覗いている。
「2人で涼んでるの?もうちょっとだから一緒に付き合ってよ」

笑いながら危うげに窓から乗り出す細い体。
その小さな両手が懸命に俺を手招く。
窓枠から遠慮なく離した両の手。今にも落ちそうで見ておれん。
あの方なら俺だけを見て平気でそんな粗相をしてしまいそうで。
流石にその高さから降って来れば、受け止め切れる自信が無い。

「戻る」

それだけ残し脱兎の如く鍛冶屋へ飛び込む俺の背後。
珍しいセイルの大きな笑い声が、鉄打ちの騒音よりも確りと届いた。

 

 

【 2016 再開祭 | 春夜喜雨 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

11 件のコメント

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    チュンソクも ホッと一息
    キョンヒ様が待ってるね。
    いや 王様が…かな? f(^_^)
    ヨンは ウンスから 目が離せない
    愛しいし、 見飽きないし、心配だし…
    はやく 側に行かないと
    身を乗り出して 手をふりそうね
    はやく つかまえてー!

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    ヨンの、揺るぎない志とウンスを想う心と、すごくステキなお話で、感動です♡
    さらんさんは、すごい才能を持った人と、あらためて感動です♡
    ありがとーございます(//∇//)
    次のお話が、楽しみです(^^)

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    「喜雨」という言葉にも、深く慶ばしい意味があり、それだけでもこの梅雨時の雨を嬉しいものに感じていました。「霖雨蒼生」苦しんでいる人々に救いの手を差し伸べ、民衆の苦しみを救う慈悲深い人・・。セイルが、ヨンとウンスにそれを感じるのは、正しくその通りの二人だから、とても納得できます。
    でも、「その雨を降らすのも、降った雨で草が育つのも天があるからこそ」と、ヨンは等しく頭の上にある、天である王の置かれる立場を伝える。
    確かに、天は、そこに在るだけでは何もしてくれません。雨も降らなければ、草も育ちません。それでも、等しく頭の上にある天は、荒れることもあるけれど、等しく民を見つめ、時に民を助ける雨を降らします。
    さらんさん、私は「霖雨蒼生」と言う言葉、恥ずかしいことですが、この歳になり初めて知りました。自分の人生を振り返り、この言葉に合ったことをほんの少しでもできたことがあったのか・・。
    さらんさんはあります。今までのたくさんのお話を通し、私たち読み手に「感動」を届けてくださいました。そしてこれからも、私(たち)は、いただくつもりです。
    この言葉を知り、ヨンとウンスをますます頼もしく、また、愛しく思えます。二人には、これからも高麗の鬼神ヨンと、軍や民の女神ウンスとして、強く、時には優しい雨を降らして欲しいです。
    私にとっても「春夜喜雨」のお話で心が洗われました。これからできることは少ないかもしれませんが「霖雨蒼生」という言葉を知り、それに恥じないように、少し頑張って生きていこうかな。

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    今回も凄く凄く素敵なお話(*^^*)
    さらんさんの頭の中はいったいどうなっているんだろう?と思うほど毎回感嘆するばかりです。
    領主に対するヨンの心配もわからなくは有りません。
    ですが、今回のお話読んでいて胸のすく思いでした。
    だって、大将軍ヨンとウンスがいなきゃあって皆んなが思ってくれているのがやっぱりほら!嬉しいのです(≧∇≦)
    さらんさんにはヨンとの関係は、飲み友、旦那、はたまたサンドバック?のようですが、私は何が何でも恋人、旦那、愛人、そして抱き枕が理想なのです(*^^*)
    ナムジャはやっぱりヨンみたいな尊敬出来る人が良いですねぇ~。っていかんいかん途中から妄想の世界に…(^_^;)
    ではではこれからも楽しみにしております。

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    春夜喜雨29最終話までありがとうございました。
    セイルさん、ヨンさんウンスさんを慕いすぎてヨンさん困ってマスネ(;^_^A
    ヨンさんを心配させたり、困らせたりするのは猪突猛進ウンスさんだけで十分ですよネ(≧∀≦)
    ところで、お身体はいかがでしょうか?あまり無理なさらずにご自愛下さいネ(*⌒▽⌒*)

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    【春夜喜雨】完結お疲れさまでした。
    さらんさんが紡ぐ、言の葉のひとつひとつが心に響き、心が洗われるような気持ちです(^^)
    さらんさん❤
    本当に素晴らしいお話を
    ありがとうございますm(__)m
    新章も楽しみにしております(^-^)

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    さらん様、抜歯のその後いかがですか?って、連日UPくださってるのにね~すみません(/ω\)大丈夫ですか?
    ありがとうございます&お疲れ様です。
    春夜喜雨・・終わりました!!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
    大好きな女鍛冶さん、領主様(名前どうしても思い出せず悶々としてました)セイル!!そうでした!
    この章のヨンとの会話、心の中・・もう最高の相性ではないですか!!そしてヨンさん!セイル領主は貴方にそっくりですよ・・若く賢く頑固な領主・・守る対象のスケールこそ違え、民の為本当に深い思いを抱く。
    まあヨンにはウンスと言う何者にも換え難い稀有な存在はありますが(`・ω・´)ゞ
    女鍛冶さんとウンスちゃんの掛け合いもっと見たかったな~と欲深おばさんの心ん中スミマセヌm(_ _ )m
    しかし・・さらん様の日本語力半端ない!一体なんで知ってるの?「りん雨蒼生」→「りん」PC変換出ない~
    もしや明治生まれの学者さんでは(爆)m(_ _ )m
    本当に、いつも素敵なストーリーを見事な言の葉を心洗われる世界観をありがとうございます。
    続いていく沢山のリク物語、楽しみにしてます。

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    さらんさん♥
    春夜喜雨 全29話を、一緒に楽しく
    旅させて頂き、ありがとうございます。
    親知らずの痛みや治療にも関わらず
    日々、素晴らしいお話をお届け下さった
    さらんさんに比べ…、
    仕事に忙殺され、なかなかコメントも
    お送りできない体たらくな私。
    死なぬ程度に鍛錬したくらいでは
    追いつきません(;´Д`)。
    ですが、ヨンとウンスは何年経っても
    どこに行っても新婚旅行のように
    初々しくて♥♥
    ウンスのこととなると
    周りが目に入らなくなるヨンが
    たまりません。
    鬱陶しい季節ですが、どうぞ
    ご自愛いただき、
    また素敵なお話を生み出してくださいね♥

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    さらんさん、おはヨンございます!
    春夜喜雨お疲れ様でした。
    徳興君が隠した手術道具からヨンの悋気や欲に打ち勝とうとする姿 、そして揶揄われるヨン❤️
    皇宮にいる時とはまた違った二人が見られて嬉しかったです。
    霖雨蒼生 本当にまるで二人のようですね。
    王様を護り民を想い、慈悲深い二人ですものね。
    ウンスは医術でヨンは剣で。
    素敵なお話でした!

  • SECRET: 0
    PASS:
    二人での旅 あっ!プラス1
    チュンソクも一緒だったわね
    ウンスはご機嫌この上なく
    ヨンは任務とはいえ 常に無邪気な
    横の方に気をとられ…
    何とか 任務は無事に終えそうで
    後は医療道具のみ
    さぁチュンソク早く帰らないと
    なにせ大切なキョンヒ様が待ってるわ

  • SECRET: 0
    PASS:
    春夜喜雨・全29話ありがとうございました。
    杜甫の春夜喜夜に感銘を受け、さらん様ワールドの喜雨を読んでみたくてリクエストしました。
    ラストがとても奥が深く何度も読み返しました。
    霖雨蒼生
    苦しんでいる人々に、救いの手を差し伸べる。
    セイルの思う霖雨はヨン、ウンスであり、民の苦しみを救う慈悲深い2人だと。
    民を救う雨は天から降る。
    その天は王様。余りに遠い存在に感じるセイルには王様が霞んで見えるのですね。
    霖雨蒼生の志はなくても、ヨンの存在が周りには霖雨なのですね。
    ウンスが好きな雨。護る為にその雨になり暖める。
    まさに春夜の喜雨。
    さらん様の表現が本当に素敵で、お話に惹き込まれます。
    喜雨をリクエストして本当に良かったです。
    ありがとうございました!!
    コメントをする迄は先に進まぬと意固地になり…これからやっと次のお話を読みます。楽しみ~(♡>艸<)

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