2016再開祭 | 花簪・陸

 

 

一輪挿しの花簪が、乾いた音で揺れる部屋。
水を注さぬのかと尋ねたらこの方は答えた。

乾燥した土地に咲く花だから、花の水分がうんと少ないんですって。
咲いてる時から天然のドライフラワーみたいなものだから、こうして飾っておいても長持ちするの。

頷いた麒麟鎧の肩に小さな頭を凭れかけて。

いちいち水を替える手間がないし、放っておいても大丈夫なのよ。
あなたやみんなが辛くて大変な時に、少しでも心が休まるといいな。
花一輪でも、こういう場所で見るとホッとするでしょ?

揺れる広葉の花簪。殺風景な兵舎の部屋内に優し気な彩を添える。
それを心の拠り所にすると思えるこの方はやはり天人だったのだ。
戦も斬り合いもない平穏な世しか知らぬ、浮世離れした方だった。

そしてこの方は立ち上がり、窓外を確かめてこの指を引く。
ほんの僅か望める、窓外に動き出した早朝の兵舎を眺めて。

訓練が厳し過ぎるから、みんなの生傷が絶えないわ。
昨日1日でも、擦過とか打撲とか。少しは手加減してあげて?

明けたばかりの朝。これから日暮れまで土埃塗れの鍛錬が続く。

鍛錬に手加減などすれば戦場で迷惑を蒙るのは奴ら自身だ。
生死の狭間では鍛錬の手加減が結局は奴ら自身の仇となる。

そんな事すら判らずに、暢気に花を飾れる方だった。そして俺自身がそれを許して来てしまった。
ただ愛おしく泣かせるのが辛く、悲しませたくない一心で。見せるべき事、伝えるべき言葉も足りず。
泣き顔は見たくなかった。伝えれば傷つけるのが怖かった。
それが結局、この方自身の仇となる事にも気付かずに。

無言のままの俺を訝しむように、あなたの瞳が上がる。
その瞳を見つめ返せず、一輪挿しを眺める振りをする。

梅雨の晴間、窓から入る微かな風に揺れる広葉の花簪。

 

*****

 

「静かだな」
俺の声に並べた馬の鞍上で目を細め、国境隊長が頷いた。
「確かに。全く人の気配がありません」

濃さを増した緑の夏草の向こう。対岸の元が見える近さまで寄っても、人影は一切見えない。
近付く蹄の音に驚いて慌ただしく叢を飛び立った鳥達が、鴨緑江の浅瀬を渡り対岸に降りた事でも判る。
其処には通り掛かる者は疎か、身をひそめ気配を殺して此方を警戒する兵もいないのだと。

鴨緑江の穏やかな流れ。
雪解けに続く梅雨も半ばも超え、夏の颱風が国境まで上って来る事は滅多にない。
夏を超えれば秋の長雨、そしてその後には厳しい冬が来る。

水が落ち着いた以上、動きがあるとすればこの時を置いて他にない。
夏に差し掛かる今全く動きがなければ、密偵の報告は確実という事だ。

「警戒は緩めるな」
「はい、大護軍」
これ以上確かめる事はない。手綱を引いてチュホンの首を戻し、隊長の馬と並走で兵舎へ戻る。

 

「大護軍、隊長」
兵舎の門で俺達二頭の手綱を受けた兵が、頭を下げて姿勢を正し言い辛そうに切り出した。
「先程から、迂達赤の方が大護軍をお待ちです」
「何処だ」
「矢場で鍛錬中ですが」

予定通りなら朝の鍛錬の真最中だ。怪我か事故かと眉を寄せると
「・・・医仙様の件で、と・・・」
その一言で門兵の遠慮がちな態度の理由が判る。
足早に鍛錬場へと向かう俺の背に、隊長も門兵もそれ以上の言葉なく無言で頭を下げた。

 

「大護軍」
国境基地の広い矢場、入って行く俺を目敏く見つけたテマンが寄って来る。
「医仙は」
「そ、それが・・・」
「何処だ」
もう限界だ。あの方には通じてなどいなかった。
あの時部屋に居ろと、どんな気持ちで伝えたか。
何の為に散策にあんな霧深い明け方を選んだか。
聞き入れずにまた好き勝手にうろつき、門兵を始め兵舎中を動揺させた。

「へ兵舎の、医局に。医は自分の役目だから、外出じゃないって」
「そう言ったのか」
「は、はい、でも」
「庇うな」

そうやって周囲が庇えば庇う程、甘やかせば甘やかす程。
天人だと祀り上げれば上げる程、周囲を見渡す目が曇る。
「休まず続けろ」
それ以上何も言わずに矢場を出て行く俺を、テマンは黙って見送る。

客人ではない。あの頃とは違う。客人ならば帯同などしない。このまま天門まで担いで行って返してやる。
客人ではなく高麗にいると選んだのなら、則に従うべき時がある。
ご自身の命だけではない。兵の命もまた等しく重いと、知っていると信じていた。

もしその鍛錬を邪魔立てするなら、奴らを見殺しにするも同然だ。
刀を握らず矢も放たず、槍を振らずとも。だからこそ罪は尚重い。
そんな道を二度と選ばぬと、知っていてくれると信じたかったが。

薬草探しも、医局の訪問も。判っている、俺の為なのだろう。
けれどあなたは今、他の誰より俺の為にならん事をしている。
それだけで今までの総てのあなたの努力が帳消しになるのだ。

俺の声に従わないだけなら我慢は出来た。しかし声に従わん事で、あの方は仲間の命を危険に晒す。
それだけは駄目だ。それだけは本当に許せない。
愛しさ故に許してしまえば、詫びても詫びきれぬ朋が増えるだけだ。

幾度か通った医局へと近付けば、開いたままの窓からでも判る。
一人で喋り捲る高い声。それに返る相槌はひとつとしてない。
恐らく医官らはどうして良いのか判らずに、役目を邪魔され手を止めて、遠巻きに茫然とあの方を眺めているのだろう。

典医寺とは違う。天人のあの方の扱いに慣れた者などいない。
国境隊だけに限らない。郡の医官は殆どが男ばかりで、トギのような女人の医員薬員などまずいない。

兵の事は判らぬと言い訳をするなら、同じ医官ならどうだ。薬草を準備し、薬湯を煎じるのを邪魔していると判らぬか。
同じ目に遭ったら、出て行けと怒鳴りたくもなるだろう。そんな思いをさせておいて何故平然としているのかが判らん。

煮えくり返る肚を必死で宥めつつ、この足はあの方の声だけが漏れる窓に向かい、猛然と駆け寄った。

 

 

 

 

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