「チュンソク!」
大きな音で扉が開くと同時に部屋中に響く声に、慌てて横になった寝台から飛び起きる。
「何かありましたか、隊長」
こんな夜更けに何事かと身構えた俺に向け、珍しく息を切らせた隊長は血相を変えて言った。
「上階の厠」
「はい」
「暫し医仙の専用とする」
「判りました。兵たちに伝えます。風呂は」
「・・・お前、考えてたのか」
考えん方がおかしいです。そう言いたい気持ちを堪えて頷くと
「鍛錬後の泥だらけの兵が使う前に、一番風呂をお使い頂きますか」
念の為遠慮がちに確認しつつ、隊長の顔を伺う。
どうやらその答えは満足して頂けたらしい。隊長は小さく頷くと
「そうしろ」
とだけ答えてくれた。
「は」
俺の声に深く息を吐き、隊長は踵を返し大股に部屋を出る。
その後ろ姿が心無しか嬉し気に見え、思わず苦笑が浮かぶ。
悪い癖だ。考えて考えて、また考えて空回る。
こうして始まってみれば、思ったよりも円滑に進んでいく。
何より隊長が受け容れている。
医仙がいらっしゃる事であれ程に嬉し気な隊長が見られるなら、口を挟む事ではない。
アン・ジェ護軍との話の後の強張った隊長の表情が緩むなら、それだけでも医仙に居て頂く甲斐がある。
隊長の退室後に思わず吐いた溜息は、久々に気鬱ではなく安堵の息だった。
難しい人だからきっと医仙は気を揉む事だろう。
口の重い人だからなかなか肚裡が伝わりにくい。
それでもどれ程医仙を大切にしておられるかは、俺達にはよく判る。
それが上手く医仙に伝わる事だけを祈りつつ、寝台に横たわり直す。
妙な気分だ。寝台から見上げる天井の上に隊長と、そして医仙がいらっしゃる。
その光景が天井越しに透け見えてしまいそうで、俺は体の向きを変え寝台横の壁に向き合う。
これは気まずい。そんな千里眼など持ち合わせるわけもないのに。
上掛けを握ると引き上げて頭から被り、その下で硬く目を閉じる。
俺ですらこれ程動揺するのに、医仙と同室の隊長はどんな顔で夜を過ごすのか。
気を緩めれば邪な妄想に走りがちな頭を振る。
考えるな。考えるな。考え過ぎればまた空回る。
眼を閉じたままで首を振り、ただそれだけを幾度も唱える。
眠って起きれば朝になる。いつもの朝だ。そうでなければならん。
隊長もいつも通り、兵の皆もいつも通り、新入りが一人増えるのみ。
きっといつもと変わらん・・・だろう、恐らく。そうでなければならん。
*****
「・・・イムジャ」
低い呼び声に寝台の上、寝返りを打つ衣擦れの音がする。
「なあに?」
「灯は」
「だって、つけたままだと眠れない」
「・・・判りました」
ほの昏い部屋の中、月明りで見るこの方が近い。
その気配も息も香も、まるですぐ鼻先に感じられる。
「寒くない?」
「いえ」
「掛け布団、もらってこようか?」
「構わず」
「じゃあ明日もらってくる。もう秋なんだから、そんなんじゃ風邪ひいちゃうわ」
「俺は」
それきり声が続かずに、薄闇の中で互いに黙る。
眸が慣れれば窓からの月明かりを通し、此方を見詰める瞳に気づく。
「・・・何ですか」
「不思議な感じ。夜にこの部屋で、一緒にいるなんて」
「はい」
「ここにいてね?」
幾度も繰り返す不安げな声。
どう伝えれば判ってもらえるのだろう。何処にも行かんと。
あなたが居る処が俺の居場所だと。
それが判っているから、あなたも此処に来て下さった筈なのに。
「はい」
あなたも月に目が慣れたのか。頷く俺を確かめて初めてその瞳がゆっくりと緩む。
そして長い睫毛は伏せられ、最後に静かな声が届く。
「おやすみなさい、隊長」
おやすみなさい。そして朝になれば聞けるのだろうか。
おはよう、隊長。
こうして積み重ねられるのだろうか。最後の日まで。
まるで夢の中から胸に響くような、温かく丸いその声を。
おはよう。おやすみなさい。此処に居てね。離れない。
隊長、隊長と呼び掛ける、あの聞き慣れん呼び名と共に。
あなたは安心したのか此方を向いたまま、やがて健やかな寝息を立て始める。
その息が深く落ち着くのを確かめ、物音を立てずに三和土の床で身を起こす。
そのまま其処から眺める寝顔。まるで無防備に眠り込んでいる。
月明りが照らし出す白い頬、寝台に深い影を落とす長い髪。
俺の傍が一番安全だと選んでくれた事は嬉しい。
何処にも行くな、此処に居ろとねだってくれる事も嬉しい。
ただ余りに手離しで信用されればこの手も足も出なくなる。
心も体も護ると誓ったから、許し無しで何も出来なくなる。
結局こうして見つめるだけだ。窓から差し込む月に隠れて。
この寝息を聞き続けるには、秋の夜は長過ぎる。
明日の朝は未だ、気が遠くなる程の彼方にある。

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チュンソクも 気遣いお疲れ様
さすがね ( ´艸`)
テジャン、 テジャンって
呼ばれ続け ここにいてねなんて
言われちゃったら もう…
そりゃ 夜は長いわ
おはようテジャン なんて 言われたら
昼間も 長くなるわよ~ (〃∇〃)