此処まで言いたくないが、これ以外の言い方が判らず。
突き放した物言いは、そうせねば判ってもらえぬから。
甘く考えていた。この方はいつも結局周りを味方に付けるからと。
誰より状況を甘く見過ぎていたのはこの俺自身だったかもしれん。
誰一人俺達を責めずに、ただ笑って声を掛け慕ってくれるからと。
再び手に入れられた温かさに、家族の大切さに囲まれたいからと。
そして誰より命を重く考えるこの方なら、判ってくれるのではと。
再び朋を失ってみなければ思い出せんか、チェ・ヨン。
己の慾に走り、周囲を顧みずに無茶をして、この方さえ護れればそれで良い、他の事など判らぬと。
「連れて来たのが間違いだった」
「・・・え?」
「兵らは家族にも会えずに、国の為に此処に居る」
「それはそうかもしれないけど。でもみんな、文句なんて言ってないじゃない」
「上官に言えるか」
唯でさえ盲目的に俺を信頼する奴らだ。その俺がこの方を連れて来て文句を言う訳が無い。
但し口に出さぬから不満がない訳ではない。俺が率先して不平を助長する訳になどいかん。
それでは過去の腐った上官と何の変わりもない。
寧ろ奴らを死ぬ程鍛えている俺の方が罪が重い。
「なんで?私なら言いたいことはハッキリ言うわよ?そうすれば変な誤解もないし」
暖簾に腕押しだ。どう言っても此方の真意が伝わらん。
こうして話せば話す程、互いの考えの違いを思い知る。
疲れているから尚更に苛つくのか。
開京から北方へのこの方を連れた途。到着早々の隊長達との密談。
即座の鍛錬。国境隊の現状と兵力の確認にはどれも省けなかった。
明日から早朝は鴨緑江沿いを確かめる。どんな密偵の報告よりこの眸で見るのが最も早く確実だ。そして空いた時間は鍛錬に。
元の状況も何時変わるか判ったものではない。寧ろ今の平穏が奇跡。
元という大国相手に一旦剥いた牙なら、常に研いでおく必要がある。
地に膝を付き両手を上げて、惨めな降伏の姿勢を取りたくなければ。
それがあなたの笑える国を作る、そう信じているから焦っている。
一刻も早く兵を鍛えたい。開京に精鋭が集うのは仕方がないとしても地方の力量差を埋めたい。
特に守りの要、この北と南は絶対に。
それを滞りなく成し遂げる為に、兵の士気が落ちるのが最もまずい。
戦場ではどの医官より頼りになるのは間違いないが、この方の姿を目にして兵が動揺するのでは逆効果になる。
「私が嫌いってこと?」
「そうではない」
「じゃあどういう意味なの?あなたの言う事の方が分からない」
結局これだ。此方の意図する事など全く通じていない。
「同行する以上従って欲しい。俺だけでなくテマンやトクマンにも」
「いつだって従ってるじゃない!」
「勝手に部屋を抜け出てか」
「だからそれは、訓練が見えなかったからって言ったでしょ」
売り言葉に買い言葉。慣れていた、判っていた筈が。
言いたい事を言い、したい事をし、仕来りも周囲の目も我関せず。
それがこの方だと知っていて、受け止められると思っていた筈が。
事と次第に由る。今だけは如何あろうと隊を乱す訳にはいかん。
天恵のように訪れた束の間の空白、願ってもない鍛錬のゆとり。
国境隊、そして禁軍、官軍、要の拠点の隊から順に。その度同行し気儘に動かれては、規律も何もあったものではない。
誰より厳しくそれに従えと言う俺の横、この方が好き勝手に振舞えば、兵らとて到底俺に従う気にはなれんだろう。
それでも向かい合ったあなたにこれ以上どう伝えれば良いのか。
従わぬ限り鍛錬には二度と帯同しない。共に遠出する事はない。
あなたは物見遊山気分でも、兵の鍛錬には生死が懸かっている。
出るなと言った時には訳がある、出ずに部屋に居て欲しい。それを理解するのが、それ程難しいのか。
声も継げぬまま息を吐けば、言い過ぎたとでも思ったか。
「だって、心配なのよ。知りたいの。私が知らなかったのが理由で、あなたやみんなに何かあったらと思うと」
唇を噛み、珍しく押し黙るこの方にこれ以上何が言える。
叱責の言葉は咽喉元で止まり、この息さえも詰まらせる。
そんな仏心に絆されて、最後まで伝える事をしなかった。それが後々どんな結果を招くのかすらも考えず。
最後に溢れた己の声で、より深くこの方を傷つけるまで。
「とにかく鍛錬中は、兵舎をうろつかず」
それだけ伝えるのが精一杯で、そして頷いたこの方を信じた。
「・・・分かった」
返った声を信じ、此方の言い分を呑んだものだと思い込んだ。
そんな一筋縄でいく相手では無いと、重々判っていた筈が。
*****
開京から離れた北方の夏の訪れは遅い。朝晩の寒さは春の開京と変わらぬ程だ。
それでも一歩表へ出れば、広い庭に色鮮やかな初夏の草木が揺れる。
柘榴、梔子、夾竹桃。木槿、紫陽花、泰山木。
いつの間にか草木に詳しくなったこの方との、朝霧に紛れた散歩路。
濃白の霧より白く細い指が、目に留まる草花を次から次へと指す。
あれはホウヅキ。実の方が有名だけど。毒があるから気をつけてね。
ツユクサ。薬草でもあるの。鴨跖草は、下痢止めや解熱に使うのよ。
カタクリね。堅香子は食用だけじゃなく、擦り傷や湿疹にも効くわ。
そして一言毎に得意気にこの眸を覗き込み、褒め言葉を待つように。
判っている。天界からいらしたあなたがその知識を習得する為、陰でどれ程の刻と労力を費やしているか。
その刻と努力が誰の為のものか。
だからいつでも微笑んだ。言葉の代わりに頷いた。
判っている。あなたがそうするのは全てが俺の為、そして俺を支える奴らの為だと。
判っていても超えてはならん線がある。そして超えた時に苦しむのは、他でもないあなた自身だ。
返らぬ褒め言葉を待ち草臥れたか、あなたは唇を尖らせ歩き出す。
別の誰かが咎めるのなら、俺が咎める方が余程良い。俺が伝えて伝わらぬものなら、他の誰でも伝わらん。
そして俺がつけた傷なら、全て俺が癒してやるから。
「・・・イムジャ」
呼び掛けた朝霧の中。次の言葉を伝える前に、あなたは小さな声を上げてしゃがみ込む。
その足許に咲くひと群れの、霧より白い花の前。
ハナカンザシ。これね、ドライフラワーに最適なの。摘んでもいい?
兵舎外、鴨緑江の水面は朝陽を受けて薄茜から白金へと色を移す。
周囲が明るさを増す程薄れゆく霧。朝を迎える為に動き出す兵舎。
明ければ厭でも人目に付く。部屋へと促すよう、しゃがみ込み花を摘む細い肩に掌を掛ける。
そして失った。諭すべき声を掛ける機会を。

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