2016 再開祭 | 嘉禎・21

 

 

あらゆる赤の料理が盛られた皿が、所狭しと並ぶ卓の上。
俺には全く見慣れぬこの紅い洪水は、本当に喰い物なのだろうか。
「アジュンマ、ケランチム頼んでないけど」

その赤の中の黄色い大きな膨らみの載った皿を指し、この方は店の奥の女人へ声をかける。
「ああ、いいのいいの。サービスだよ」
女人がその声に鷹揚に応えると
「やったー!」
この方は嬉し気に叫び、鋼の匙を遠慮なく突っ込んで大きく掬うと口の中へと放り込む。
「・・・んんん~~!」
無言で唸る。ああ、美味いのだな。その顔と声とですぐ判る。
この方の好きな飯は、饅頭くらいしか思いつかなかったが。

「おいしい。最高。ヨンアも、はい」
そう言って渡された匙でその黄色い膨らみを掬い取る。
何故天界には、こう柔らかいものが多いのだろう。
宿の床。部屋内の長椅子。この方の投げたあの白い枕。
そしてこの黄色の膨らみ。食い物までが妙に柔らかいとは。

しかしこの方が喰う以上、俺も毒味をせぬわけにはいかん。
この方を真似て口に放り込み、その熱さに驚く。
汁物以外で高麗の飯に、これ程熱いものがあるか。
「熱かった?!」
この方が慌ててこの手に小さな硝子らしき杯を押し付け、翠の瓶から水のようなものを注ぐ。
「飲んで飲んで、はい!」

言われるがまま硝子の杯を勢い良く干し、次はその味に驚く。
「・・・これは」
「うん。焼酎」

この方は悪びれもせずに言うと、声をひそめて付け足した。
「ただし今の時代のね」
妙に薄めたような、それでいて舌に重いような。
俺の知る焼酎とは全く味が違う。慣れれば悪くはないのだろうが。

「・・・まずい?」
「いえ」
この方が飲む前で良かった。味は判った。それが救いだ。
己で知っておかねば、焼酎とは思えなかったかもしれん。
「じゃあ、私にも注いで」

飲むと言うた先刻の宣言通り、この方はそう言って透き通る杯をこの鼻先へ突き出した。

 

「・・・これは」
「これはねえ、ナクチポックン。食べてみる?気をつけてね」
「は?」
気をつけてねとは、出掛けにおっしゃる言葉だろう。
もう酔ったのだろうか。この方は卓に肘を突き、その真赤な塊をご自分の箸の先で摘まんだ。
「はい、あーん」
「いえ、俺は」
「あーーん!!」

口の前で手を振るが、この方の箸は手の甲を刺すよう卓向かいから伸びて来る。
諦めて口を開け、この方の箸先の塊を口に含んだ刹那。

鼻先をぶん殴られたような衝撃で、思わず杯に手を伸ばす。
焼酎で洗い流しても辛さが舌に残っている。何だ、これは。
「何ですか」
「ナクチ。タコよ。辛いでしょーぉ」

俺の低い抗議の声とこの方の大きなからかい声に、店内の者が此方を振り返り笑う。
そして店の奥の女人が心配げに
「お兄さん、大丈夫?お水持ってくからちょっと待ってて」
そう言って、大きな透明の瓶を運んでくる。

卓に置かれた瓶と女人に頭を下げ、向かいのこの方を睨む。
「御存知だったのですか」
「だからー、気をつけてって言ったじゃない!」
「ならば」

辛いと先に一言でも言って下さればい良いものを。
人にとっては鼻は急所だ。殴られれば涙も浮かぶ。
卓の下で拳を握り、履き慣れぬ沓で地を踏みしめて息を吐く。
その息までがまるで炎を吐いたように熱い。口中が痛い。
「こんな辛いものを喰うていらしたのですか」
「ああ、ナクチポックンは特別よ。私たちでも辛くて無理、って言う人が多いくらい辛いから」

と言う事は。
この方の声を聞きながら、改めて卓の上の飯を見渡す。
赤い野菜。肉。小皿の上の赤い味噌。
見た事の無いこれらは総じて、辛いと思った方が良い。

「辛いものがお好きですか」
俺の問い掛けに、この方はとろりとした瞳で笑んだ。
そして先程の辛い蛸を摘まみ、小さな口へ放り込み平然と噛む。
一体どうなっているのだ、その口の中は。

「うん。でもまだ唐辛子がない時代だものね。久し振りに食べた。あなたは?大丈夫そう?辛いもの」
「俺は・・・」
「あ、やっぱり苦手?あなたにも苦手な物があるのかぁ」
恐らく食べ慣れておらぬからだろう。
天界では鼻を殴られる程に辛いものばかり喰うているとは、思ってもみなかった。
これではこの方が高麗の飯に馴染めずとも当然だ。味が全く違う。

「済まぬ」
店の奥へ声を掛けると、先刻の女人が振り返る。
「どうしたの、お兄さん」
「この赤いものは」
「え?」
「これは、同じものが手に入るだろうか」

奥から身を乗り出して来た女人に、慌ててこの方が言い訳をする。
「ああアジュンマ、この人コチュカルを知らなかったから!初めて食べて驚いたみたいで」
「コチュカルを知らない韓国人なんているのかい!初めてがうちで、こりゃ嬉しいねえ!」
女人は人の好さそうな笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「気にいってくれたかい、お兄さん?」
「同じものが欲しいのだが」

頷いてそう言うと女人はしゃがみ込み、次に透明な袋にいっぱいの赤いものを詰めて、それを卓へと持って来た。
「ほら、これがコチュカルだよ。このナクチに使ったのとおんなじ。持って帰りな?」
そう言って差し出された袋は、結構な大きさだ。
「え、アジュンマ、いいの?」
手渡された袋に驚き、この方は袋と俺と、そして女人を見比べる。
「もちろん。こんないい男に褒められたらコチュカルでも何でもどんどん出してあげなきゃね。奥さん、上手に料理してあげてよ?」
「おいおいアジュンマ、俺たちがこんなに通ってもサービスしてくれないのになあ」

周囲の卓から、そんな冷やかしの声が掛かる。
「こっちのお兄さんとはお顔の出来が違うんだ、仕方ないだろ」
飛び交う軽口に沸き立つ店内で、卓向かいの瞳が俺を見る。
「ねえねえヨンア」
「はい」
「私は絶対許さないけど」

そう言って身を乗り出し、この方が低く言った。
「あなたその気になったら、すっごいホストになれるかもね」

その天界語の意味は分からん。口が痛くて繰り返す気にもならん。
しかし褒め言葉ではない事だけは、その視線と口振りで判る。
俺は黙ったまま、首を横に振った。
この方が機嫌を損ねるのだけは、御免蒙りたい。

 

 

 

 

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