2016 再開祭 | 婆娑羅・34(終)

 

 

「・・・ヨンア、テコンドーの型にまでなってるのね・・・」
この方はカイの言葉に驚きを通り越したか、半ば魂の抜けたような声で呟いた。
「21世紀だったらパブリシティー権が発生するわよねー。戦艦にもテコンドーにも個人名使われて」
「そうしたら寝てるだけで丸儲けだったね。残念、ウンスさん」
「ああ、でもダメよ。この人は・・・ほら」
「そうだね、何しろ天下に轟く見金如石の大将軍だからね」
天人の会話は未だに要領を得ん。
愉し気に額を突き合せる二人の天人と呆れ顔の俺を見比べ、チュンソクが深く息を吐いた。

 

*****

 

「じゃあ、行くね」

来た時とまるで同じ。
肩に袋を担ぎ小脇に車輪のついた板を抱え、カイは居並ぶ俺達に順に頭を下げた。
皆どんな顔をして良いか判らぬよう、複雑な面で頭を下げ返す。
また来いと言う訳にも行かず、奴も来るとは言わぬ。
「お世話になりました」
「気を付けてな」
国境隊長が差し出されたカイの掌を分厚い掌で握り返す。

「元気でね、チュンソクさん」
「お前もな、カイ」
チュンソクが懐の紙束を示すよう上衣の胸を掌で押さえる。

そして俺の前まで来ると、カイは真直ぐ揺るぎなく俺を見た。
「俺、書くから。絶対に書くから」
「心配はせん」
「あなたで良かった」

困ったように言って、奴は苦笑を浮かべた。
「相手があなたで良かったと思ってる。今はね」

俺について書く事では無い。きっとこの方について言っている。
何故其処までこの方に拘るのかは判らない。
それでもこいつにしか判らぬ、何か特別な理由があるのだろう。
黙って頷き返すと、奴は最後に隣に立ったこの方を静かに見た。

この方は懐から封書を取り出すと、小さく畳んだ紙と共にカイへ渡した。
「カイくん。これ、うちの住所なの。それと手紙。
最後にお使いまで頼んで申し訳ないけど、いつか時間があったら訪ねてくれる?
ポスト投函でもいいけど・・・」

紙をカイの掌に握らせながら、この方が深く頭を下げた。
カイはそれを受け取ると、背の荷を降ろして口を開き大切そうに仕舞いこんだ。
そして荷の口を閉じて背負い直し、この方へと頷き返す。

「すぐに、直接渡しに行くよ。何か他に伝言は?」
「手紙に書いてあるけど・・・元気ですって。愛してるって、そう伝えてくれたら嬉しい。本当にありがとう」
「ウンスさん」

泣き出すのを堪えるように声を震わせると、カイは一度大きく息を吸って吐き、この方の手を取った。
小さな手を両掌で強く握り、祈るように目を閉じて、握った掌ごと奴はこの方の手を己の額に当てる。
この方は驚く事もなく、奴の成すがままに任せている。
周囲の男らが一歩踏み出し、俺が顎を振るのを見てその足を戻し、渋い顔で二人から目を逸らす。

「ずっと大好きだったよ。本当に大切だった。何もかもありがとう」
「うん。もし私に弟がいたら、きっとカイくんみたいな男の子だったと思う。来てくれてありがとう。会えて嬉しかった」
「これからもずっと忘れない。努力はするけどきっと忘れられない」
「うん」

天界ではこれ程真直ぐに想いを伝えあう。
舞い落つ雪のように言葉を降らせ、互いの胸に積もらせる。
佳き言葉も、悪しき言葉も。

それでも二人でではなく俺の眸の前で交わしたのが、カイなりの流儀なのだろう。
二人きりなら秘め事でもこうして堂々とされれば、それはまるで姉弟の触れ合い。
ようやく会えた、そして再び離れる、旧い懐かしい家族のように。
この方に諦めさせてしまった天界の気配を運んでくれたような気がして、黙ってその光景から一歩退く。
カイは額に当てた掌から何か伝えたがるよう、離すのが怖いかのよう、小さな手を握る拳に力を籠めた。

「あーーーーーっっ、くっそ!!!」

突然白い息の雲の塊と共に吐かれた大きな叫び声が、雪の原に木霊した。
木の枝陰に寄り添い身を潜めていた鳥たちが驚いたよう一斉に飛び立ち、蒼天の中の黒い点になる。

「ウンスさん、ねえ、一緒に行かない?帰ろうよ、俺と一緒に」
まるで駄々子が地団太を踏むように、無い物ねだりをするように。
答は判っているという目をしたままで、それでもカイは言い募る。
だがこの方はとても柔らかい瞳のままで、カイに向けて首を振る。
「行かない」
「絶対?絶対後悔しない?気持ちは変わんないの?」
「変わらない」
「だって、最後かもしれないんだろ?どうなるか判んないんだろ?
俺の知ってる歴史が全てじゃないかもしれないんだよ?」
「それでも良い」

この方は最後と云わんばかりに、強い優しい眼差しでカイを見た。
「離れたら、私が生きていけないの。一人でいつも尋ねる事になる。
朝も夜も。返って来ない声を探し続けるのは、もう二度とイヤなの」

握り締めたまま離れないカイの掌をそっと解きながら、小さな手が俺の指先を探して握る。
カイから伝わった温かさをそのまま、この掌へ受け継ぐように。
その声に翻意を諦めたか、カイは唇を尖らせて俯いて雪を蹴る。
「・・・判った。じゃあ最後に」

上目遣いで掬うようにこの方を見つめると、跆拳道の素早さで奴の半身がこの方に向け寄った。
敵では無いと一歩退いていた。その一歩が仇となる。
鬼剣で遮る前に奴の体が俺とこの方との間に割るように入り、男にしては赤い唇がこの方の白い頬に掠めて触れた。

「・・・カイ!!」

俺の太い怒号と一瞬遅れた男らのどよめきの中で、カイはそのまま悠々と雪の原を歩き出す。
その先に待つ天門へ向けて。
「最後だから許してね、チェ・ヨンさん」
「命が惜しくば二度と来るな!!」

此方へ背を向けたまま、奴が片手を挙げて振って見せる。
振り返って詫びる事もせず。その顔を見せることもせず。
最後まで振り返らずに背を向けたまま、迷いも無いまま。

あれなら大丈夫だ。確たる証も無くそう思う。
行く道に迷いのない者。残す未練のない者。
己の慾の為でなく誰かの為に去ろうとする者を拒む門では無い。

あの時門に入った俺の背は、今のカイと似ていただろうか。
奴は一度も振り返らず、その光にかき消されるよう溶けて消える。

「・・・行きましたね」
俺の時も、そして此度のカイの背も見守ったチュンソクが呟いた。
「ああ」

奴なら大丈夫だ。あの門の先で己の戦場を見つけるだろう。
俺達に跆拳道を指南する程の腕前だったのは認めてやる。
あの気概と武術の腕前があれば、何処であれ生きていける。

奴が蛮勇を振るってもう一度この方に触れ、俺が斬り捨てぬ限り。

最後に奴の消えた門を確かめ踵を返し、居並ぶ兵の列を割り兵舎へ向けて歩き出す。
その男達もカイの消えた天門を暫く見詰めた後、俺の背に従いて兵舎への道を戻る。

「すぐに皇宮へ戻る。刺客を牽く牢車を準備しろ」
「はい、大護軍!」
背に従いた兵長が即座に声を返す。
「カイについては顛末の委細を残すな。万一漏れれば厄介だ」
「判りました、大護軍!」
国境副隊長が深く頷く。

兵舎まで戻ると背に従いた兵達は俺へと頭を下げ、三々五々持ち場へ向けて戻る。

俺だけが腸の煮える思いで、闇雲に真直ぐ歩み続ける。
何かの約束の朱印のようにこの方の頬を掠った男の唇。
あれも天界の則なのだろうか。
言葉を尽くしても足りぬ声と想いを、その唇で伝えたのだろうか。

横を見ればこの方の困惑した瞳と視線がぶつかる。
奴の唇の掠った白い頬を、上げた己の指先で拭う。
あの男は其処に何を残したのだろう。俺には判らぬ何か。
雪の如く降らせ積もらせた声だけで足りぬ、誓いの何か。
俺のこの方に他の男が印を残すなど金輪際あっては困る。
この方の頬にそんなものが残されて、此方はいい迷惑だ。

腹を立てたまま、気付けば兵舎の中庭に足が向く。
白い雪に覆われた静かな中庭へこの方も横に添うて来る。

黙って中庭で二人向き合い、ふと足許へ眸を下げる。
先刻奴が披露した新しい型。
俺の名を冠した動きのままに、雪上に奴の足跡が十字のよう刻まれている。

奴は此処に居た。何に残さずとも此処に居合わせた俺達の中に。
その足跡が残り続ける。名を残せぬあの天界の手縛の技と共に。

唇でこの方にその証まで刻む必要はない。

あの男より素早く体をこの方へ倒し、その白い頬に唇を触れる。
奴の残した印を消すように。その上から俺の朱印を刻むように。

掠っただけの奴より僅かに長く、その頬の温みを唇で確かめる。

そして離し瞳を覗き込むと、満月ほど丸い瞳が茫然とした様子で俺を見上げている。
「・・・ヨンア?」

この方の体にも心にも、触れて印を残せるのは俺だけだ。
「毒消しです」
「・・・毒って・・・まあ、うん・・・」
先刻俺が唇を当てた頬を押さえて、この方は素直に頷く。

周囲に人気も人目もない一瞬の隙を突いた自信はあった。
しかし兵舎内、廊下の隅の窓の奥までは気付かなかった。

其処でチュンソクが国境隊長と仰天した顔を突き合わせ
「大護軍・・・あまりに無防備な」
「国境隊長。兵に露見せぬよう、ここだけの話に」
「言っても誰一人信じんでしょう。まさか大護軍が兵舎の中で」
「いや。大護軍はああ見えて、医仙に関してだけは・・・」

狼狽えた声で額に汗を浮かべ、囁き合っていた事だけは。

 

 

【 2016 再開祭 | 婆娑羅 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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