2016再開祭 | 胸の蝶・廿弐

 

 

「ちょいとヨンア!」
酒楼に踏み込んだ俺に目に止めるや否や、マンボが駆け寄って
「あんたかい、それともヒドかい!」

胸倉を掴みそうな距離まで詰め寄られ、鼻先に指を突き付けられる。
出し抜けに問われ、意味が判る訳がない。
しかし仔細を語る気など更々ないらしきマンボは、据わった目付きで俺を睨め付けた。

何事だと問えば怒りの火に油を注ぐ。そう判じ矛先を変えようと、
「まずヒドと話させてくれ」
一歩退いて言い終える前に
「昨夜っから帰って来てないよ!」
マンボは吐き捨てると、憎々し気に離れの方を見遣った。

「今日帰って来るなり、あたしに今までお世話になりましたって頭を下げて出てっちまったんだよ!
あんたかい、それともヒドかい!出てくように言ったのかい!
昨日まであんなに頑張って、仕事をこなしてたってのに!」

話の委細は判らぬまでも、その筋だけは汲み取れる。
正に遍照の言った通りに。
「女が出て行ったのか」
「だからそう言ってるじゃないか!昨夜あんたらに茶を運んでからだろ。
ヒドは雨の中ふらりと出てくし、あんたは天女もいないのに離れから出て行きゃしないし。
挙句の果てにゃあ今日はあの子が出て行くし!」

不満げなマンボの怒鳴り声も、半ば耳から零れ落ちていく。
遍照が言った通りになった。

――― 明日からも来るのかどうか。

女が出て行ったのは昨夜のヒドとの一件の所為だろう。
しかしそれを先に言い当てた遍照。まるであの方の預言のように。

女が遍照に説明などする訳がないだろうに、一体何を根拠にわざわざ仁徳宮から禁軍を引き連れ、迂達赤兵舎まで来たのか。
そして女も女だ。一度宮に入った以上、野放しには出来ん。
第一手裏房を出て行った処で、一体何処に行くというのだ。

あの女の事を全く知らぬ俺では見当もつかん。
ヒドに確かめるしかない。たとえ奴がどれ程女を避けようと。
「マンボ」
「何だい!」
「ヒドに繋ぎを」
「・・・必要ない」

向き合う俺とマンボの背後、酒楼の門からふらりと現れる墨染衣。
奴は何事もなかったかのような顔で離れに向けて顎をしゃくった。
「来い、ヨンア」
「ちょいとヒド!あんたに」

その時のヒドの眼付きを、本当に久々に見た。
それを確かめた途端、さすがのマンボも即座に口を噤む。
手裏房の女首領だ、こうでなければ此処まで生き残れぬだろう。
昨夜のあの女との一件が奴の中の何かに触れてしまったか。

怒鳴りかけたマンボを眺めたヒドの眼。
それは怒るでもなく睨むでもなく、ただ静かで何処までも昏く、純粋な殺気に満ち溢れていた。

 

*****

 

「出て行ったか」

離れの部屋で卓を挟み床に腰を下ろし、ヒドは口火を切った。
さすがに俺と向かい合っている時には、先刻纏うたままだった殺気は鳴りを潜めている。
それはそうだろう。互いにそんなものを漂わせては、まともに話す事すら出来なくなる。
「聞いてたか」
「聞こえた」
「行先に心当たりは」
「あると言えば、女と遍照を拾った寺だけだな」

ヒドはそれだけ言うと、床から腰を上げた。
「今から馬で追えば俺が先に着くことになる。徒歩で追い掛ける」
「ヒド」
床から見上げて呼ぶと、奴の視線が落ちて来た。

昨夜のあの時、俺はヒドの背を追わなかった。
気持ちが判るから追わなかった。何れにせよ逃げてはいられまい。
俺が過去からも、そしてあの方からも逃げられなかったように。
女を受け入れるにせよ拒むにせよ、答は奴が見つけるしかない。

「お前、行けるか」
「ああ」
「顔を見られるか」
「当然だろう。如何するヨンア。生かしておけば面倒だぞ」
「ヒドはどうしたいんだ」
「俺の事は関係なかろう」
「それだけが大切だ、ヒョン。どうしたいんだ」

ただ、俺の為に選ばないで欲しい。俺ではなくヒドの選びたい道を進んで欲しい。
俺が王様の為にも国の為にも、迂達赤の奴らの為にも道を選べなかったように。
あの方だけが大切で、他の事など何も考えられなかったように。

「しつこいぞ、ヨンア。お主と女人を助ける最良の道を」
「あの方を選ぶ時、他の事は考えなかった。考えられなかった。お前の事もだ。
だからお前も考えるな。お前は、どうしたいんだ」

遍照が絡んでいる以上、何も話さず看過は出来ん。
何れにしろ奴の出した答だけは確かめねばならん。
それでも答だけが判れば良い。
それ以上の事はたとえ兄とは言え、助ける事もそして変える事も出来ん。
同じように、俺を助ける事も、その為に答を変える事もしないで欲しい。

「どうしたいんだ、ヒド」
俺の視線から眼を逸らし、部屋を出しなに聞こえぬ程の低い声が呟いた。
「・・・・・・一先ず、生かして連れ戻す」

それだけ残し部屋外へ消える墨染衣に、俺は少しだけ微笑めた。

それだけで良い。生かして連れ戻す。
お前がそう選んでくれただけで良い。

邪魔だから殺める。道を阻むから殺める。それも道の一つだろう。
それでもお前がそれを選ばなかった、それだけで俺には充分だ。

久々の秋の晴れ空の下、庭の木々から降るように落ちる紅葉。
その赤が墨染衣の肩に乗ろうとする刹那、一瞬早く動いた手甲の手がそれを払い落す。

一つだけ気に掛かるのは、そうして再び纏うた殺気。
それがこの後のお前の道を助ければ良い。
それを正しい敵に向けている以上、これ以上心強いものはない。
だが誤って大切な者に向ければ、これ以上怖ろしいものもない。

祈るようにその背を見詰める視界の中、赤の葉の中の黒い背は門を出て消えて行った。

 

 

 

 

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