「ヒド様」
雨の所為で、常より尚のこと薄昏い本堂。
火鉢の前に向き合い暖を取る俺を住職が呼んだ。
「とても良い御顔になられたの」
火鉢に照らされて顔を上げると、そこには菩薩の如き不思議な穏やかさを湛えた目があった。
「・・・有り難い」
「先だって、遍照を迎えに御二人で拙寺にいらしたそうですな。お会いできずに残念でしたが」
あの早朝ヨンと訪れた事を思い出し、俺は小さく頷いた。
「ああ」
「その方の御蔭なのでしょうか。逗留されておった頃とはまるで別の御仁を見るようじゃ」
それはそうだろう。あの頃の俺とは別人の如き振舞いの数々。
今はヨンと女人が揉める事が心配で、秋雨の中を馬にも跨らず走って来るような間抜けになった。
住職は疎か、逗留の間周囲の誰にも言ってはおらぬ。
目の前の住職が何を何処まで知っておろうと構わぬ。
強い相手が好きだった。
斬るか斬られるかの瀬戸際で黒鋼手甲を外し、風の中で幾度も赤い飛沫を浴びた。
火で暖を取るよりも幾倍も生温かく顔を伝う飛沫の中、今日も生きたと、再び息をする事を思い出した。
夏だろうと冬だろうと、川でも井戸でも水を浴び、飛沫を流し、何食わぬ顔で寺へ戻った。
隊長や先に逝った仲間の弔いなどと、耳障りの良い嘘は吐かん。
この身はただ飛沫を隠す為、そして寺に身を潜める隠れ蓑として、墨染衣を纏い続けた。
師叔に、そしてヨンに再び見えるまで、俺は相手を斬って斬ってその命が消える刹那に生を思い出して来た。
それはもう過ぎ去った昔の事かもしれぬ。けれどこの肚の中にそんな自分がいる事は決して否めぬ。
師叔に、そしてヨンに再び会えねば。いや、もし会ったとしても、そこにあの女人が居らねば。
今も俺は、きっとそうしていた筈だ。
目前の敵の命が吹き消した蝋燭の最後の煙のように立ち消える、その時初めて己の生んだ風がそれを消したと実感する生き方を。
それは忌まわしい道なのだろうか。こうして考えても判らぬ。
殺さねば殺される。だから殺す。殺した相手の骸を見下ろして、その時己の生を感じる。
この世はそうしたものではないのか。他を殺め、己を生かす。
「住職」
「はい」
「女人を探しておるのだが」
藪から棒の声に、住職がゆっくりと頷いた。
「訳あって遍照を知らぬ者が良い。一人預けて頂けぬか」
「遍照を知る者ではなく、ですかの」
「知らぬ者が良い。身の安全は保障する」
「遍照が寺を出た後、預かった者ならおるが・・・父親が辻斬りに遭ってな。
親戚を転々としておったが、最後に共におった祖母もその子を残して亡くなった」
住職の何もかも見通すような目が、火鉢の中の赤い炭火の向こうから此方を見た。
「父親とはいえ、近隣でも評判の悪い債鬼であった。その父親の悪道で、畑から居所から全て失って首を括った者が幾人もおる。
辻斬りに遭った骸が見つかった時には、皆が因果応報だと言ったものだ。そんな父親を持った娘こそ、哀れなものよ」
辻斬り、債鬼、どこかで耳にしたような話だ。
そんな奴らに泣かされる者から、幾度も似たような話を受けた。
そして話さえ折り合えば斬って来た。その中の一人が娘を残したその債鬼だったとしても、何の不思議もない。
住職は言葉を切ると雨の庭を眺め、通りかかった女人の姿に腰を浮かせた。
「パニャ。こちらへおいで」
降り頻る雨の中で呼ばれた女は足を止め、本堂の中の俺と住職に気が付くと、濡れた足音を立てて庭を駆けて来た。

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そりゃね ウンスのお陰ね
あの二人のそばにいたら
とばっちり…
いやいや 人間らしく
心に血が通う生き方に なってきたのよ
親は選べないのよね…
パニャは 苦労してきたのね
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遍照…
この男が登場した段階で、すご~く不安でした。辛屯…
怖いです。
「パニャ」ですか。
「般若」となりますか?
確か、王妃様が亡くなられた後、女官の「般若」という女人が、王様のお子を身籠ったとか。
産まれた子は、辛屯の子らしい…とか。
その子が、次の王様になられたとか。
ヒドへの女人…ではなくなり、辛屯の女人になってしまったら、どうしよう…。
さらんさんの、これからのお話を無視し、勝手に妄想して、不安になっているおバカさんです。
不安ですが、ヒドの女人…となるのなら楽しみです。
ヒドの恋ならいいなあ。