年末年始:2016再開祭 | 朝湯・後篇(終)

 

 

康安殿に入ってからの廊下の両脇、そして部屋の扉を守る見慣れた迂達赤のみんなの視線。
その前を無言で通り過ぎるあなたとその横にくっついて歩く私に、ニコニコしながら一斉に頭を下げてくれる。
「明日は忘れずに来てね!」
「はい、医仙」
「みんなにも声かけてね?」
「ありがとうございます、医仙様」
「今日はあんまり飲み過ぎないようにね」
「はい、気を付けます!」

一人一人声を掛ける私に業を煮やしたようにあなたは廊下の真ん中で足を止めると、これ見よがしに大きな溜息を吐く。
「拝謁前に日が暮れます」
「だって!」
何か言われる前に言わなくちゃと思うと、弁解の声も大きくなる。

「実家が近かったり、もう結婚してるなら別だけど。独身は淋しいと思わない?
ほら、お正月って家族行事じゃない。なのに仕事のために帰省もガマンしてくれてる人、いっぱいいるでしょ?」
「ならば後で纏めて」
「今から見張りだと、明日まで会えない人もいるじゃない!」
「・・・もう結構」

思いっきり不機嫌そうに眉間にシワを寄せるともう一度歩き出す。
その歩幅がさっきより明らかに大きくなってて、小走りしないとついて行けない。
「どうして怒るの?」

さすがに康安殿の廊下で痴話ゲンカはまずいでしょ。周りに聞かれたらあなただって気まずいのは分かる。
そう思って小さな声で言いながらあなたを見上げるのに。
「判らねば良い」
あなたは本当に臍を曲げたような怖い声で言い捨てる。

分らないから聞いてるのに、そんな言い方ないじゃない。
あなたの大切な、そしてあなたを誰より大切にしてくれる迂達赤のみんなだから、私だって仲良くしたいのに。

王様のお部屋の前まで来ると、あなたは私の顔なんて見向きもせずにその扉の奥に向けて声を掛けた。
「王様。迂達赤チェ・ヨン、医仙ユ・ウンス参りました」
「入りなさい」

待ち詫びたような王様のお声がお部屋の中から戻って来る。そして次に聞こえた小さな笑い声。
あなたはそのお声に困ったような顔をすると、内側から開かれた扉の中に大きく一歩踏み込んだ。
「揃って来たな」
「大護軍、医仙、寒い中お疲れになったでしょう」
王様と媽媽がお二人並んで微笑みながら、お部屋の中の上座から立ち上がった。

「いえ」
あなたはさっきの笑い声で、もうとうに気が付いていたんだろう。
全く不思議そうな顔もしないでお二人に向けて静かに頭を下げる。

「お二人もご一緒だったんですね?なんだか私まで嬉しい」
私がはしゃいだ声を上げると王様は照れ臭そうにお口の端を下げ、媽媽は可愛らしく顔を赤くして頷いた。
そしてあなたは余計な口出しするなっていうような顔で、私を横目でチラっと見る。

「年の瀬で仕納めの謁見が多い故、其々の殿を行き来させるより王妃も共にと」
「いい事です!それだけお2人で一緒に過ごせる時間が長くなりますから」
「はい」

媽媽と一緒の時の王様のお声を聞くだけで思う。いつもどこか張り詰めて緊張している時とはトーンが違う。
私は王様の脈診はしていないから断言できないけど、きっと今とても落ち着いた状態のはず。

「来年からも是非そうして下さいね。あ、でもずっと座りっぱなしはお二人とも血行に良くないので。
昼の温かい間は少し休憩して、お庭を歩いたり」
「はい、医仙」
いつも聞き慣れた媽媽のお声がこんなに違うんだもの。当然よね。

望んじゃいけない。分かってるの。
私が高麗を行ったり来たりした時差を考えても、まだあと5年、6年?
歴史上、それまで媽媽にはお子様は出来ない。そしてその時には。

でも、と思う。思わずにいられない。
私の横に今あなたがいてくれるみたいに、困った顔で私を横目で確かめてくれるみたいに、もしも歴史が変えられるなら。

私は1人じゃない。いつだってあなたがいてくれる。
だから真冬の台所も辛くないし、ウンザリするほど苦手だった料理も苦じゃない。
タウンさんも手伝ってくれる。コムさんもいてくれる。そんな風に歴史が動いていくなら。変えられるなら。

来年こうやって年末のご挨拶に伺った時、もしも王様と媽媽の腕に宝物みたいな可愛い赤ちゃんがいたら。
そうしたらみんな、どんなに心が温かくなるんだろう。
きっとみんなが望んでる。その温かい日を待ち侘びてる。
誰より私のあなたが。口にしなくても心から願ってるのが分かるから。

「この後、媽媽のところに伺おうと思っていたんです。せっかくお会い出来たので、脈を拝見していいですか?」
「医仙、今日はもう仕納めです。妾は問題ないのでどうぞ大護軍と」

慌てたようにお首を振って、気遣うようにあなたを見る媽媽の視線。
それを無視して媽媽の横に寄ると、私は唇の前に指を1本立てた。
「医者の仕事は365日24時間オープンです。お顔の色もいいですし、お元気なのはすぐ分かります。
なので、脈だけ。ダメですか?」

首を傾げてお願いすると、媽媽は横の王様をご覧になる。
王様が大きく頷くと媽媽のお背中にそっと手を当てて、今日だけ特別そこに置かれている媽媽用のお椅子に座らせて下さる。

私は斜め向かいの椅子に掛けると、大きなテーブルに伸ばした媽媽の細くて柔らかな手首の脈を読む。
王様と一緒にいらっしゃる時の媽媽の脈は本当に落ち着いている。
指先で確認する撓骨動脈を流れているのは血液じゃなく、幸せとか温かさとかなのかなって、医者らしくもない事を考えるくらい。

「とっても落ち着いています。こうして触れると、お分かりですか?いつもほど御体も冷えていらっしゃいませんね」
「はい」
「とってもいいんです、冷えないのが一番です。出来れば今晩はお2人で一緒に、ゆっくりお風呂にでも」
「・・・医仙」

さすがに聞き捨てならないのか、あなたが短く口を挟んだ。
王様は恥ずかしそうに空咳払いをされると、ふと思い立ったようにイタズラなお顔であなたを眺めて頷いた。
「そうだな。大護軍が医仙と湯を共にするような事があるならば、我らもそうしよう。のう、王妃」
媽媽もあり得ないと思っているのか、頬を真っ赤に染めながら小さくクスクスお笑いになる。
「畏まりました、王様」
「あ、それなら」

媽媽のお袖を直しながら、私はニッコリ笑う。
あなたがぎょっとした顔で、必死に黒い瞳で合図する。
言うな、言うなってその視線が言ってるけど。

えー?何言ってるのか、何言いたいのか、さっぱり分かんないわ。
さっきは私なりに遠慮して、みんなに届かないように聞いたのに。
冷たい声で分からないならいいって言ったのはあなたじゃないの。

第一今ここにいるのはみーんなあなたの事よく知ってる、私達の事もよく知ってる人たちだけでしょ?
王様、媽媽、チュンソク隊長に王様のお付きのドチさん。誰に聞かれて困るわけ?

「どうぞ今晩はお2人でゆっくりお風呂に。約束ですよ?明日の朝、確かめに来ますから」

・・・あら?

年の瀬の康安殿の、明るいお部屋の中。
大きな窓から立派な前庭を雪景色を抜けて降り注ぐ冬の日差し。
オンドルの輻射熱との相乗効果でとても温かいお部屋の中に、一瞬で凍るくらい冷たい空気が充満する。

王様の目が驚いたようにあなたへと走る。
媽媽が呆気に取られてあなたを見上げる。
王様の横に立っていたチュンソク隊長と脇に控えていたドチさんが、無言で小さく息を呑む。

そして誰より私の愛するあなたは。

あなたはどうしようもなく居たたまれない顔をして、みんなの視線を必死に避けて、彫刻のように固まったまま顔を下げ続けていた。

 

 

【 2016再開祭 | 朝湯 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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