2016 再開祭 | 一酔千日・前篇

 

 

「ヨーンア」
呼び声に居間で文机に向かう顔を上げる。

あなたは廊下から居間への境の扉から斜めに顔を覗かせ、書き物の進み具合を確かめるように文机を指した。
「ちょっとだけ、いい?」
「無論です」

磨り途中の墨を指先にしたまま頷く。
あなたは弾むように居間に入って来ると、文机の向いにちょんと座る。
次に机上の漢文の書き物に目を遣って、鼻に小さな皺を寄せる。
そして気分を変えるように俺に視線を移し、唐突に話を切り出した。

「あのね、新年のご挨拶なんだけど」
「・・・挨拶」

新しい年が始まって既に数日。
王様と王妃媽媽、そして叔母上への年始の挨拶は済んでいる。
当然だ、今年は元日早々から役目があったのだから。
これ以上一体誰にと眸で問う俺に、この方は
「師叔とマンボ姐さん。まだ会ってないじゃない」
と、至極当然だと言わんばかりの顔で言った。

今更畏まって、年始の挨拶を交わし合う間柄だろうか。
得心出来ずに首を捻ると
「親しき仲にも礼儀ありよ。善は急げって言うし。さ、行こう!」
この方は急かすように指先の墨を奪い取り、硯箱の隅に納めると空になったこの両掌を掴み
「よいしょっと」
可愛らしい掛け声と共に、立ち上がらせようと強く引いた。

 

*****

 

二人で出掛けると決め、表に出たまでは良かった。
まだ淡々と空に残る陽が道端の凍った根雪を照らす刻。
新春の身を切る冷たい風の中を並んで歩き、暮れ始めた空の青が薄紅色へ移るのを並んで見上げる。
「寒ーい!」

手套は持たない。名分がなくなるから。
小さく丸まった掌を温めるように握り締め、己の首巻を解いてその首に既に巻かれた襟巻の上に巻きつける。
あなたは嬉しそうにそこに顎先を埋めた後で、俺の掌を静かに離して首巻を解く。
気に入らぬのかと目で問う俺に首を振り、背伸びをしてこの首に戻して巻き直す。

そして空へと目を移し、夕陽の中、薔薇色の横顔の頬で言った。
「キレイね、夢みたい」

今こんなにも胸が温かいのは、首巻が戻ったからではない。
俺が寒かろうと気に病んで下さる優しさを知っているから。
この世に生きる皆がこんな穏やかで優しい心を持てたなら、戦などとうに無くなっているだろう。
俺は二度と誰かを傷つけず、この方は泣きながら戦場を駆ける必要もなく、静かに生きていける。

「・・・夢です」

そう、そんな世は夢だ。あなたは幾度でも俺に見せてくれる。
起きた後にも醒めぬ夢を。その温かい幻を。
そして俺はそれを現にしたくて追い駆ける。
夢でなく、この手にその世を掴み取る為に。

いつでも思う。新たな年を迎える度に。
今年こそこの方の笑顔を一つでも多く。涙を一滴でも少なく。
それが起きて見る夢よりも難しくとも。

相槌にあなたは不思議そうな顔をして、背伸びをするといきなり俺の左の頬を軽く抓り上げた。
痛くはないが驚いて、抓られたままあなたの顔をじっと見る。
何か気に入らぬ事でも言っただろうか。いや、夢だと言っただけで他には何も。

「イムジャ」
抓られたままの喋りにくい口許で声を掛けると、この方は真剣な眼差しで言った。
「夢じゃないでしょ?」
「は」
「痛いから、夢じゃない。でしょ?」
「いや、痛くは」

何処まで判っていて言っているのか。
何故御自分ではなくて俺を抓るのか。
それでもあなたが痛い思いをしなくて済んだ、それだけで良い。
笑いだしそうになりながら首を振ると、あなたは困ったように
「これ以上つねったら、ヨンアがほんとに痛いからやめとくわ」
そう言って諦めたように指を離し、先刻抓った頬を今度は撫でた。

始まりはそんな、大層心地の良い夜だった。
冷たい手を堂々と握る名分があり、夕陽は美しかった。
それはまるで、起きても醒めぬ夢の中の景色のようだった。
穏やかに笑い合い、時折見つめ合って歩いた。手裏房の酒楼まで。

「お酒、飲みたいなあ」
ねだるように手を握り、この方は大きくそれを振って言った。
「新年だし飲みたいな、一緒に。ね?」

確かに年始から歩哨で、晦日に差向かいで呑む間もなかった。
「判りました」

こんなに寒い日だ、飲む端から酔う間もなく醒めてしまうだろう。
一杯ならば問題はあるまい。晦日すら共に楽しめなかった罪滅ぼしに。

握られた手を揺らされるに任せ、俺はあなたの望みに頷いた。

 

 

 

 

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