2016 再開祭 | 玉散氷刃・参

 

 

造りのせいで陽が射し込まない薄暗い廊下をウンスの私室へ歩きながら、侍医が質問を重ねる。
「チェ・ヨン殿。昨夕、ウンス殿のお迎えにいらっしゃらなかったのは何か理由が」
「朝のうちに帰らぬと言われた」
「・・・ああ、オク公卿の奥方の治療ですね」
「詳しくは知らぬ」

素気ないチェ・ヨンの呟きにキム侍医は
「今となっては知るべきなのでは」
と、言葉少なに反論した。

確かにその通りだったと後悔しても後の祭りだ。
典医寺の医官であり高麗医仙でもあるウンスの患者は、それでも内外命婦の女人が多い。

王妃を筆頭とした内命婦の、皇宮内の数多の尚宮女官。
そして高官の家族を中心とした外命婦の夫人や子女ら。

そんな女人の懐妊やら血の道の病について滔々と話をされてもただ眩暈がしてくるだけだ。
ただウンスさえ無事で、思う存分治療に専念さえできれば。
そう考えるだけで、チェ・ヨンはウンスの患者について詳しく聞く事はほとんどなかった。
またウンスも患者の名や具体的な病状など、余程の事がない限りは一切口にしなかった。

チェ・ヨンはウンスが活き活きと典医寺に出仕し、患者を助け満足そうに無事に帰って来れば良かった。
患者を慮って沈んでいれば、相手の病状でなくウンスの事だけが気掛かりだった。

ウンスは天の医術を持つゆえに特例として男の患者も診はするが、それも成人前に限るのが通例だ。
高麗の皇宮の則では、例え医官といえ女人は男の体には触れない。

そんな委細を気にもせず、王妃にも迂達赤にも市井の民にも等しくその医術を施す医官。
そんな医官などウンス以外には在り得ず、またそんな治療はウンス以外には許されない。

チェ・ヨンは暗澹たる思いで薄暗い廊下を一歩ずつウンスの私室に近付きながら息を吐く。

ウンスの行方を探すのは、砂漠の中に銀の針を探すようなものだ。
皇宮内にいるのか、開京市中にいるのか、それとも既に離れたか。
縦しんば開京にいたとして、誰かの邸にいるのか外郭にいるのか。

「急用だとばかり思い込んでおりましたので、お部屋には誰も立ち入っておりません」
ウンスの部屋の扉を開けながら、侍医は言った。

踏み入った部屋内、花の香をチェ・ヨンは嗅いだ。
春の空気のせいなのか、それともウンスの残り香なのか。

春だというのに、冷たく深閑と静まり返った部屋。
振り向く瞳も亜麻色の髪も、駆け寄る足音もあの声もない。

普段と何も変わらない。部屋を見回し確かめても。
血痕どころか荒らされている事もなく、争った形跡もなく。

それでも手掛かりを見付けようと、室内を具に確かめる。
そんなチェ・ヨンと共に、侍医もテマンも部屋中を探す。

ウンスが整えた医書の棚。大小の薬壺が並ぶ窓の桟。
患者に付いて寝泊まりする時に使う衝立の奥の寝所。
棚という棚、書という書、全て開き取り出して漁る。

寝所にはチェ・ヨンだけが立ち入り、寝台の上から枕の下まで。

書を捲る手を動かしながら侍医が言った。
「産み月間近のオク公卿の奥方様のご体調が優れず、ウンス殿と薬員が一昨日から付ききりで診察をしておりました」
チェ・ヨンも捜索の手は止めぬままでその声に返す。

「公卿の邸でか」
「いえ。万一急ぎの手術などに備え典医寺の方で。ですから昨夜は帰れないと、チェ・ヨン殿におっしゃったと思われます」

ふむと咽喉の奥で唸りながら、チェ・ヨンはオク公卿とやらの顔を頭に浮かべてみる。
子々孫々が継いで来た家門ばかりが思い出される。
特に功績もないまま家名だけで公卿まで上り詰めた、貴族にはいがちな男だったという記憶しかない。
それは逆に記憶に残る程の反逆心を見出せないという事でもある。

「侍医」
「はい、チェ・ヨン殿」
「オク公卿とやら、王様への忠誠心は」
「そんな事には一切ご興味のないような方です」
キム侍医からの返答も、チェ・ヨンの印象と大差はなかった。

「ウンス殿に仇を為す、ましてチェ・ヨン殿への逆恨みでなどという気配はありませんでした。
ただ奥方様のご体調を心配されて、幾度か典医寺に顔を出しておられます」
「あの方と顔見知りだな」
「それは当然、主治医ですから」
「・・・そうか」

オク公卿。顔すらあやふやな男の名をチェ・ヨンは心に刻む。
此処で手掛かりが見出せねば、次はその男だと狙いを定めて。

 

 

 

 

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