2016 再開祭 | 閨秀・拾弐

 

 

叫び声と同時にトルベが命の次に大切な槍を床へ放り投げ、階へと一目散に駆け上がる。

寸での処で階を転げ落ちる直前の医仙の手をしっかりと掴んだ奴の姿に、吹抜中が息を吐く。
「・・・ありがとう、トルベさん」
「大丈夫ですか。怪我は」
「び、っくりしただけ。それより誰かケガしたの?」

吃驚したのはこちらですと言いたい声をぐっと呑み、俺達は全員首を振る。
医仙はトルベに掴まったまま、首を振る俺達を不思議そうに見た。
「誰もケガしてないなら、何であんな大声で呼んだの?急病人とか?」
「いえ、何か洗・・・」

トルベは突然そこで言葉を切り、唇を結んで頭を下げた。

吹抜の上からの日差しに当たって床へ伸びた、それぞれの足許の影。
いつの間にかそこに加わる、さっきまで確かになかった扉からの長い影。

扉に顔を向けているのは医仙とトルベだけだ。
俺達は全員が背を向けている。
向けているのにはっきり判る、そこから漂う恐ろしく冷たい気配。

「・・・で」
低い声に、唯一声の主と対面しているトルベの顔が引き攣れる。
「その手はどうする」

いや、待って欲しい。トルベは階段から転げ落ちそうな医仙を助けただけだ。
医仙は差し伸べられたトルベの手に掴まっただけだ。
天地神明、誰より大切な隊長に誓って疚しい事は何もない。
何かあればそう言おうと俺は恐る恐る肩越しに振り向いた。

外からの陽射しを背にした大きな鎧姿。
逆光の中でも見間違いようがない隊長の影。

その脇で困ったよう額に手を当てる副隊長の影。
逆側にはじっと隊長の顔を見上げるテマンの影。

「私が階段から落ちかけたんです、隊長」
医仙だけが明るい声で言うと、固く掴まっていたトルベの手をゆっくり離した。
「・・・そのようですね」
「今日の帰りは早いんですね、隊長?」
「遅過ぎた程だ」
「はい?」
「・・・いえ。今からまた出ます」

隊長の怒りの籠る声にも全く動じないまま、医仙は次に俺達を見渡した。
「じゃあ、ケガ人でも病人でもないのね?」
「・・・はい」

洗濯の声を掛けただけと言い出せず、気まずく俯くと、医仙は頷いて笑って下さった。
「それならよかった!じゃあ、理由は?」
「あ、あの、今日は洗濯日なので、何か洗うものがあるかと」
「洗濯日」

俺の声に低く唸ったのは、医仙では無く隊長だった。
「そんなに洗濯したいか」
「え、そういうわけでは」
「わざわざ医仙を呼び出す程」
「て、隊長、あの」
「待ってろ」

隊長は吐き捨てると目にも止まらぬ速さで俺達の横を抜け、階を駆け上がって行く。
そして程無くその長い腕でも抱えきれない、山のような着物を抱えて肩で私室の扉を割って出て来る。

階上から下の俺達を見据える鋭い眼付き。
一歩ずつ階を踏みしめて降りて来る足音。
最後に全員を一渡し見回して呟く低い声。

「満足か」

そう言いながら一抱えの洗濯物の山をこの腕の中に落される。
「て、隊長」
「女人の洗濯物を、兵にさせると思うか」
「・・・さ、せられません、よね」
「判っているなら二度と訊くな」
「はい」
「行け」
「はい!」

全員が頭を下げ吹抜を飛び出そうとしたところで、氷のような声が追い駆けて来る。
「トルベ」
「はい、隊長」
「忘れ物だ」

隊長が顎でトルベの放り出したままの槍を差した。
「はい」

トルベが頷いて、床の大槍を拾い上げようと一歩踏み出した時。
一瞬早く伸びた隊長の長い足の沓先が床の槍の石突を掬い上げ、宙に浮いた槍の柄を大きな掌が逃さず掴む。
次の瞬間、握られた大槍を鼻先に突き出されたトルベが、隊長の視線に瞬いた。

「隊長、俺は」
「・・・判ってる」
「済みませんでした」
「槍は離すな」
「はい、隊長!」
最後にトルベの肩を叩く隊長の掌は、どう見ても普段より力が強い。

「馬鹿めらが・・・」
駆け出して行く俺達と擦れ違いざま、扉脇に佇んだ副隊長が呆れた声でぼつりと言った。

 

 

 

 

1 個のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    あら! 助けたのは トルベだったのね
    テジャン さすがに間に合わず…
    しかし 生きた心地がしなかったでしょうね
    医仙を助けただけなのに…
    やましくなくても(;´▽`A“
    テジャンの大事な人ですもん 
    滅相もございません。
    以後、洗濯物の心配はなくなりました。(笑)

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です