2016 再開祭 | 宿世結び・参乃夕

 

 

「お待たせ」
鶏を並べた皿を見て、母さんは目を丸くする。
「タウナ、あんたこれ」
「大護軍とウンスさまが下さった」

母さんは溜息をつくと、皿を載せた膳の小卓ごと私へ押し戻す。
その拍子に汁椀が揺れて、中の汁が小卓にこぼれそうになる。
慌てて押さえ、母さんの顔を見る。
「コムと二人で食べなさい」
「母さん」
「母さんは良い。ウンス様に二回も診て頂いて、すっかり痛くない。
皇宮の医仙様に診て頂くだけでも、分不相応なのに」
「そうだよね」

私が頷くと、母さんは大きく首を振った。
「チェ尚宮様との御縁だけでもありがたいのに、これ以上の事をして頂いたら罰が当たる。
もう本当に充分だから、そうお伝えしてちょうだい」

伝えたよ、と言いたい声を呑み込んで頷き返す。
母さんは私とよく似ていると、改めて考えながら。

そうしながら、ウンスさまのお母君に思いを馳せる。
やはり似ているのだろうか。
ウンスさまのように温かくて、誰とでも同じ目の高さで話し、何でも分け与えるお心の方だろうか。

そのお母君から離れたウンスさまは、どれくらい淋しいだろうか。
自分のように近くに居て、それに甘えていつでも会えると疎遠にしているのとは違う。

委細は伺わない。伺ってもお二人は苦しいだろう。
天門からいらした天の医官様。
一度高麗から出た筈が、ご自身で再び戻って来られた。
そこまで伺えば、後のことなど察しが付くから。

武閣氏にいる間。
命を懸けて仕えた、時には実の母より母と慕った隊長の甥御様の話。
当時、耳に胼胝が出来るくらいに彼方此方から聞こえて来た。

迂達赤隊長チェ・ヨン殿。
恐ろしく全武芸に長け、内功を自在に操り、伝説とまで称された元赤月隊の最年少部隊長。
赤月隊隊長が濡れ衣の許に元王様に刺殺され解隊し、迂達赤隊長となったという。

そして王様の最近衛でありながら決して表には現れない。
暇さえあれば眠り、起きれば酒を飲み、後は鍛錬しかしないと。
その話す声を聞く者は、迂達赤にすら滅多にいないと。

そう伺っていたからこそ、敢えて隊長にお尋ねする事も無かった。
兵なら誰でも判る。命を懸けて従った隊長を喪った時の虚しさが。

だからこそ少なからず驚いた。
武閣氏を退いて長い自分に、隊長が目を掛け続けて下さる事。
その大切な甥御様の御邸の衛を、わざわざ任せて下さった事。

飛び跳ねる程嬉しくて、どうにかお役に立てそうで。
頂くばかりの御恩のほんのひと欠片でも、やっとお返しできそうで。
それでも無口で恐ろしく強い迂達赤隊長、笑わず話さぬ迂達赤隊長、そんな覚悟で御邸へ上がった。
開京城下の隅にまで名を知らしめた天界の医官様、ウンスさまがどんな方か、当時は碌に知らずに。

あの方は何だろう。凛と一輪で咲く花のような、夏の光のような。
美しく優しくでも気が強く弁が立ち、ちゃっかり者で可愛らしく。
この方は皇宮では要らぬご苦労をされるかもしれないと、お会いして初めて少し不安になった。

一歩大門を入れば目と耳を閉じ、大門を出れば口を閉じる。
流れに決して逆らわず、ただ与えられた役だけ黙々と熟す。
それが皇宮で求められる生き残り方だから。

本気で泣く事も笑う事も、憤る事も求められない。
皇宮で必要なのは実力でも才でも無く、まして人柄では絶対に無い。
金のある者が地位を買い、地位を得た者が人心を買う。
買われたら臭い物には蓋をしろ。間違いには目を瞑れ。
飼い主に操られるまま傀儡のように動き、糸が切れればそれで終い。

そこで私はしくじった。買われることを拒んだからだ。
隊長にご迷惑を掛ける前に退きたい、その一念に隊長も最後は渋々頷いて下さった。
だからどうにか御恩を返したいのに、こうしてまたご迷惑を掛ける。
その事にただ心が痛い。
痛いのに、隊長も大護軍もウンスさまも退いて下さらない。

あの大護軍の頑固な処は、叔母上である隊長に瓜二つ。
隊長は年の甲で心得ていらしたけれど、大護軍も皇宮でさぞや苦しいお気持ちになる事があるに違いない。

お邸を守り始めて、コムに笑顔と口数が増えた。
今まで私以外には見せなかった穏やかな顔を、大護軍の前でだけは覗かせる。
からかわれ続けた優しい声を、大護軍にだけはお伝えしている。
それだけでも私は隊長に、大護軍に、そしてウンスさまに幾度でも頭を下げたいと思う。
私の大切な人を判って下さった事に。そして心を開いて下さる事に。

贋物には贋物で返す。そして本物には本物で返す。
大護軍の少ない言葉の中、ウンスさまの明るい笑みの中、いつも籠められているのは丹心。
だからコムも私も丹心をお返しする。心の底から。嘘はつかない。
お叱りを受けても止める時は止め、お伝えすべき事は伝える。

そして私が命を懸けたい方がこうして増えた。
隊長、大護軍、ウンスさま、そして勿論コムと母さん。
指を折って数える度、顔を思い浮かべるたび思う。倖せだと。
短いかもしれない兵の一生で、それ程大切な人達に出会えた事を。

「母さん」
「どうしたの」
「ありがとう」

膳の小卓を挟んで頭を下げると、母さんは驚いた様子で口を結ぶ。
「あまり帰って来られないけど、分かって欲しい」
「嫁に出たうえにチェ尚宮様にお仕えしているの。今は大護軍様も、医仙様もいらっしゃる。
しょっちゅう帰って来たら、こっちが怒鳴って追い返すところだよ」
「でも体だって」
「年寄り扱いは止めて頂戴。本当に失礼な娘だね」

当然のように言う声。ああ、やっぱり母と娘は似るものなんだ。
そう考えながら私は目の前の小卓を押し返す。
汁が零れないように気をつけながら。
「コムが焼いた。冷めないうちに、早く食べて」

頑固なこの声に、きっと母さんも同じ事を考えたんだろう。
私にそっくりな苦い顔で頷くと、ようやく皺を刻んだ手が卓上の箸を取り上げた。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    自分の母親に 会いたくても 会えない二人だもの
    母が健在ならば 会える時は 会い、
    孝行できるうちに 孝行してやれ、
    家族の親は 自分の親とかわらない
    そんな気持しょうね
    タウンにも コムにも 伝わってますね
    (*p´д`q)゚。

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    このように、タウンの「心」に触れたお話は、初めてのような気がします。
    ヨンの伯母であるチェ尚宮様を、隊長と慕ってお仕えしてきたタウン。でも、正義の心が、皇宮で勤め続けることを拒み退きました。
    タウンと同様、忠義心の厚いコムと婚儀し、暮らしていたはずでした。
    そのような経緯の後チェ尚宮様から頼まれ、タウンとコムの夫婦して、ヨンとウンスの屋敷の家の仕事を、今までチェ尚宮様から受けた恩が返せると思って引き受けたはずです。
    でも、今は、ヨンとウンスの人柄に触れ、ますます、誠心誠意お尽くししたいという気持ちが膨らんでいるのですね。
    タウンと母親の互いの気持ちも、ジン…ときます。
    「心」を、感じている朝です・・

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    本当に、母と娘は良く似た性格だと思います。
    私の娘も、私のクローンかと思うほど、そっくりな性格です(^^;
    でも、良~~く考えたら
    私が育てたのだから、似ても当たり前かも?(笑)
    このお話で、今まで以上に
    コムとタウンのファンになりました❤

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