2016 再開祭 | 木香薔薇・廿参

 

 

「こんにちはー、テギョンさん!」

廊下向うの庭先から掛かった声に、部屋の寝台に足を伸ばし座っていた俺は慌てて身を起こした。
「は、はいっ!」

閉めた扉までが遠い。
足を引き摺った無様な格好をお見せしたくないし、心配もお掛けしたくないのに。

本当に来て下さるのか、それとも下さらないか。
下さらなくても良いと思っていながら、お声を耳にすればどれ程に待ち侘びていたかが判った。

きっと誤魔化していたんだ、来て下さらなくても良いと。
本当はまたお会いしたいし、もっと知りたいし、けれど期待して叶わなかった時の落胆は、尚の事大きいから。

何故肝心な時に限って、ソンヨプは気が利かないんだろう。足の痛い俺が扉に辿り着くまで、どれ程長いか判らないのか。
部屋を出るならせめて、扉を開け放して出て行けば良いのに。部屋前の廊下を誰が通ろうと、気心の知れた者ばかりなのに。

「お、待たせ、しま」
部屋が無駄に広いのも悪い。壁に沿って設えた寝台から、部屋を横切って辿り着き開いた扉の向こう。
あの人は息を切らせた俺に驚いたような丸い瞳を向ける。
「テギョンさん、ほんとに大丈夫?!」

小さく叫んだお声に、門から案内をして来たらしいソンヨプは我が意を得たりといった顔でにやりと笑った。
まさか俺の怪我が重い風を装わせて、この人の罪の意識を刺激して訪いを促すつもりじゃないだろうな。
その顔を睨みつけると、ソンヨプは何も知らないとでも言いたげに俺を見つめ返す。
先刻確かにそこに浮かんでいた笑みも、拭ったように消えていた。

慌てるこの人、そして笑みを引っ込めたソンヨプ。
一歩引いた横で御医殿が、無言で俺達の様子をご覧になっていた。

 

*****

 

「うん。靭帯に損傷はないですよ、足首もちゃんと動くし。ただやっぱり腫れは引いてないので。
湿布薬だけは小まめに塗り替えて下さいね?」

お招きしたのは俺の私室。
余りに失礼なのではと思ったが、この人も御医殿もわざわざ居間に行く事はないと固辞された。
寝台に寝そべる訳にも行かず、囲んだ卓で空いた椅子に上げた足首を診て下さったこの人は、解いた桃色の包から瓶を取り出して卓の上に置いた。
ごとりと重い音がして、その中身の量の多さを伺わせる。

「念のため多めに持って来ました。どんどん使って。あとは薬湯ですね。材料は」
「私が昨日お持ち致しました」
この人が何かおっしゃる前に、御医殿が頷いておっしゃった。
「明後日までお飲み頂き、その後は様子を診て桂枝茯苓丸に変える手筈です。明後日にまた伺いましょう」
「あの、御医殿」
「はい」

御医殿は俺の声に頷きながら、この手首を取ると脈診を始められる。
何が何だか判らないが、少なくとも俺の意思を聞き入れて下さるおつもりはあるかないか、それだけは確かめなければならない。

「昨日も今日もご迷惑をお掛けしました。もう本当に結構ですから、どうかお気遣いなく」
脈を取られながら言う俺に微かに眉をひそめると
「ウンス殿」
御医殿が初めて伺う名を口にする。そしてこの人はその呼び声に何の衒いもなく
「なに、キム先生?何か気になる?」

そう言って椅子の上からこちらへ向け身を乗り出した。
この人の名は、ウンス様。
昨日からずっと知りたかったお名が判った。

「ウンス、様・・・」
「はい、テギョンさん?」
「ウンス様」
「どうしました?どこかつらいですか?」
「あの」

判ったから、嬉しくてまだ慣れないお名を呼んでみる。
呼んではみても、その次に一体何を言えば良いのか。
「ウンス殿。チェ・ヨン殿にお願いして、もう暫し御子息の治療に専念されますか」

御医殿は一体どうされたのだろう。
昨日とはうって変わり先刻はウンス様のお名、そして今回は。
「御医殿」
「・・・はい」
「チェ・ヨン殿とは、もしや迂達赤大護軍の・・・常勝の誉れ高きチェ・ヨン大護軍の事ですか」
「御存知ですか」
「勿論です!お名だけではありますが。高麗でそのお名を知らぬ者は居らぬでしょう」
「そうなんですか?!」

俺の手首に指を添えたままの御医殿が次に何かおっしゃる前に、ウンス様が嬉しそうに頬を紅潮させて俺の顔を覗き込む。
そんなに輝いた瞳で見られると、また胸のあたりがおかしくなる。まだ御医殿に脈を取って頂いている最中というのに。
「え、ええ。そのお名は西京にも轟いております。高麗武神、戦場では鬼神とも畏れられると。
チェ・ヨン殿が戦場に出た途端、敵は戦意を喪うとも」
「そうなんだー!」
「はい。しかし、ウンス殿は何故・・・」

確かに同じ皇宮にお勤めだ。
武臣と医仙という御立場の違いはあろうと、それぞれに最高位の方々として、御縁はあるのかもしれないが。
「何故ウンス殿の御診察に、チェ・ヨン殿のお許しが」
「それは」
御医殿が言葉の続きを引き取ろうとしたところで
「え、だって」

ウンス様は心底不思議そうな顔で、俺に向かっておっしゃった。
「私の旦・・・夫、ですから」

同時に部屋の扉外、廊下で陶磁の割れる鈍い音がする。

がしゃん!

俺達が部屋内から振り返ると、わざわざ茶を運んで来たソンヨプが強張った顔で立っている。
そしてその足許には今運んで来たばかりの茶器がひと揃い、粉々に砕けて湯気を立てていた。

 

 

 

 

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