2016 再開祭 | 婆娑羅・20

 

 

雪が来る前の空気で冷えた暗い廊下に、あなたの声は続く。
「煎じたのが用意してあるからあっためるだけよ。電子レンジがあれば楽なんだけど」
その声にカイは小さく噴き出しつつ首を振った。
「それは無理。電子レンジが製品化されるのは第二次大戦以降だから。原理はもう少し前からあったみたいだけど」
「そうなの?」
「そうだよー」

厨へ向けて歩きながら、2人の交わす言葉は止まらない。
「何でも知ってるのね、カイくん」
「うん。俺すごく頭良いから」
「自分で言わないのよ、そういう事は」
「でもウンスさんだってそうでしょ?何しろドクターだしさ」
「ああ、自慢だけど私本当に成績だけは良かったもの。大修能の成績を教えてあげたいわ」
「自分で言わないでよ、そういう事は」
「だから言ってないじゃない!カイくんは?」
「普通ズバッと聞かないよね、そこ。オブラートに包むよね。俺は高校から留学だったから」
「受けてないの?」
「受けたよ。知りたい?」

・・・そうか。
明るい遣り取りの声を聞きながらようやく思い当たる。
あの頃帰りたいと泣かれた、天界から来たこの若い男。

俺は怖いのか。カイとこの方の会話が。二人だけが共有できる天界の出来事が。
俺には決して知る事も解する事も出来ぬその世の事を、カイは総て知っている。
この方と共に笑い合い、何事も無いかのように話せる。

それが妬ましいのか。俺の出来ぬ事を造作なくやってのける、この天界の男が。
この方が思い出しそうで。連れ返されそうで。奪われそうで。
そうすれば此度こそ、本当に離れ離れになりそうで。
手の届かないあの天界へ、この方が去って行ってしまいそうで。

懼れる理由は判ったが、解決の策は見つからん。
今から俺が天門を潜り、天界の全てを修めて来る訳にはいかん。

「・・・ヨンア、大丈夫?」
妙に静かな俺に気付いたあなたが心配そうに尋ねる。
頷き返せば温かい掌が確かめるように頬へと当たる。
この方が医官で良かった。掌へ頬を預けても望診と言い逃れられる。

俺がカイなら言えるだろうか。一途な目で真直ぐに、誰の前でも照らわずに。
行かないでくれ。此処に居てくれ。いつでも俺に触れていてくれ。
間違いなく言う。この男なら。
今でも俺の頬に掌を当てるこの方の向こう、隠せぬ苛立ちに眉を顰めているくらいだ。

「寒いよ。行こう、ウンスさん」
この方を間に睨み合い、動かぬ俺に業を煮やしたか、カイが低く呟いた。
「ああ。うん。行こうヨンア、風邪ひいちゃう」

頬に触れていた手が離れ、再び廊下を歩き出す。
奴なら歩きながら袖の陰に隠す事なく、小さな手を握れるだろう。
決して出来ぬ己だからこそ、この男が怖いのか。

 

*****

 

「にっが」
薬湯の入った茶椀をひっくり返すみたいにひと息に飲んで、カイくんが顔をしかめた。
「でも飲んだよ。ほら」

証明するみたいに器をひっくり返す手つきに頷いた私に、器を戻したカイくんが着ていたパーカのポケットに手を入れた。
「散ってなくて良かった」

そっと取り出した木の枝を部屋のロウソクの灯で確かめた後、私の前に差し出して
「お礼に。はい」
「ロウバイじゃない」

高麗に来てから覚えた薬木のひとつ。ちょうどソルラル頃に咲き始める、新春の花。
冬の庭に梅より少し先に咲き始める、その花の優しい香り。
折ってから時間が経てば、こんなにいい香りはしないはず。

「どうしたの?これ」
「花盗人は罪にならないんだってさ」
「はい?」

答になってないその声に、意味が分からずに聞き返す。
「ウンスさん、こないだ熱が出た時に塗ってくれた薬に、この花が入ってなかった?」
「よく分かったわね。ロウバイは煎じて飲むと、咳を鎮めたり解熱に効くの。
つぼみを油に漬けておいて火傷に塗ることもあるわ。
軟膏はミツロウで作るんだけど、それだけだと他の薬草とうまく混ざらない。
だからロウバイのオイルでのばして、他の薬草と混ぜたのよ」

カイくんは私の説明に、感心したみたいに何度も頷いた。
「整形外科医って言ってたけど、韓方はどこで勉強したの?」
「ここ」

私がテーブルを指さすと、きょとんとしたみたいに首を傾げる。
「ここ?」
「そう。高麗で勉強したの。整形に行く前は胸部外科にいたから、西洋医学一辺倒だったのよ」
「全部高麗で勉強したの?一から?」
「うん。だってここにはそれしかないんだもの。まだまだ勉強中よ」
「すごい。ほんとにすごい。頑張ってるんだね。偉い。カッコイイよ、やっぱりウンスさんは。
キレイで可愛くて、頭が良くて努力家」

そんな手放しの褒め言葉に顔が緩む。
電気もなければ清潔な無菌室もない。点滴針もないし、注射も出来ない。
ブドウ糖溶液も、生理食塩水も手に入らない。大量出血でショック状態になっても輸血も出来ない。
でもそんな世界であなたを護るには、心も命も護るには、ここで出来る全てで力をつけるしかないもの。

「ね、ヨンア」
「はい」
私に呼ばれて、テーブルの横に黙って立ってたあなたがこっちを見る。
「すごいって。褒められちゃった」
「・・・はい」

あら?

一緒に喜んでくれるかな、俺の為に頑張ってるねって褒めてくれるかって、ちょっと期待したのに。
少なくともいつもみたいに優しく目尻を下げて、私達2人だけ分かる秘密の笑顔で頷いてくれるかなって思ったのに。

あなたは複雑そうな顔のまま、私と、カイくんと、そして私がもらったロウバイの枝を順に見てから、雪が降り始めた窓の外へ目を逸らした。
もう二度と意地でも見ないって、その横顔で言いながら。

 

 

 

 

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