2016再開祭 | Advent Calendar・13

 

 

「保安室から連絡が来ています。総務秘書官室の元契約職社員だそうですね」

書記官室に通されて室内の机の前に腰掛けるや否や立ったままの俺達二人、厳密にはクォン・ユジに向け、書記官は口火を切った。
「はい」
クォン・ユジは比較的落ち着いているらしい。 机の前に立ったまま、椅子に掛けた書記官に頷き返す。
「ああ、申し訳ない。お掛け下さい」

書記官は机越しに並べた椅子を手で示すと俺達が腰を下ろすのを待って、もう一度話し出す。
「キム事務官があなたを国情院に連れて来るとなると、理由は一つしか思い当たらないが。2014年4月16日の件ですか」
「はい」
「あなたは当日の情報をお持ちなのだろうか」
「情報かどうか・・・ただ当日、秘書官室にいたのは事実です」
「あの日の元大統領の行動を、ご存知ですか」

彼女がそれ以上何かを言う前に、俺はベランダに置いていたビンを無言で上着のポケットから取り出し、書記官の前に置いた。
その中身は一見したところ、ビニール袋の塊に見えるだけだろう。
しかし書記官は黙って頷くとそれを取り上げ、そのまま部屋を出て行った。

あの盗聴器の集音範囲。そして性能。ここに至るまでのどの程度の会話が筒抜けなのかは不明だ。
けれどカウンターパンチ程度にはなる事を願いたい。
安易にクォン・ユジに近寄れば、少なくとも背後に国情院がいると判る程度には。

理想なのは正体不明の来訪者がクォン・ユジを守っている事。
そしてその来訪者の親玉と、国情院の上部が連携している事。
最終的に彼女に危険が及ばず、今回のスキャンダルが終息する事。

クォン・ユジがさすがに不安そうな瞳で俺の顔を覗き込む。
大丈夫だと頷き返すと、彼女は表情を緩めて少しだけ笑う。
書記官があの盗聴器を持って出て行ったなら、情報部に回るのか。
国情院が大統領の直属機関である以上、クォン・ユジは言うならば俺達の元同僚にも等しい。
同僚を見殺しにしたり見捨てたりする部署ではないと祈るだけだ。

書記官が退出した部屋は、息の音も憚られる沈黙に支配される。
その中で彼女が座った椅子の上、首から上だけで横の俺を見た。
「テウさん」
「はい」
「お腹空きましたね。テウさんは、空きませんか?」
クォン・ユジが困ったように言って、自分の腹を両手で押さえて見せる。
深刻そうな表情に一体何を言い出すかと思って、身構えていればこれか?

「・・・は?」
「さっきから、お腹が鳴りそうで・・・先に宣言しておこうかなーと思って。こんな静かな部屋で、急に鳴ったら恥ずかしいので」
「・・・書記官との面談が済んだら、何か食べに行きましょう・・・」
「寒いし、あったかいおまんじゅうが食べたいな。私が御馳走しますよ、テウさん」

素晴らし過ぎる能天気ぶり。予想を裏切るにも程があるが、良い事だ。
食欲は人間の三大欲の一つ。生きる根源だからな。

・・・え?

突然襲われた既視感。良い事だ。生きる根源だからな。

自分の呟きに思わず瞬きを繰り返すと、横のクォン・ユジが心配そうな顔で俺を見ている。
「どうしたんですか、テウさん?」
「・・・いえ、何でもないです」

そっくり同じ事を思った事がある。あれは最初に2人でおでん屋に行った時。
取り止めもない話を交わし、幸せそうに酒を呑むウンスに思った。

この人は、酒と飯さえあれば幸せなタイプらしい。
良い事だ、生きる根源だからな、食欲は。

俺は生命力の旺盛なタイプが好きだ。ウサギみたいに野菜だけ、厭々口にするような女は嫌いだ。
だが今回は自分の好みのタイプの女性を探した訳じゃない。ガードの対象者に選択の余地はない。

ユ・ウンス。

一緒に過ごした記憶は近過ぎ、その面影は胸の中で鮮明過ぎて他の誰とも比べる気にはならない。

クォン・ユジ。

彼女は俺にとって守るという約束を交わしたガードの対象者。決してそれ以上でも以下でもない。

昨日のうたた寝の中で見た夢。
喉元まで出かかっている、何か大切な言葉。
頭の隅に引っ掛かる、いつかの大切な記憶。
心を駆り立て、走り出したくなるような焦燥感。

駄目だ。彼女と出会って以来、俺は本当におかしい。
自分のペースは崩れっぱなしで、思考にも全く纏まりがない。
「テウさん、本当に大丈夫ですか?」

改めて彼女に問われ、思わず正直に大丈夫じゃないと答えそうになって唇を噛み、黙って頷き返す。
彼女は何故いつも必ず、俺の名前を呼ぶのだろう。
ウンスは逆だった。呼んでいるのに、本当に呼んでいるのは俺の名前なのか、いつでも不安だった。
その理由は奉恩寺で判った。ウンスが求め呼んでいたのは俺ではなく、高麗の名将崔 瑩だったと。

けれどクォン・ユジが俺の名を呼んでいるのに、それ以上に懐かしい気持ちになるのは何故だろう。
父親も、母親も、学生時代の友人や仕事場の同僚や、今までに俺を呼んだ誰とも違う気持ちになるのは。
はいと答えるだけでなく、他の答も一緒に返さなければと思うのは。
「・・・クォン・ユジさん」
「はい、テウさん?」

混乱する思考を遮るようにドアが再び開き、無言のままの書記官が部屋へ戻って来る。
そして俺達の前の机に腰掛け直すとその机上に両肘を突き、俺と彼女を順に見つめた。
「盗聴器は情報部に廻した。一両日で結果が出る。容易に割り出せるとは限らないが、使用周波から集音先が判明する可能性もある。
あれはどこに設置してあったのかね?」
「彼女のジャケットの中で発見しました」
「成程。彼女は今どこに?」

書記官に向けて少し恥ずかしそうに、クォン・ユジが口を開く。
「キム・テウさんのご自宅に」
「周辺の警護を強化しよう」

願ったりだと内心で安堵の息を吐き、俺は書記官に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「キム事務官の長期休暇は珍しいと、届を見た時思ったが。今回の事が理由か?」
「いえ。完全に想定外です。もしもそうであれば、事前に許可を願い出ました」
「うん。君の性格ならば、確かにそうだろうな」
書記官は珍しく、いつもは厳しいばかりの顔を和らげて、微笑みに似た表情を浮かべた。

「結果が出次第連絡する。その時にまた」
「はい」
ようやく第一関門突破か。先はまだ長い。
俺が椅子から立ち頭を下げると、クォン・ユジも続けて慌てたように大きな音で立ち上がった。

 

 

 

 

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