2016 再開祭 | 貴音 ~ 夢・参

 

 

「・・・南方戦略に関しては以上だ」

皇宮の隅、軍議の席を設けた明るい部屋の中。
此度の南方戦の経緯を記した繍本を指先で閉じ、卓向うの都巡慰使と巡軍万戸府長官を確かめる。

都巡慰使が卓へ落としていた思慮深げな目を上げ、静かに問うた。
「問題は耽羅済州の牧子。倭寇と敵対している間は良いですが、手を結ばれれば面倒です。
かといって牧子の動きを把握するにも、相手は元首国の子孫と言う意識が強すぎ。
我らの声を聞く気など、端からない様子です」
「離れ小島ゆえ、統括が厄介だ」
「馬の扱いに慣れております。地形も把握しにくく、島内で小競り合いでも起きれば不利かと」
「密偵をもぐり込ませるには、島民が互いに顔を知り過ぎている。余所者は目立つ」
「内部から崩しますか。既存の役人の買収なり、役人を変えるなり。名分は用意します」
「・・・考える」
「判りました」

役人を丸めこもうと変えようと、密偵と露見すれば状況は悪化する。
離れ小島故に逃げ場も無い。
身の安全どころか最低限の命の保証すら出来ぬ処へ、誰であろうと送り込むわけにはいかん。

考える俺に向け、続いて万戸府長官が声を上げる。
「南方の民は未だに赤月隊を英雄と思っております。官軍や巡軍は不満のようです。特に以前倭寇攻めに遭った地方や村では」
「・・・そうか」

目の前に座る巡軍万戸府長官は、任に就いてまだ浅い。
俺の出自を知らぬ所為か、そう言って困ったように眉を顰める。
見兼ねた都巡慰使が此方を伺い、慌てたように頭を下げる。
「この者は知らぬのです、大護軍」
「構わん」
「しかし」

自身直轄の部下組織の巡軍万戸府の失礼が余程気に掛かるのだろう。
都巡慰使は気まずげに頭を下げると、並ぶ下座の長官を睨みつけた。
「何も知らぬ奴は黙っていろ」
「しかしナウリ」
「我らの大護軍こそ、その赤月隊の最年少部隊長だった方だ!」

抑えた上官の声に長官が驚いた眼を開き、俺に向け深々と頭を下げた。
「失礼しました!」

失礼とは何だろう。何故こいつはこれ程容易に頭を下げるのか。
貶した訳でも、軽んじた訳でもない。悪い事など言っていない。

あの海の民達は、まだ覚えているのだろうか。
空に昇った赤い月が照らす夜の戦闘を、月明りに乗じた夜襲を。
その月光の許に燃える火柱を、そして長く黒い夜が明けた時を。

焼けた船から立ち上る薄煙、等しく朝の波に洗われる朋と敵の骸。
そしていつもと変わらぬ穏やかな凪の水平線を照らし出す陽の光。

あの頃から十年以上を経ている。
それを親が子に、子が孫に語り継いでいるのだろうか。だとすれば、隊長も逝った皆も報われる。

考える程に思い当たるあの日。
忠恵の名に誘き出された皇宮で破目を外し浮足立つ俺達に向かい、隊長が言った。

胸に描いていた王様の御姿とは違うかもしれん。
その時には外で待つ仲間たちの事を考えよ。

隊長は最初から、国の為、忠恵の為に戦った事など無かったのかも知れない。
ただ民を護る、そして俺達が生き残る道だけを模索していたのではないかと。

そして俺も国の為、王様の為と言いながら、こうして各地を転々と戦い続けるのは。
国や王様の為でなくただあの方を、吾子を、家族らを護りたいだけなのではないか。

しかしあの方の家は大き過ぎ、家族は多過ぎる。
道を走る子は皆吾子で、愛しい者を残して戦に出る者、その帰りを待つ者は皆家族。
泣いていれば駆けて行って慰め、心を痛めていれば抱き寄せ、病や傷を得ていれば癒す。

あの方がこの国が家だと、民が家族だと考えるから、俺はその家を、家族を見捨てる訳に行かん。
そんな女人を愛してしまえば、他に選ぶ道は無い。
そして選べるくらいなら、いっそ最初から愛さない。

誰より愛する女人の家長が吾子に会いたいと望まれるなら、俺に選ぶ道など無い。
「密偵の件は、王様へご相談申し上げる」
「畏まりました」
「決まれば報せる」

声を最後に繍本を懐へ突っ込み席を立つ俺に向かい、都巡慰使と長官が競って椅子を蹴り立ち上がる。
「わざわざ御休み中に御出で頂き、申し訳ないばかりです」
「気にするな」
「お願いです、大護軍。少しはお休みください」

都巡慰使が不安げに俺へ声を上げる。
「お前らもな」
「我らには他に幾らでも代わりが居ります。交代で地方を廻れます。
大護軍の代わりは、高麗の何処にもおりません」
「馬鹿を言うな」

軍議部屋を大股で突切って扉へ向かいつつ、俺は肩を竦める。
「誰にも代わりなど居らん」

家族に代わりがいるならば、俺はこれ程に東奔西走などせん。
代わりがいると言うならば、あの方は命を懸け守ったりせん。

扉を開けた外の石畳の径、テマンと手を繋ぎ駆けて来る逆光の中の小さな影。
あの影に代わりがいるのなら、胸痛む程に愛おしくは思わん。

「ちちうえーーー!!」

テマンを引き摺る勢いで駈けられる者など、この世に一人しか居らん。
其処に膝を着き腕を広げ、胸へ飛び込んだ温かさごと晴れた空へと抱き上げる。

「来たか」

抱き上げた体ごと次にこの腕に納めると、栗色の目がもの珍し気に周囲を見渡している。
「これは、何と可愛らしい御子ですか」
「父上にそっくりだ」
腕の中の吾子を覗き込み、口々にそう言って都巡慰使と長官が相好を崩す。
「父上をお休みに駆り出して申し訳なかったね」
「悪い年寄りだな、許しておくれ」

初対面の年長者にも物怖じせず、腕の中の吾子がにこにこと笑う。

何処が俺に似ていると言うのだ。あの方にそっくりではないか。

 

 

 

 

1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です