2016 再開祭 | 婆娑羅・8

 

 

雪道に俺達の足音だけが響く。
カイもチュンソクも国境隊長も、口を開く気配はない。
いつもならこういう場で重い空気を避けようと張り切って口火を切るこの方も、此度は静かに歩いている。

兵舎の狭さはこうした時には面倒だ。何処へ身を隠そうと耳目がある。
結局俺達が外に出るしかないと、天門前の兵舎を後に雪道を歩く。

開京が堕ちるなど、他の奴らには間違っても聞かせる事は出来ん。
少なくとも確証が取れるまで。出来るなら預言を覆せれば最良だ。
起きねば無かったも同然。今から敢えて士気を落とす必要は無い。

雪中の通りを暫し歩き、目に付いた一件の飯屋に飛び込む。
「迂達赤大護軍様でしょうか」

飯屋の主が目敏く見つけ、喜色満面でわざわざ厨から出て来た。
耳目があるのは何処も同じかと、思わず諦めの息を吐く。
主は先頭の俺、脇のこの方、この背の半歩後左右に従いたチュンソクと国境隊長、その二人に囲まれた金の髪のカイを順に見つめる。

否か応かを答えぬ限り、飯の食いはぐれか。
俺達はともかく、この方を空腹で兵舎へ戻したくない。
渋々黙って頷くと、主は自ら俺達を店奥へ案内しつつ
「もしや戦が始まるのですか」
周囲の客や店の者には届かぬ小さな声で、不安げに訊いた。

「違う。案ずるな」
「大護軍様がいらっしゃれば大丈夫です。民は皆信じておりますよ」
俺の声に安堵したか、主の顔に笑みが戻る。

この姿が見えるとはつまりはそういう事だ。近々何か起きるのかと。
案ずるな。お前たちは畑を耕し、商いに精を出し、家族を守れ。
国には王様がいらっしゃる。
そしてお前たちと王様を守り、戦を案じるのは俺達の役目だ。

けれど口にする事は許されない。その言の葉は口にすれば軽すぎる。
約束は守れねば偽りになる。

先刻耳にしたカイの声が胸を過ぎる。
開京が堕ちる。それも紅巾族の手で。

事の重大さに咽喉が焼ける。その一言が消える事無く繰り返す。

開京が、堕ちる。

 

通された最奥の席、最後に主は
「どうぞごゆっくり。御用の時は呼んで下さい」
そう言うと一礼し、静かに扉を閉めた。

「カイ」
最早猶予はないだろう。扉が閉まり主の気配が離れたのを確かめて呼ぶ。
俺の声に覚悟を決めたか、カイも厳しい顔で向かいから真直ぐに此方を見つめ返す。
「何だよ」
「要点だけ言え。お前が何を知っているのか」
「逆に俺が知りたいよ。一体どうなってる。ここは本当に高麗なのか?あんたは本当に、あのチェ・ヨン将軍なのか?」
「しつこい」

俺は将軍などではない。この方もカイもそれが判っていない。
先の世を知る二人が口を揃えて言うなら、確かにそうなるかも知れん。
俺は将軍になるのかも知れん。父上の金言が後世に残るのかも知れん。

だから何だと言う。それが如何したと言う。
兵は先の世の名声や栄誉など目当てに戦場には立たん。
この胸にあるのは、唯一つの大切な声。

死なないで。

そして己が立てた唯一つの大切な誓い。

命ある限り護る。

二本の腕の一本で剣を振り、もう一本であなたの手を握れれば良い。
それで全てがうまく行く。俺はそれを知っている。

「開京は堕ちるんだな」
「そうだよ。今から3年後。少なくとも俺が学んだ歴史ではそうだ。だからってそれが本当かどうかまで、立証のしようがない。
歴史なんて権力者の手でいくらだって書き換えられるもんなんだ。本当は何か別の理由で消失したのを、ごまかしてるのかも知れない」
「可能性は」
「大いにあり得るだろ?何しろ李氏朝鮮の太祖は、高麗から李氏朝鮮への移行のクーデターの正当化に必死だったんだから。
都だってわざわざ開京を捨てて、ソウル・・・当時の漢城に遷都したんだ」
「・・・そうか」

李氏朝鮮。太祖。恐らくそれが後世に残る李 成桂の呼び名。
カイの不満げな声に頷くと、続いて未だに信じられんという顔のままのチュンソクと国境隊長を見遣る。
「情報を得られたのは幸甚だ。少なくとも備える刻が残っている」
「大護軍・・・」

歴戦の兵どももさすがに硬い声で唸る。
開京が堕ちる。信じられんのも当然だ。
但し天の預言は当たる。俺自身が身をもって知っている。
この方の過去の預言に、嘘は一切なかった。
結局その預言、天の手帳に書かれていた総ては起きた。佳き事も悪しき事も。

「いずれにしろ、その後も高麗は残るよ」
カイは己の声を補うように焦った声で告げる。
「確かに紅巾族は攻めて来る。開京が陥落するのも歴史上は事実だ。だけど高麗は、開京は残るんだ。紅巾族にも大勝する。それも」
そこで声を切るとさも厭そうに俺を見て呟いた。
「チェ・ヨン将軍。あなたの大活躍のおかげでね」
「大護軍の」
「大勝ですか」

まるで面白いように、目前の奴らの顔色が変わる。
カイがそう言った途端チュンソクの顔には赤みが戻り、国境隊長は額に浮かんだ汗を大きな掌で拭った。
「ふざけるな」

その喜びに冷水を浴びせるような俺の声に、意味が判らんという目が戻る。
チュンソクから、国境隊長から、そしてカイから、俺の脇のこの方からも。

「良いか。俺一人が手柄を上げるような言い方をするな。
俺の朋が一人でも命を失うなら、勝ち戦ではない」
「そんなの知らないよ、誰が残って誰が死ぬかなんて、いちいち国史に書いてあるわけないだろ?!
そんなことしてたらきりがないんだし」
「ならば黙っていろ」

黙っていろ。人の命の行く末が判らんのなら。
こうして今確かに卓を囲み、一喜一憂する朋らの行く末を知らんなら。
戦に怯えても俺がいればと一縷の望みを託す民の行く末を知らんなら。
俺自身の命よりずっと大切なこの方の行く末を知らんなら黙っていろ。

それが全て判った時に初めて口を開け。あの時チェ・ヨンは大勝したと。

肚裡が伝わったのだろう。横のあなたが無理に微笑むと、卓下で俺の指先を優しく握った。
その指先が震えている。この方はいつでも正直だ。
そして紅い唇だけが呼ぶ。

よ ん あ

大丈夫だ。俺達は先に知る事が出来た。三年後に起きるなら、兵を三年鍛えられる。
この三年、俺は比類なき程に強くなって見せる。あなたを護る為ならば何でもする。

「チュンソク」
「はい・・・大護軍」
「此度王様へのご報告は多い」
「はい」
チュンソクは唇を一文字に引き結ぶ。

「国境隊長」
「はい、大護軍」
「兵らに委細はまだ伝えるな。鍛錬を欠かすな」
「はい!」

今備えられるのはその程度だ。敵より一歩先んじて計ずる。
春になれば鴨緑江から開京までの、各府の防壁を確かめる。
攻められるなら守るまで。そして全員を生きて帰す。
どれ程無謀と判っていても絶対に諦めることはない。
俺が諦めれば全てが終わる。そんな事にはさせない。

卓の下、こうして握り返す指の確かな温もりがある限り。

 

 

 

 

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