2016 再開祭 | 逐電・緒

 

 

突飛な事を言い出しながら、卓向うの鳶色の瞳が真剣なのが尚更に判らん。
返すべき声にも詰まり、その瞳をただ見つめ返す。

兵の引退。何だ、それは。

「あのね、未来では定年退職っていうのがあるの。職種によっても違うし、定年っていうよりクビっていう職種もある。
軍では昇級できなくて、退職せざるを得ない場合もあるけど・・・」
「戦で死ぬでも、失態でもなく、自ら退けと」

死ぬ日を待っていた頃とは違う。
周りも見えず、逃げる事ばかりを考えていた頃とは違う。
今生きている俺に、生きてあなたを護りたい俺に、そんな事など考えられん。
問いの意味すら分からないのか、この方は俺を見て的外れな説得を繰り返す。

「うん。でもそんな時でも、私が家計を支えるから!だからヨンアは何も心配しないで。
その為にも、今から副業を考えるのは良いことだと思わない?」

戦で死ぬ気など無い。失態を犯す気も無い。罠に嵌れば別として。
民を、王様を、兵を、誰よりこの方を思えば愚かな真似はしない。

その俺に、兵を退けと言うこの方。
その時に備え、心を売ると言う方。

判らん。理解出来ん。先の世で兵がどう生きようと、俺には関わり無い。
俺は生きたい。生きてこの方を護りたい。
この方の笑える高麗を守る義が、国を治める王様をお守りする義がある。

「退く気はありません」
「うん、もちろん今じゃないわよ。それじゃ歴史があまりにも変わっちゃうだろうし。でも、いずれ」
「・・・李 成桂の件ですか」
「え」
「俺が兵を続ける限り、奴との衝突が避けられぬからですか」

この名を聞けば傷つくだろう。それでも避けては通れない。
そして図星だったのだろう。この方は慌てたように作り笑いを浮かべ
「それだけじゃないわよ。ただそういう時が来て、あなたが引退してもいいなーって思った時に、早めに新しい経済基盤が出来てれば」
「来ません」

この方に養われるような恥を晒す真似を赦せる日。
己に何の非も無く、全てを見殺しに兵を退く日も。
「絶対に」
「だから、今すぐってわけじゃ」
「今であろうと、後であろうと」

この方は頑固に首を振る俺に、苛立つように声を荒げる。
「だったらせめて私がやりたいと思う事をやらせてよ。それが軌道に乗れば、ヨンアだって考えが変わるかも」
「あなたが心を売るのは御免です」
「心を売る?何それ。そんな事言ってないじゃない!」

俺の為を想って拵えるものを金で売り渡せば、心を売るも同然だ。
何故それを判って下さらぬのかと、俺の中にも苛立ちが募る。
「此度は俺の言う事を聞いて下されば良いのです」

その一言に、此処までこらえて来たものが決壊したか。
「私にだってやりたい事があるわ。あなたのお荷物になりたくない。
あなたのお金だけに頼りたくない。私が言うなりになると思ったら、大間違いなんだから!」

そう言ってこの方は立ち上がり、居間を駆け出て行った。

止めるべきだった。確りと向き合い話すべきだった。
判っている。それでも俺の中にも譲れぬものがある。

あなただけを護りたい。その心は確かに今もある。
許されると言うなら、名分があるならそうしたい。

それでも此処で退くというのは国も民も王様も兵も、他の全てを見捨てる事。
此処まで共にこの方を守り続けた、全ての誠意を踏み躙り愚弄するという事。

訪れるかどうかも判らぬ李 成桂との衝突を怖れ、一人安寧の蓑の下に身を潜め生き延びて何になる。
縦しんばそれで残りの日々を過ごしたとも、己を苛み続けるだろう。
卑怯者、臆病者と。

此処まで時を共に過ごし、未だそれを理解して下さらぬあの方に俺は確かに腹を立てた。
追い駆け掴まえ説き伏せたとして、心を騙して偽りの宥和を結んだとしても、表面上の事に過ぎん。

だから追い駆けなかった。
心尽くしの茶の椀が、掌の中で汗をかき温くなるまで。
居間の開いた扉外、西空が雲を染め上げ褪せて行くまで。

一人座り込み、考えていた。
互いに譲れねばならぬもの、そして譲れぬものについて。

夕餉の支度の為に厨へ踏み入ったタウンが
「大護軍」
そう呼んで姿勢を正し、あの方の逃げ場を告げるまで。

 

*****

 

「・・・尼寺」
「はい」

卓前で真直ぐに背を伸ばし、沙汰を待つ如く首を垂れ、顎が胸へ着く程深く顔を伏せるタウン。
「恐らくウンスさまは、歩仙寺に」

開京の外れの尼寺の名を挙げて、タウンは更に深く首を垂れた。
「本当に申し訳ありません」
その脇でいたたまれぬ表情で、無言のままタウンと俺を心配げに見比べるコム。
「何故そんな話になった」

そのコムへ眸で頷き返し、タウンへと静かに問う。
タウンは顔を上げぬままで、静かに口火を切った。
「日暮れ前、ウンスさまと御庭ですれ違った折に」

 

 

 

 

4 件のコメント

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    あぁ~~
    此度はウンスに苛つく私です(-.-)
    未来の事を知ってる、ウンスの気持ちも判るけど…
    ウンスも自分の我ばかり通さないで
    、もっとヨンの心中を判ってあげないと!
    さらんさん❤
    二人を早く仲直りさせてあげてくださいませ(^^)

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    ヨンにしてみれば
    武士のプライドが…ねぇ
    ウンスは 自分のできること ヨンだけに
    負担をかけたくない… なんて わかんないわね
    で 尼寺…
    (•́ε•̀;ก) 困ったもんだ!

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    さらんさん、こんにちは!
    ヨンの未来が帰られたら、どんな事でもやりたりウンス
    そのウンスを守ると約束してくれた王様に立てる誓い
    どちらもね…お互いの事を護りたいだけなんだけどね。
    それでもお互い譲れるものでもないし平行線ですよね…
    どうするのかなぁ。心配ですね。

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    う~ん。どっちの言い分もわかるけど…
    ヨン!心の中で叫んでもウンスにはわからないよ。
    心を売るなんて言われても…
    本当はウンスのお茶も自分の事だけ考えて淹れて欲しいし、コスメを作る時間があるなら二人でお互いを想いながらまったりと過ごしたいんだよね。
    言葉にすればウンスもわかってくれると思うけどなぁー。
    ちゃんと二人で納得できるまで話してみないと!
    でも夫婦喧嘩はどちらかが折れないと収拾つかないかも。
    これは我が家だけ⁈

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