2016 再開祭 | 寒椿・後篇

 

 

肚奥から吐いた息は、咽喉を過ると何故か笑い声のように響いた。

崔瑩から目を離さず、不慮の攻撃に向けガード可能な距離を取る。

呼吸の音から察するに、奴は内功遣いではないようだ。
但し武術の心得はある。気負うでもなく目も離さず、互いの間の距離を取る足取りで判る。
鬼剣を抜くのは最後の最後。まずは奴の手の内を知らねばならん。

まだ剣を使う気はないのか。リーチを目測する。ほぼ互角だろう。
あの一言で臨界点を超えたらしい。崔瑩はこっちを真直ぐに見て膝のクッションを使うように僅かに曲げた。
通常なら恵まれた体格を利用するよう出来る限り伸ばす。それを曲げる事でモーションが減り、威力は増す。
一気に距離を詰める、物理的にも理屈に合っている。本能なのか?

特に得物を持つ気配はない。上衣の懐の膨らみだけが気に掛かる。

一気にアタックをかけるかと思ったが、状況を読んでいるらしい。

次の動きで来る。

崔瑩の目が光る。

その時、窓を揺らす風の音に混じる信じられぬ声を聞く。
それは一人鷹揚なこの方の、困ったような小さな笑い声。
「ねえねえ、2人ともひとまず座ってくれない?」

遅れて立ち上がったこの方は先刻それぞれが蹴り立った勢いで床に倒れた椅子を起こした。
そして横の俺の背に廻り込み
「はい、ヨンア」
爪先立ちで高い処にある俺の肩にようやく手を掛けると
「座って。ん?」

口調とは裏腹に、まるでぶら下がるように重みを掛けてねだる。
爪先立ちの足許が危うげに揺れる。互いの身の丈が違い過ぎる。

座るしかなかろう。敵に背を向けても、この方が転ぶ方が怖い。
着座と同時にこの方は褒めるようにこの背を撫でた後、正面の男に大きく笑い掛ける。

「お願いだから。テウにまでぶら下がったら私が疲れちゃう」
奴も同じように断ればぶら下がるのか。同じ扱いか。
そして座れば、褒めるように背を撫でる積りなのか。
奴は黙って頷くとこの方を安堵させるように笑い、俺から目を離さぬままで静かに椅子へ腰を下ろす。

この方が背を撫でれば即座に立つ。
その挙動を見守るが、この方は大人しく俺の脇に腰を下ろすと
「あのね?聞いたのは2人をケンカさせたかったんじゃなくて」

男の着座と同時に、男二人のそれぞれの顔を確かめるように言う。
「考えたの。もちろんいろんな要素はあるわ。だけど一番大切な要素。あの」
そう言って吹雪の窓外に、天門の光を追うような視線が伸びる。

「あの門、もしかしたら何より開けたいって意志が必要なのかも。それも自分の為じゃなく、誰かの為に。
私が何度も行き来した時もそうだった。最初は偶然なのかと思った。開いたのが先で、意志は後。だけどヨンア」
「・・・はい」

突然指名され、窓外から戻った鳶色の瞳に射竦められる。
「覚えてるでしょ?キチョルは入れなかった。条件は同じよね。私が入った直後だもの」
「はい」
「定員があるとも思えないわ。現に私たち、2人一緒にくぐった」
「はい」
「私は入れた。あの時考えてたのはね、薬を取って帰って来たい、ただそれだけ。だってあなたが凍ってたから」
「はい」

奇轍に引き立てられて丘を遠くなるあなたを、眸だけで追った。
氷功を受けて凍りかけ、霜つく体よりも心の方が痛かった。
守りたかった、護れると思った、勝てると信じ此処に来た。
なのにこんな無様に地に横たわり、遠くなるあなたを見ている。

それでも誓った。戻って来る。それなら待つ、石になるまで。
唯一の誓いだけが支え続けた。その後に流れた四年の年月を。

「100年前のモンゴルから帰って来た時も。ただ逢いたかった。だって、戻るってあなたと約束したから」
「はい」
「前回も。両親に会いたかった。そしてあなたは言ってくれた。共に行ければって」
「はい」
「そしてあなたは、全然別の時代にいた。あれがいつだったのか分からないけど、今の高麗じゃなかったわよね?」

何時も同じだ。慢心そして油断。その隙を縫い天門は問い掛ける。
追うか。それとも諦めるか。
答は一つしかないと知っておろうに、飽きもせず。

あの時は待つ事も苦痛だった。走って追わねば気が済まなかった。
そして俺の眸の前、確かに天門は開き続けた。
まるで嘲笑うよう、此処ではない世でこの方を探せと言うように。
「はい」

目の前の男はその声に、初めてこの方に視線を移す。
「そうだったのか?」
「え?」
改めて問われたあなたは俺から視線を外し男を見た。

「うん。あの時あなたが逃がしてくれたでしょ?高麗にまっすぐ戻れなかったの。でも、そこでこの人が待っててくれた」
「そのまま2人で戻ったのか」
「そう。その時は高麗に戻って来られた」
「・・・門の開閉・・・」

男は考え込むように卓に肘を突き、己の頭を抱え込む。
「最大の不確定要素・・・」
「私も偶然だと思った。自分しか天門をくぐった人間を知らないから。でもテウも来られたわ。だから聞いたの。
私に会いたいと思った?そういう意志が、もしかしたら」
頭を抱えていた腕を解き、視線はまだ卓へ伏せて男が呟いた。

「・・・・・・崔瑩」
「何だ」

名を呼び捨てるとは良い度胸だ。ましてこの方の声を遮ってまで。
不機嫌の極みで声を返すと、男もうんざりした顔で頭を振る。
「お前の事じゃない。最大の不特定要素の仮説を立てただけだ」
「この人が、不確定要素?」
何かを言おうとした俺より先に、この方が奴に問うた。

「そうだろう?そうじゃないか?」
男は視線を上げると、自らに言い聞かせるように言う。
「もちろん地殻的、天文的な変動も必要だろう。但しそれだけじゃない。開く度、繋がる時空がずれている。
ウンス、お前の仮定では意志と言った。ではその条件だけで開くか?もし誰かが一心不乱にあの弥勒菩薩の前で祈れば?
そんな風に祈った人間全員に開いたか? 少なくとも調べた限りそんな調査結果はない。最後の要素は崔瑩、お前だ」

其処まで息もつかずに話し終え、男は俺を見る。
あの方と同じ箇所、俺の左眉を何故か凝視して。

男に穴が開く程眺められて喜べるか。
相手を睨み返そうとし初めて気付く。

「・・・おい」
「何だ」
「お前の・・・」

その、左眉の薄い傷。
それ以上の声を重ねられずに脇のこの方へ眸を投げる。
何一つ口にせぬのに、この方は俺の視線に頷き返す。

知っているのか。知っていたのか。この男に助けられた意味を。

奇轍に引き裂かれた丘での別れの四年の後。
戻って来てくれたこの方は、ただ泣きながら俺の眉を撫でた。
幾度も幾度も、愛おしいものに触れるようにただ撫で続けた。

生まれた時からあるのです。

そう伝えた俺に。

知ってる。あそこに、いてくれたの。

やっぱり、あなただったの。だから、あんなに。

春に花が咲き、夏に蝉が鳴き、 秋に葉が舞い、冬に雪が降り。
幾度季節が廻ろうと、変わらぬものがそこにある。

星の光が降るように、月の光が灯るように。
暗い夜は必ず明け、明るい朝が来るように。

たとえこの命が尽きようと、離れる気はせぬ。
たとえこの方が離れようと、失う気はせぬ。

不確定要素は、崔瑩。眸の前の男はそう言った。

俺達は必ず巡り逢う。
遥かな螺旋のその先で必ずあなたを抱き締める。
二度と哀しいあの声で、俺の名を呼ばせぬ為に。

探しているのか。そして幾度も帰しているのか。
それともあの時のよう、偶さかの出逢いなのか。
螺旋の先のその世で、この方だけを助ける為に。
俺が俺としてこの方をこの腕に抱き締める為に。

「途中で切るな。最後まで言ってくれ。そういうのが気になるタイプなんだ」
男は機嫌を損ねたように、俺に向かって吐き捨てた。
それでも腹を立てる気にもなれん。毒気を抜かれたとは、正にこの事だ。

俺はこの男ではない。この男は俺ではない。
偶さか同じ不思議な天女に魅入られた、愚かな男なのかも知れん。
「・・・お前の、名は」
不機嫌そうに答を待つ男に問う。

「今頃訊くのか?キム・テウだ」
「金 泰佑」

知らぬ名の、知らぬ男。己と同じ傷を持つ男。
それ以上何を言って良いかも判らずに、俺は黙って頷いた。

 

 

 

 

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