2016 再開祭 | 金蓮花・廿玖

 

 

 
開京の町を捜索する兵達の掲げる松明の灯が、闇の中に紅の線を引く。
窓外を慌ただしく駆ける軍沓の乱れた足音。刀剣が鎧を打つ重い音。

道理で船着き場にも兵があれ程大勢居た筈だ。
それも全ての注視を開京へ入る方では無く、出る方へと向けて。

少しでも目立つ大きな荷には遠慮無く手にした突棒を挿し、中身を確かめていた光景を思い出す。
王妃媽媽の拐し。企てたは十中八九あの鼠。しかし腐っても王族。断事官の庇護もある。
足許も証拠も固めず飛び込んで、王妃媽媽も王様や兵を危険に晒す訳にいかん。

桟の隙間からすぐ表を行き交う兵の気配を感じつつ、奇轍と迎賓館の監視に当たった全員の声を聞いていく。
「留守の間、奇轍はどうだった」
「手下がやけに薬草を買い込んでたよ、あちこちの薬房で」
「毒草か」
「普通の薬草。黄耆に人参、白朮や升麻、当帰や附子。買い占めだ」
「それらは何に使う」
「体を温めるもんばっかりさ」
「・・・温める」
氷功遣いが体を温める薬草を買い漁る。俺は微かに首を捻る。
手裏房からの報告はしかしそれだけでは終わらない。

「それから一回、王が邸に行った」
「王妃媽媽の攫われる前か、後か」
「前だったよ」
「ああ、迂達赤達を引き連れて行ってた」
「それ以外は」
「特に動きはなかったな。手下たちもだ。怪し気な男らがやたらと邸に出入りしてたけど」
「俺も見た。賞金稼ぎだろう。幾人かは見た事のある顔だった」

この道中で幾度も遭遇したしつこい賞金稼ぎを思い出し唸る。
「俺達に仕向けた者だ。道中何度か襲われた。他には」
「あとは大人しいもんだ」
「王妃媽媽の攫われた日は」
「一切誰も出入りしてない」
「手下らもだな」
「ああ、間違いねえよ」

王様が御自ら奇轍の邸へ出向いた。あの私兵で溢れる邸まで。
そして王妃媽媽が拐された当日は、手下も含め出入りが無い。

考えろ。王様があの私兵の溢れる邸に足を運ばれる理由。
危険を冒してまで屋敷に足を運ばれた理由。
表立って出来ぬ内密の取引。其処にしかない何かを王様は望まれた。
それ程までに急ぎ、王様が望まれる物。
あの奇轍の屋敷にしかない物とは何だ。

「奇轍の謹慎が解けたか」
「知ってたのかよ、旦那」
「いや」
「王妃を探せって言われた時、迂達赤の奴らに言われたよ。奇轍の謹慎も解けてるから気を付けろって」

決まりだ。王様は玉璽を取り返された。代わりに奇轍に自由を与えたのだろう。
奇轍の狙いはあくまでこの方。知りたいのは天界へ辿り着く道。
王妃媽媽を攫う時間があるくらいなら、この方を追って来た筈だ。

そして王様の御手許、元への駒が揃う。玉璽、そしてこの方。

王様は危険な賭けに出た。
自由を得た奇轍がこの方を追い駆けても、必ず俺がこの方を護るという賭け。
若しくは二つの条件の内の玉璽だけを返却し、医仙に関しては別の口実を設ける御積りか。

王様の御手許に駒が揃えば、あの薄汚い鼠は如何する。
元が次王の勅令を発布する名目を、高麗進軍の名目を失くした時。

「王妃媽媽が攫われた日、徳興君の動きは」
「迎賓館から一歩も出てないよ」
「・・・手下がいるか」

己の手を汚す筈も、尻尾を出すような下手をする筈も無い。
足元まで火のついたあの鼠。だとすればその次に何をする。
取引には応じぬ。応じれば即ち、己の罪を認める事になる。
では王妃媽媽を攫う危険を冒してまで待っているのは何だ。

王妃媽媽という砦を失った王様の、降伏の白旗。
では残る砦はどうなる。邪魔なだけだ。完膚なきまで打ち崩される。
あの鼠は事が終われば必ずや、王妃媽媽を手に掛ける。

「迎賓館に出入りした奴の顔を覚えてるか」
「んー」
シウルが腕を組み宙を睨んだ時、卓に揺れる蝋燭の灯影に浮かぶ見慣れた外套姿に目を止める。

遅かれ早かれこうなると思っていたから驚きもない。
少なくとも援軍である事が判っているから息をつける。

その顔を認めた卓の真中の俺に向け、叔母上は小さく頷いて見せた。

 

*****

 

強引に手を引いて、部屋からそのでかい図体を表へと引っ張り出す。
見付けたのが私で幸いだと思えと怒鳴りたいが、そんなゆとりも残っておらん。
媽媽を守る者の長として立たねばならぬ筈の武閣氏隊長の己が、二人の無事な姿を見て内心これ程安堵するなど。

媽媽が失踪されもう二晩。ご懐妊の初めの不安定な御体でこの寒さ。
例え事前にお考えだったとしても、先を読めなかった私の責である事は火を見るよりも明らかだ。
王様から死罪を賜ろうと当然。何の不服も無い。
しかし刑に処されるとしても、王妃媽媽を見つけず首を刎ねられる訳にはいかぬ。

そんな処にまさかこの愚かな甥が医仙をお連れして戻るなど。
青天の霹靂もこう重なれば厭でも慣れても来る。
死んだように七年生きたこの男が天人に懸想した事も。
その天人を引き連れ一度ならず皇宮を抜け出した事も。
諦められぬと言い残し役を辞する勢いで飛び出た事も、そうかと思えば四日後、選りによって媽媽の失踪されたこんな時に戻るのも。

事起こしは一つにして欲しいものだ。
医仙が今戻られても、武閣氏も迂達赤も皇宮全てが王妃媽媽の件で手が塞がっておる。
取り成してやりたくとも、今はそれを手助けしてやる事も儘ならぬ。
「何しに戻った」
「医仙が戻ると言い張った」
「何故だ。まさか死ぬ気か」
「皇宮が危ないと、昨日から急に言い出した」
「・・・天の真言というものか」

そうとしか思えぬ。全てが余りに符合する。人知を超えたものがそうさせておるとしか思えぬではないか。
私の声に頷くでも首を振るでもないヨンが、話の矛先を変える。
「王様は」
「自分で確かめろ」
「今更伺えぬ」
「・・・要するに、徳興君は長けておるのだ。人の気持ちを操る事にな」

先刻のこ奴と手裏房との話の端々を聞いても判る。この甥も同じ処に行き着いたのであろう。
誰もが判っておる。誰の仕業か。王様もお判りだからこそ、徳興君を呼ばれた。

どうにか交渉を試みられたのであろう。
しかし戻られた御顔を拝見すれば、万策尽きたとすぐに判る。
そのまま坤成殿に閉じ籠られた王様の守りを迂達赤に任せ、探索の状況を確かめにマンボの許へ来た筈が、まさかこ奴らに再会するなど。

「私もそう思います」
突然話に割って入る、妙に明るい声にこ奴と同時に目を上げれば
「こんばんは、叔母様」
医仙が店から小走りに出て、私に向けて頭を下げた。

「王妃様をさらったのは、徳興君なんですね?」
「みな腹では思うておっても証拠もなく、万一間違って王妃媽媽に何かあってはと」
「いい方法があります。映画でよく見る方法なの、罠に」

晴れやかな顔で言い募る医仙の声を遮るよう、横のこ奴が声を張る。
「王妃媽媽に同行した随行者の名簿をくれ。女官たちまで全員分」
「王妃様のいどころを突き止めるのね?じゃあ私は徳興君に会う」
「なりません」

叔母の目前だというにこの男は気にする素振りもなく、目前の医仙を押し留めんと真直ぐ向かい合う。
「どうしてよ!」
医仙も負けてはおらん。こ奴の目を真直ぐに見つめ返し不満げに声を高くする。
「相手はあの徳興君ゆえ」
「あいつの心理は分かってる!私の副専攻は心理学だったのよ?あの男は王様の心を壊したいの。心理作戦なのよ」
「イムジャに奴の何が判ると言うんだ!」

・・・これは見ようによっては、痴話喧嘩に見えはせぬだろうか。
二人で向き合い、額を突き合せんばかりの距離で。
叔母の私の面前で、何より面目大事だったあの男が。

「王妃媽媽が!」

よもや私が此処に居る事すら失念しておったなどとは言うまいな。
ようやく口を挟むと思い出したよう、向き合った二人が振り返る。
「王妃媽媽が、ご懐妊された」

さすがのヨンも思い至らなかったか、その声に息を呑む。
朴念仁だ。それは判る。しかし判らぬのは続いた医仙のお声。

「・・・ダメよ・・・」

消え入りそうな呆然とした呟きに、己も甥も医仙の顔を確かめる。

駄目とはどういう意味だ。御成婚、王様と王妃媽媽の御帰国に続く国を挙げての慶事ではないか。
まして元とのこの一触即発の状況、御子の御誕生が事態を和らげて下さるかもしれぬ。
何より王様と王妃媽媽のご待望の御子と、医仙もよくご存じの筈が。

「何が駄目なのですか」
「だって、早すぎる」
早過ぎるどころか遅過ぎる程だ。王様と王妃媽媽があれ程望み続けられた御子が、早過ぎるとは。
王妃媽媽の御体が耐え切れぬということか。
しかし診立てをした御医も命門の脈が弱い故注意をとは言ったが、早いとは言っていなかった。

「あなたは王様に会って来て?王妃様の代わりに側にいてあげて。出来れば心を聞いて慰めて」
乞われたヨンも医仙の謎めいた声に合点がいかぬのか、迷うよう即答を避けておる。
「私、どうにかやってみる。信じてくれる?ん?」
その腕にしがみつきそうに、懸命に訴える目で言い募る医仙から目を逸らし、こ奴は返答代わりに太い息を吐いた。

 

 

 

 

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