2016 再開祭 | 智仁勇・結篇(終)

 

 

俺の声にドンソプはわざとらしく小指を立てて己の耳に突込むと、それを引張り出しふっと息を吹きかけた。
「耳掃除はしていると思ったが、どうやらどこかおかしいようだ。妙な声が聞こえたな」
周囲の二人がそんなドンソプを煽るように追従の声を上げる。

「全くだ。牛や馬に謝る者がどこにいるのか」
「第一謝ったところで、言葉が判らぬだろうになあ」

その馬鹿笑いなどそのままに、俺はアン・ドンソプだけを狙い一息で距離を詰めた。
頭をさえ落とせば、その威を借りて騒ぎ立てる雑魚共などすぐに散る。

突然目前に近付く俺に、馬鹿笑いのままだったドンソプの表情が凍りつく。
そのまま襟首を掴み上げようとしたところで、シベクが慌てて背後からこの手を掴んで止めた。

「若様、駄目です」
「放せ!」
「こんな奴でも先に手を上げたら若様の負けだ!」
「こんな奴だと」

ドンソプにとっては俺が襟首を掴み上げるのは許せても、シベクに奴扱いされるのは許せぬらしい。
見当違いな処で血相を変え、奴はそのまま俺でなく背後のシベクに向かうと大きな声を張り上げた。

「もう一度言ってみろ!私奴の分際で私を何と呼んだ」
「呼んだのはお前が先だろう」

シベクを怒鳴ったドンソプの前に立ち、俺は上げた腕を降ろすと低く言った。
ここで力に訴えれば罵られるのは俺じゃない。きっと全てシベクの所為になる。
そんなのは嫌だ。何よりもそれが嫌だ。

「謝れ」

拳を振るわない事でシベクに迷惑が掛からないなら我慢する。
俺はもう一歩詰め寄ると繰り返した。

「俺の家族に謝れ!」
「チェ・ヨン。君も判らない人だな。牛馬に謝る者などいないと言ったろう。それでは御父君の名まで穢れるぞ」
「それでも上級生に向かって手を出そうとしたんだ。覚悟は出来ているよな、チェ・ヨン」
「年下のくせにまさかあそこまでして、無事に帰れるとは思っていないだろう」

如何にも小馬鹿にしたようにドンソプが言い、拳を下ろさざるを得ない俺に他の二人がじりじりと寄った時。

「何だか面白い声が聞こえないかぁ、お前ら」
門の外から怒鳴るような、聞こえよがしの声がした。続いて
「聞こえる聞こえる」
「偉そうに分反り返った負け犬の声だろ」
「ああそれだ、弱い犬ほどよく吼えると言うからな」
「犬の声じゃ止めようもない」

その大声に気を削がれ、そこにいた全員が声を追って門を見た。
思わず鋭い舌打ちが出る。先に帰れと言ったのに、何故あいつらがまだいるんだ。
奴らは聞こえよがしの大声で怒鳴りながら、門から中へ入って来た。

「きゃんきゃん吼えるだけで、噛みつく事も出来ない犬か」
「仕方ない。絹紐で繋がれているのが誇りなんだろ」
「絹だろうが芋蔓だろうが、紐は紐だがな」
「自分が犬だから相手を貶めたいのだろうな。同じ畜生まで」

ここに居られては多勢に無勢と変わりない。
それが嫌だから一人で勝負しようと追い返したのに。

「何しに戻った!」

俺は思わず怒鳴る。しかし奴らは声を返すどころか俺を見る事すらなく
「しかしヨンは、全く友達甲斐がない」
「いや。俺達を巻き込みたくないんだ」
「誰かさんと違って、絶対汚い真似をしたくないんだろう」
「そういう奴だよ。肝心な時に一人で意地を張って突っ走る」
「冷たいんだよなあ」
「それより早く筆箱を取って来いよ」
「そうだぞ。今日のうちに筆を洗っておかないと黴が生える」

大声で言い合いながら、書堂の東屋へと消えて行く。
嘘を吐くな。最後まで東屋に残っていたからよく知っている。
奴らの出て行った後の机の上には誰かの筆箱どころか、紙切れ一枚残っていなかった。

下手な言い訳をしてまで、俺たちを案じる友がいる。
ここで力に訴えればあいつらまで巻き込む事になる。
そう思うと、もう拳を振り上げる気にもなれない。
ただ俺の家族を馬鹿にした落とし前をつけたいだけだ。

「謝れ」

奴は東屋の方を気にしつつ、それでも必死に最後の虚勢を張った。
「謝る事などしていないね。牛馬に詫びる教えは受けていない」
「ああ、そうだね」

その時司書棟の方から声と共に、訓長様が歩いて来られた。
「そうした事は、書堂では教えない」
「勿論です、訓長様」

ドンソプは現れた訓長様の穏やかな声に、嬉々として頷いた。
「国子監は疎かどんな書堂でも、そんな教えは授けないでしょう」
「成程。家で教わっておらぬなら、それでは君は初めて覚える事になるんだな」

訓長様は穏やかな声のまま、ドンソプをじっと見た。

「人を、牛馬ではなく人として見る目を。そして人に悪い事をした時、心から謝罪する方法を」

そして次に俺の背後のシベクに目を遣り優しく仰った。
「シベク、申し訳なかった。私の生徒の誤りだ。私がこの後責任を持って教えるから、今回は許してくれないか」
「あ、あの・・・」

突然水を向けられて、シベクはしどろもどろに頷いた。
「ええ、あの・・・ありがとうございます、訓長様」
「良かった」

訓長様は安堵したように笑顔を浮かべると、ドンソプたちの肩を順に叩いた。
「さあ、君らももう帰りなさい」

 

*****

 

「大監」
呼びながら近づいて来た人影に、チェ・ウォンジクは足を止めた。

「アン大学」
「お久しゅうございます」
アンは頭を下げ、チェ・ヨンの父ウォンジクに慇懃無礼な口調で言った。

「ご存知でしょうか。先日愚息と、大監の御子息が」
「さて、何の事か」
「御子息が、御宅の使用人に対し愚息より謝罪を求めたそうです」
「使用人」

ウォンジクの呟きに、アンは不満げな顔で頷いた。
「御子息の御言葉で、愚息も従うしかなかったと。それだけなら未だしも、書堂の訓長よりその件でお叱りを受けたと。
しかし使用人に頭を下げるような事では、貴族の成立ちが崩れます。大監の御耳には入れておいて頂こうと」
「・・・御配慮だけ頂こう」

ウォンジクは苦笑を返すと、アンに向かって言い放つ。
「息子は私の名を出したのだろうか」
「それは・・・聞いておりませんが」
「子曰 其身正 不令而行 其身不正 雖令不從。息子の行いが過ちなら、誰が正さずとも周囲が離れて行くだろう。
侍講院大学に私が言うのも烏滸がましいが」
「しかし、大監」
「それから、我が家に使用人はおらぬ」

もう聞く価値もないという表情で、ウォンジクは最後に言い残す。
「居るのは家族だけだ。そして息子に聞いたのは、御宅の御子息が我が家の家族に無礼を働いた事だ。それなら謝罪は妥当と思うが」

そしてそのまま去り行くチェ・ウォンジクの背に、アンは悔し気に吐き捨てた。
「親が親なら子も子だ。貴族として恥ずかしい事この上ない」
その横でアン大学に従く使用人が、呆れた顔でウォンジクではなくアンを見て、深い息を吐いた。

「全く恥ずかしい。本当におっしゃる通りでございますよ、ナウリ」

 

 

【 2016 再開祭 | 智仁勇 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。ご協力頂けると嬉しいです❤
にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

6 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    考え方の違う人と やりとりするのは
    難しいですね、どこまでいっても
    平行線だったり、自分が正しいのか
    誤っているのか…
    考えるって 大事。
    正しいと信じる事に いつか
    ついてきてくれる仲間が… ( •̀∀•́ )✧

  • SECRET: 0
    PASS:
    今、正座し、背中を伸ばして、拝聴しました。
    チェ・ウォンジク、ヨンの父上様のお言葉。
    この父上がいらっしゃるから、
    ヨンは、崔瑩…という 漢 なのですね。
    こんなお父様の学びを受けてみたい。

  • SECRET: 0
    PASS:
    お父様。訓長。
    ヨン。シベク。友達。
    皆の言葉に気分爽快です!
    アン大学の使用人が言った
    最後の言葉に(笑)(^^)d

  • SECRET: 0
    PASS:
    いつも素敵なお話をありがとうございます。いつまでも色褪せない信義の世界。きっとさらんさんのお話を読んでいるからと信じています。ひとつ教えて頂きたいことがあります。さらんさんの過去のお話を読むには一覧からずーっとスクロールしていく以外方法はありますか?3年くらい前に読んだお話を読み返したいと思っているのですが、なかなかたどり着けず(ヾノ・ω・`)
    あっ。面倒だなと思われたらスルーして下さい。お気が向いたときにでもお願いします。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です