「テギョンさん、足首つらくないですか?薬が届くまでいったん湿布を取って、少し冷やしておきましょうか?」
御医殿が退出された後の居間。余りの静寂に気を遣われたか、この人が尋ねた。
親切な優しい声に俺は慌てて首を振る。
「え、いえ、本当に大丈夫です。どうかお気遣いは」
「じゃあ、つらくなったら言って下さいね。薬が届いたらすぐ煎じますから、少し寝室で寝て下さい。私たちは門の外で」
「い、いえ!」
考える前に飛び出た声は、自分が思う以上に上ずっていた。
咳払いして大きく息を吐き、咽喉の調子を整えてからゆっくりともう一度声を出す。
「いえ、本当に大丈夫です。ここまでわざわざ戻って来て下さったのに、外でお待たせするなんて失礼は出来ません」
「・・・でも・・・テギョンさん」
この人は薄茶の瞳で、少し困ったように俺を見た。
なんて美しい方なんだろう。困った様子まで美しいなんて。
これでは夢の出会いと勘違いしても当然だと、自分を庇いたくもなる。
春の夕方。まだ日が高いから、こんなに近くで拝見できる。
まるでこの世で最も腕の良い絵師か、最も上手な人形作りの細工師が丁寧に描いたか拵えた、最高傑作のようだ。
生きて、動いて、話しかけて下さるのすら信じられない。
「あ、あの・・・」
唯一つ、少し寂しいのはまだその御名前を聞きそびれている事。
お名前が判らないから、あの、とか、その、とか呼び掛けるしかない。
今も少し困ったようなこの人に呼び掛けると、薄茶の瞳が真直ぐ俺を見て下さる。その視線を感じた瞬間。
どん。どん。
先刻の御医様には、この胸の動悸が伝わったのだろうか。
どん、どん。
この人を一目見て以来、ずっと胸の中で跳ね回る心の臓。
王様の御典医、皇宮の御医様ともなれば、市井の町医者とは比べ物にならぬような腕をお持ちだろう。
きっと知られたに違いない。
そう考えると顔から火が出るように恥ずかしくもあり、体面などかなぐり捨てて理由を教えて頂きたくもある。
俺の心の臓はどうかしてしまったのではないだろうか。
もしかしたら、何か悪い病なのではないだろうかと。
「・・・テギョンさーん?」
気付けばこの人が目の前で、小さな掌を左右に振っていた。
「ほんとに大丈夫ですか?」
思ったよりずっと近い互いの距離に、これ以上強くなど打てないと思っていた心の臓がもう一度跳ね上がり、先刻までよりもっと強く打ち始める。
どんどんどんどん、どんどんどんどん。
自分の首を、耳の後ろを、蟀谷を通る血の音をこんなに激しく大きく感じた事なんて、今までに一度もない。
けれどこの人にそうお伝えするのも気が引ける。ただでさえ、こんなにご心配を掛けているのに。
「は、い、大丈夫。大丈夫です」
「でもテギョンさんがみんなとの面会を断ったって。さっき、門の前で言われたので・・・気分が悪いとか、ほんとにない?」
この人のお言葉に、横に居た背の高い鎧姿の従者が顔をしかめる。
そのお気持ちもよく判る。大層無礼な振舞いだったのは確かだ。
そしてソンヨプであれ、家令であれ、我が家の者が出した言葉なら、今は全て俺に責任がある。
「本当に申し訳ありません。我が家の者が変に誤解したようで。改めてお詫びを」
急いで居間の椅子から立ち上がり、お二人に向けて頭を下げる俺に
「あああ、そういう意味じゃないんです!そうじゃないの、気分が悪くないって分かれば安心できるから聞いただけ」
この人は驚いたように俺に続いて立ち上がり、小さな両手を背伸びして俺の肩に掛けると、促すように優しく押した。
「だからお願い、急に立ち上がったりしないでね?はい、座って」
肩を押すように静かに力を掛けられて、俺は何も言えず、もとの椅子にもう一度座り直す。
座り直す・・・いや、違う。本当は腰が抜けてしまったんだ。
その声、その両手、その瞳をこんな近くで感じられたから。
俺の様子を不思議そうに見て首を傾げ、この人は改めてご自分も椅子に座り直す。
「あ、あの、そう言えば」
黙っていればもっと心配を掛けてしまいそうで、沈黙を破るために呼び掛けてみる。
この人について、知りたい事は山ほどある。
ただ目の前にしてしまうと、心の臓が咽喉から飛び出そうにせり上がって来て、上手く話せない。
「先刻、言いかけた御言葉なのですが」
「うん、何ですか?」
この方は相変わらずにこにこと笑いながら俺を見る。
ああ、そうか。
俺は今まで、こんな風に女人に真直ぐ見られた事がないんだ。
だから緊張して言葉に詰まる。
開京の女人は、皆こんな風に真直ぐにこちらを見て下さるのか。
それにしては移って来てから、こんな風に見られた事はないけど。
そう思いながら薄茶の瞳に、無礼でない程度に視線を合わせてみる。
「先ほどおっしゃっていましたね。こんな近所だったなんてと。もしや、お住まいがお近くなのですか」
「そうなんです。ちょうどいいですね、これからテギョンさんが何か困れば、あの人も私もいますから」
「あの人、と」
「医仙!」
今まで黙っていらした鎧姿の従者が、慌てたように大きな声を張り上げた。
「うん」
「止めて下さい!いきなり何を」
「え?だって」
「若様、失礼します」
この人がきょとんとして従者に何か言おうとした時、折悪く居間の扉外から声が掛かる。
無視したくても、お話の続きを聞きたくても、答えるしかない。
「・・・何だ」
厭々答える声にソンヨプが扉を開き、隙間から顔を覗かせる。
この人の横に陣取っている従者を見つけ、苦々しい表情を浮かべて入って来ると俺に頭を下げた。

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あの人よ あの人。
医仙の 名前ですと?
聞かないほうが… いいかもね(笑)
お、お大事に(艸*>3<*)∵ぷっ
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ウンスにイライラしてたけど
「あの人」の事を言おうとしたのは
褒めてあげますわ(笑)
トクマン君
止めなければ良かったのにーf(^_^)
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色々な意味でアチャ~(^-^;)ですね。若干頭がポヤンとしている若様と純粋無垢な医仙…周りはハラハラ、イライラ、どうなるこのあとの展開!Σ( ̄□ ̄;)
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もしも、ウンスさんを攫ったのではなく、
ヨンさんが、初恋のように
ウンスさんに出会ったら、
こんな心情になるんだろうな、と
つい思ってしまいました。(*'-'*)