年末年始:2016再開祭 | 朝湯・中篇

 

 

「見ないでね」
「はい」
「絶対よ?!」
「はい」

寒さの所為、それとも朝の光の所為。
夜に使う湯屋の景色とはまるで違う。

意固地に下げた視線の先、白い湯浴み着の薄い紗の透ける裾。
細い足首。薄い足の甲。小さな薄桃色の爪。

白い光の降り注ぐ湯屋の床、湯気の向こうに見える姿に眸を逸らす。
爪先を見るだけで眩んでいるのにこれ以上何処を見るなと言うのか。

ひたすら床を睨み、其処に立ち尽くす俺に
「ヨンアー」
掛かる声、そして湯屋に響く水音。

「ちょっと屈んで」
その声に無言で床へ膝を落とせば。

重い水音と共に頭から温かい湯が、滝のよう盛大に降って来た。
せめて肩から掛かる程度だろうと踏んでいたものを。
桶を返したような雨と言うが、あんなものは大嘘だ。
この方の降らせる温かい雨はそんな生易しいものでは無かった。

眸にまで入った温かい湯を瞬きで弾き、思い切り頭を振って雫を飛ばす。
光の中、湯気に交じって掛かる雫にこの方が楽しそうな声をたてた。

「沈んで下さい」
笑って少し緊張がほぐれたか、俺の声にこの方は
「一緒に入りましょ、その方が早いもの」
そう言って俺の濡れた髪を、握った手拭いで拭う。

見るなと言ったり、共にと言ったり。
言い争う刻も惜しい。この方が先に肩まで沈んだ浴槽の枠を、覚悟を決めて跨ぐ。
風呂好きのこの方の為に誂えた浴槽は、其処らの湯屋のものより大きく深く広い。
浴槽だけでなく王様に下賜された時に、湯屋自体を新たにしている。
洗い場は広く、足許は冷えぬよう石を厚く敷き、床下には竈がある。

それでもだ。
それでも二人で沈むには狭く感じる。
この方から精一杯離れた湯舟の逆端に、手足を折り曲げ身を縮めて浸かっても。
気を緩めれば、濡れた湯浴み着の下に透ける小さな膝と触れ合ってしまいそうで。
「ヨンア、海老みたい」
「は」
「そんな手足曲げて、背中丸めて、海老みたいよ?、あ、それかダンゴ虫」
「・・・構わず」

きつく抱えた己の膝をひたすら睨み、あなたの声に首を振る。
「考えてみたらもう夫婦だものね。別にお風呂くらい、いいわよね?
一緒に入ったって夫婦円満の証拠だもの。悪い事じゃないわよ」

この方の伸ばした脚の爪先が、湯の中で此方へと漂うように寄って来る。
「ヨンアもリラックスして?今のうちよ。お正月は忙しそうだから」
「いえ」

りらっくすが何かと問うゆとりもない。そうして箍が外れるのが怖い。
婚儀を挙げるまではとの戒めが解かれ、次には円満だからと湯屋まで共にするようになれば。

縁側で膝に抱くのとは違う。二人きりの寝屋の中とも違う。
それだけで充分だ。それ以上宅で触れ合えば節度が消える。
俺とこの方の二人きりではない。
常に何処かにタウンやコムが出入りし、その耳目がある。

己の留守居の為に頼んだ者だ。感謝こそすれ文句はない。
その耳目を煩わせ、居た堪れなくする事は道義に反する。

「手足伸ばしてってば。ただでさえ長いのに、そんな縮めてたら肩が凝っちゃうわよ?」
「結構」
「ヨンアが結構でも、私が困っちゃうの。ね?可愛い奥さんの為だと思って」

可愛い奥さんの為。この方は殺し文句をよくご存知だ。
此処で首を振れば如何なる。可愛くないのかと押し問答だろう。
では頷けばどうなる。纏っておらんも同然の濡れた湯浴み着越しに肌に触れれば。

きっと止まらない。この方のおっしゃる通りだ。
婚儀を挙げた夫婦だから。この腕も指も温かさを知っているから。
何処に触れればその瞳が細くなるかも、細い背が撓るかも知っているから、絶対に触れられん。

ざんと大きな水音、その勢いで立つ水飛沫。

湯舟で心地良さげに手足を伸ばしたまま俺を見上げる瞳が驚いている。
これ以上共に浸かっていてはならん。
かと云って濡れた湯浴み着では立ち上がるにも具合が悪い。
膝立ちになり、湯舟の枠に掛かった手拭いで滴る雫を拭う。
透ける湯浴み着をどうにか乾かそうと無駄に動きつつ手拭いを腰へ巻き、洗い場へと逃げる。

この俺が。
迂達赤大護軍と称し、高麗の戦を常勝へ導き、武神とも呼ばれる俺が。
成す術なく情けなく尻尾を巻いて逃げ出すなど、この方が相手の時だけだ。
「ど、うしたの、急に?」

洗い場へ飛び出した俺にかかる怪訝そうな声に背で応える。
「充分温まったので」
「嘘でしょ、まだ全然」
「逆上せます」
「確かにいつもお風呂早いけど、一緒にいる時くらい・・・」

その声には答えぬまま洗い場の隅まで逃げ膝を着く。
湯舟の中からの視線を遮るように、この背を向ける。
石鹸を髪へと擦り付け、自棄な心持ちで両の指を立て、がしがしと搔き回す。
終えたところで手桶を取り上げ、隅の甕の中に溜まった湯を掬い思い切り被る。

三杯も被ってすっかり泡を落とし、次はそのまま手拭いに石鹸を擦る。
そして湯浴み着の諸肌を脱ぐ。顔を擦り、首を肩を、胸を擦った処で
「・・・!!」
声にならぬ声が咽喉で止まる。

いきなり背に当たる、温まった細い指の感触に、体中の肌が粟立った。
「ご、ごめんヨンア、そんな驚くと思わなかったの。冷たかった?」

手伝って下さろうとするのはありがたい。
気を逸らすのに懸命で、この方の気配を忘れた俺にも責はある。
ただ避けようとすればする程に、近寄って来るのは何故なんだ。

「背中、洗って上げる」
「・・・はい・・・」
夫婦になってもまじないを唱える身のままだとは。
久々に憶えた遣る瀬無さに首を振り、細い指を背に感じつつ、俺は硬く眸を閉じた。

 

 

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2 件のコメント

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    朝日の下のお風呂、明るくてヨンには目の毒ですね~w
    何とか気を晒そうと一生懸命なのねー
    我慢してるのもつゆ知らずウンスを背中に感じてドキドキしながらも平静を保とうとしているヨンが目に浮かびますね♡

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