2016再開祭 | 夏白菊・参

 

 

碧瀾渡の市を出で、春の陽の下、礼成江沿いの道を下る。
川面を渡り並ぶ柳の若葉を揺らす風に眸を細め、道先を眺め遣る。

川に沿い緩やかに蛇行しながら続く道。
碧瀾渡の中心から離れるにつれ、明らかに人家も人気も減って行く。
陽が落ち月が昇らぬ朔には、鼻を摘ままれても判らぬ程に暗そうだ。

この辺りの民家が一件襲われたところで、助けを求めに隣家へ飛び込む前に刺客にやられるだろう。
「ムソン」

川を吹き渡る風の中、並ぶ男へ問い掛ける。
「はい、大護軍様」
「居所を移る気は無いか」
「移る、ですか。俺が」

突然の提案に奴は首を傾げた。
「いや、移るにしたって先立つもんがない。知ってるでしょ、色々と物要りなんだ、完成までには」
「移して不自由はあるか」
「特にはないです。ただ荷物が多いから億劫なんですよ。特に今のあばら家でも不自由はないし」
「・・・そうか」

人目を引くような事にならぬよう、迂達赤なり手裏房なりに手を借り一気に済ませる必要がある。
頭の隅で計じつつ、小石の多い川道の歩を進める。

周囲に怪しい気配は無いか。尾けてくる者は無いか。
肩越しに振り向けば今来た道、離れつつある碧瀾渡の町に続く柳の道だけが伸びている。

 

*****

 

「ここですよ、大護軍様」
春の道をいい加減まで歩いた処でムソンは言うと、一軒の小さな家の前庭へと入って行く。
石垣どころか周囲を囲う柴垣すらない。川沿いの道に向かって開けた猫の額よりも狭い庭。

刺客に入って来いと言わぬばかりに開けた其処へ踏み込む。
一人が腰掛けるにも足りぬ小さな縁台に、申し訳程度の野菜が干してある。
数歩で庭を横切れば、叩き斬るどころか少し乱暴に押せば外れそうな傾いだ板を取り付けただけの扉。

予想以上だ。火薬馬鹿のこの男は持てる全ての財物を叩き、衣も住も顧みず火薬の出来だけに没頭しているのだろう。
先刻の干し野菜と言い、これでは食も推して知るべしだと息を吐く。
碌に喰わずに倒れられては、此方も困った事になる。

火薬の仕上がり具合によっては、王様に褒章の金子を賜る事も考えねばならん。
これでは火薬の完成より前にこいつが倒れるか、若しくは家が倒れるか。

粗末なその扉から部屋内へ踏み込んで眉を顰める。
テマンもさすがに驚いて、俺の後ろで息を止める。
「・・・お前、何処で寝る」
「ええと、適当にその辺で寝ますよ」
その辺とは一体どの辺だ。

屋内は思ったよりも広かった。間口の割には奥に長い、鰻の寝床のような造り。
しかし部屋の仕切りなく長く続くその室内には、火の気が全く無い。
幾ら火薬作りの工場を兼ねているとはいえ、蝋燭も油灯も、竈すら。

これからの時節ならまだ良いが、秋口から長い冬の間は一体如何に暖を取るのか。
第一飯はどうやって拵えるのか。何よりこの男の寝るべき床の隙間が見当たらん。

湿気に弱い火薬を考えてだろう。
川沿いに立つ家の中は、地面よりも相当高床になっている。
部屋の中は一面、火薬造りの材料や道具で埋め尽くされている。
何処を見ても足を伸ばして眠れそうな隙間が見当たらない。

初めてあの方と訪れた碧瀾渡、俺を尾けて来てこいつは言った。
家族も朋も、村ごと全員倭寇に殺された。
奴らを皆殺しに出来るなら、そして救ってくれた赤月隊の生き残りの俺の為ならどんな事もする。

その言葉に偽りはなかった。衣食住金、全てを捨てこの男は何でもする気なのだろう。
しかし金はともかく人間寝ねば死ぬし、喰わねば死ぬ。
時に寒さで死ぬ事もある。まして喰わずに胆力が落ちていれば。

ふと思う。この男も死に場所を求めているのだろうか。
自分だけ生き残った事が許せず、楽しむ事も幸せになる事も赦せず。
先に逝った家族や朋の為に命を削り、火薬を完成させて死ぬ気か。
そうでなくば此処まで自分を追い詰め、苛め抜く筈が無い。
俺が戦場に探した死に場所、こいつは差し詰め爆死が夢か。

此処までとは思わなかったと、己の読みの甘さに舌を打つ。
こうなれば出来る限り早急に王様にお願いする必要がある。
「ムソン」
「はい、大護軍様」
「一両日中に居所を移る」
「・・・はあ?」

突然突き付けた決断の声に、この男が頓狂な声を上げる。
「周囲に怪しい気配は無いか」
「いや、怪しいか怪しくないかなんて俺には」
「誰かに尾けられたり脅されたりは」
「ああ、そういう事なら一切ないですよ。あったらとうに大護軍様に報せてます。
俺を狙うなら火薬絡みだろうし。元や、まして倭国の手に渡すなんて死んだって御免だ」

こいつも事の重大さ、己の重要さは判っているらしい。
その声に頷いた俺に
「せっかくこうして来て下さったんだし、手土産代わりに新しい奴を持ってって下さい」
奴は部屋の奥に据えた棚へ近づき観音開きの扉を開けると、その奥から大きな箱を取り出す。
慎重な仕草で持ち上げる動きから、かなりの重さであろうと判る。

その箱をゆっくりと傍の卓上に置くと木蓋を開ける。
俺とテマンが中を覗き込めば、中には干し藁と大鋸屑で動かぬよう据えられた陶器の大壺。
被せた蓋と壺の間には、隙間なくきっちりと目張りまでされている。
その油紙の目張りを丁寧に剥ぎ、ムソンは静かに蓋を開ける。

開けた途端に漂う濃い臭い。
予想していたとはいえ、テマンが鼻頭に深い皺を寄せた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    ヨンとムソンとテマン…
    男たちしか登場していないこの場面…
    ムソンの住まう家、家の周辺、彼の身仕度、そして、その家に向かうまでの市井の様子…
    暗闇を歩き、暗闇のムソンの家の中を見る。
    火薬。
    暗闇の中、ヨンの表情が見えるようです。
    男くさい、こんな場面…
    臨場感があり、どっぷり浸っています。

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