2016 再開祭 | 金蓮花・壱

 

 

最低限の荷を纏める。
背負いやすいよう包みつつ、典医寺の部屋の扉向こう、あの方へ声を掛ける。
「俺があなたと共にいると知っているのは徳興君のみ。
奴は元の断事官と通じております」

何時その口から、この方の居処が露見しても不思議は無い。
故に一刻も早く。一寸でも遠くまで。
「まだ着替えておいでですか」

手足を縛られ自由が利かぬような破目に陥る前に。
考えたくはないが、王様がこの方を差し出すなどと王命を下す前に。
「元のその使者に従わなきゃダメなの?イヤだって言えば?」
「通用しません」

着替えを終え部屋から出たその小さな背に、纏めた荷を括り付ける。
聞いてしまえば背く事は出来ん。それが迂達赤隊長としての役目だ。

この方には到底判ってもらえまい。
こうしてお伝えしても平然と、断れぬのか、厭と言えば良いとおっしゃる。

「王命が出てからでは遅い。俺もあなたも逃げられません」
「あなたも一緒に逃げるの?迂達赤隊長でしょ?」
「王様にご挨拶の後、すぐに追います」

あなたを自由にしたい。その理屈の通る天界に帰したい。
せめて最初の誓いを叶えたい。全て己の所為だから。

急かすよう細い背をそっと押せば
「でも皇宮がこの状況で、あなたが行く事を許してくれるの?」

漸く事態を呑み込んで下さったあなたは、不安気に訊いた。
そんな瞳で訊く事など無い。ただ来いと言えば良いのに。
「御許しは乞いません」
「・・・私の為に、辞表でも出す気?」

あなたが一度ならず毒に苦しんだのも、命を狙われたのも。
あなたを元に渡せと言われているのも全て己の所為だから。
「あなたは王様の保護下にあります。
そのあなたに手を出すなら、使臣は王様へと願い出る筈」

攫わねば良かった。

攫ったから逢えた。

何れ王命に背くならいっそあの折背けば良かった。

王命に従ったからこそ今この方と共に此処にいる。

幾度も独りで胸の裡、繰り返した自問自答もこれで終わる。
王命に背き全てに背を向けてでも、今しか成せん事がある。

例え何があろうと生きて頂く。この方だけは命を懸け護る。
何を捨てようと諦められぬ。残る時間を共に過ごしたい方。

残る刻をを諦め此処で別れるなど、決して出来ぬ方が居る。
この方と共に居る刻を選べば、何を捨てるか判っていても。

「なぁに?」
あなたが俺をじっと見上げる。
「心配です。離れるのが」
「じゃあそんな私が何かやらかす前に、早く来て」

唇を尖らせ拗ねたように、呟く声さえ大切過ぎて。
三歩の距離どころかほんの一歩離れる事が不安で。
その時もしも熱が出れば。もしも刺客に襲われれば。
もしも俺の護れぬ処で、この方に万一の事があれば。
「テマナ」

この方を守らせる為に控えたテマンが、扉から顔を見せる。
「はい」
「頼むぞ」
「は、はい」

残る刻が少ない事を、テマンもよく知っている。
奴の先導で階段を上がったあの方が、其処から此方を振り返る。

振り向きなどせず早く行ってくれ。そして無事に。
堪え切れず総てを片付ける前に、あなたの側へ駆け寄らぬよう。

 

*****

 

康安殿の卓の上、山と積まれた文書へ順に目を通す。
新しい我が高麗の玉璽を用い、寡人の意思を示さねばならぬ書が待っている。

卓へ落とす視界の隅、ふと過る影に目だけを上げる。
「元の使臣より、親書が届きました」

ドチの声に視線だけでなく顔ごと上げる。
「そうか。読んでみよ」

ドチは手にした親書を開き、言い難きように顔を顰める。
その顔色は只事ではない。
「如何した」
「・・・都堂会議の報せでございます・・・」

都堂。寡人の治める国で元の使臣が王命も無く寡人の臣を集め、寡人の宮で都堂を開く。
何処まで馬鹿にしておる。何処まで卑下され耐え忍べば良い。
相手は皇帝ではない。たかが遣いの使臣が我が国で、一国の王である寡人を呼びつける。

これが今の我が高麗の立場か。
黙って耐え、頭を下げ、足許に跪き顔色を窺わねば、指一本も自由に動かせぬのがこの国の王か。

決めねばならぬ。己の道を。国の行く途を。
屈辱に甘んじ頭の上の風を避け、いつまでもその足に縋りつくのか。
或いは犠牲を強いると判っていても民を信じ己を信じ、胸を張り吹き付ける暴風に対峙するのか。

龍袍の袖の陰、爪が喰い込むほどに拳を握る。

 

*****

 

両脇の禁軍の歩哨の頭を下げる列の中、回廊を宣任殿へ進む。
前から進んで来られた御姿に気付き、回廊の中央を開け一歩下がる。

気付かれた王妃媽媽が進む歩を停め此方をご覧になる視線を感じつつ、下げた視線はそのままに。
「王様の処へ行かれるのか」
「は」

答えた俺に向け、王妃媽媽の御声は続く。
「待ち侘びておいでです。近頃滅多に顔を見せる事が無いと」
「身に余るお言葉」

王妃媽媽は小さく此方へ歩を進め、僅かに御声に揺れを滲ませる。
「部下を喪い、辛いであろう」
寄られた歩、そして御声に応え、下げていた頭を微かに上げる。
「王様は幾度となくおっしゃいました。
チェ・ヨンの大切な部下だ、あの者らを喪ったチェ・ヨンの心中は察して余りある、と」

そうだ。あの王様はそういう方だ。そういう王になられた。
俺が初めて己で選び、最初の民としてお仕えしようと誓った王様は。
「王様らしい」

息で微笑む俺を見て、王妃媽媽は穏やかにおっしゃった。
「引き止めては申し訳ない。お行きなさい」

そうだ。王妃媽媽はそういう方だ。そんな王妃になられた。
王様をどなたよりも想われ、御心を砕く。
佳き時もそうでなくとも、王様に寄り添い支え共に立とうとされる王妃媽媽に。

元から共に帰国された折には冷え切って、憎しみ合っておるのかと思う程に互いに背を向けられていた御二人が。

王様には王妃媽媽がおられる。大丈夫だ。
この王妃媽媽なら何処までも王様を支えて下さる。
生国と対峙する事になろうとも、王様に大義と道理がある限り王様をお一人にはされぬ。

御二人が共にいらっしゃる限り王妃媽媽が必ずや王様の最後の砦となる。
その砦は時にこの己が指揮するよりも余程強固に、王様を護って下さる。

 

 

 

 

3 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    攫わねば良かった。
    攫ったから逢えた。
    ここからの文体、好きです。毎回読み返すほど、さらんさんの文章が好きですが、今回上記の文、特に心にずんずんと来ます。
    このところ、疲れ気味のミノ、兵役中が健康的かもですね(^◇^;)

  • SECRET: 0
    PASS:
    初めまして。
    いつも、楽しく読ませていただいております。
    私、このシーンお気に入りです。
    信義は今年春のGAOさんの配信が初視聴でした。
    何か情報はないかなと彷徨っていて二次に出会いました。
    ドラマ中では辛い事の多かったウンスとヨンが二次作家さんたちによって幸せになっていて…。私まで幸せだなぁって、涙流したりしてます。
    さらんさんのお話大好きです。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です