2016 再開祭 | 金蓮花・丗

 

 

殿内の灯すらこの眼には暗い。全てが暗く沈んでおる。
心か体かすら判らぬ程に、何処もかしこも痛んで疼く。

「王様。徳興君です」
ドチからも迂達赤からも声が掛かる様子はない。
その者らに周囲を囲まれ、徳興君が康安殿へと入って来る。

判っておった。最初から、こうするしか無い事は。

「内密の話がある。皆下れ」

階の上からの寡人の声に、迂達赤副隊長が進み出た。
「王様。この方は毒を遣います。御二人きりにする事は」
「構わぬ。二人きりにせよ」
「・・・は」

それ以上の声は返さず、副隊長は其処で頭を下げた。
そして迂達赤とドチとを率い、そのまま殿扉を抜けて行く。

去って行く者ら沓音の中、徳興君が寡人へと問い掛ける。
「一体何の御用でしょうか」

判っておる。互いに判っておる腹の探り合いは刻の無駄だ。
副隊長の言う通り毒を遣うとしても。
王族相手に、ましてこの後の話を考えれば尚更に、階上から声を掛ける事は出来ぬ。

ゆっくりと執務机の前を立ち、その階へと足を運ぶ。
「寡人の王妃」

この叔父と同じ高さで話をせねばならぬ。
「伺いました。王様の御心痛、いか」
今もこうして、平然と嘯く叔父を目前に。

「返して下さい」
「・・・どう言う意味でしょうか」
「あなたの元から、返して下さい」
「王様」

こうして平然と嘘を吐く。この男は手だけでなく言葉にも毒を持つ。
その毒にやられ悶え苦しむ相手を、哂いながら平然と見下ろせる。

「私がいくら流浪人とはいえ・・・畏れ多くも王妃媽媽に害を成すなど有り得ませぬ、王様」
「私は何をすれば良い。あの方は身籠っておる。御医によれば安寧を保ち、食事にも細心の注意が」

自身の言葉に息が詰まる。
二人の宝を宿すあの方が寒空の下、一体どのように過ごされているのか。
御医に言われた。注意が必要だと。寡人の目の前に居っても心配の種は尽きぬのに。

だがこの男の前で涙など零す訳には行かぬ。その程度の分別はある。
毅然として頭を上げ、この取引に臨まねばならぬ。
「取引がしたいのでしょう。条件を言って下さい」
「何者の仕業かは判りませんが、犯人が私であったら」
「聞きましょう」

階を降り、叔父の横を擦り抜けて同じ床に立つ。
そうだ。同じ高さで交渉につかねばならぬ。
叔父の望みはあの降りて来た階の上、執務机前の玉座に上がる事。

それでも高麗の名が残るなら。そして寡人の王妃が無事帰るなら。
この二つの望みさえ叶うなら、寡人はこの後どうなっても構わぬ。

「取引は致しませぬ。理由の一つは、取引すれば己の仕業と認める事になる。
そして二つ目は、王様が王妃媽媽も守れぬ不甲斐無い王だと、元へ知られる事になるからです。
元からいらした媽媽を皇宮がいびり殺したと言われかねぬ。実際以前、この国で起きた事です」
「取引に応じぬという事は」

明らかに違う。そうではない。少なくとも二つ目の理由は。
取引をすれば自分の仕業と元に露呈し、元首国の姫に手を掛けたと知れ渡り、王の座が手に入らぬからだ。
「殺すつもりか」
「さあ、どうでしょう。王妃媽媽の拐しを断事官がどう判じるか。私は推測しか出来ませぬ」
「王位をお望みなら持って行け」
「王様」

寡人の声に、目前の男の顔に薄笑いが浮かぶ。
「但しこの国。叔父上も高麗人ならば、国の名だけは残して下さい」

結局この男は取引に応じる事は無い。しかしあの方が戻るなら。
そして譲れぬこの最後の望みだけは。

この国が己の足で立つ道。どれ程蔑まれ、属国として扱われようと。
せめて一つの国として、民が元の民でなく高麗の民として生きる道。

己の母なる国。その根源を忘れず心の支えとなる国。
虐げられようと戻る場所がある、守るべき地があると胸を張れる国。
再興の為に生きると思える志の拠り所。

「どうか」
「国は残ります。名が変わるだけです。高麗となろうが元となろうが、何の違いもありません」
その穏やかな作り声に怖気が走る。

これだったのだ。寡人はこれを懼れていたのに。

「叔父上にとり、祖国とはその程度か」
「同じ事です」
「国をその程度と思う方に、譲ると言ってしまったとは」

情けなさか悔しさか、しかし譲ればあの方が戻って来るかも知れぬ。
その一縷の望みに此処まで来ても賭けねばならぬ己の不甲斐なさか。
「それでもこうして懇請します。どうすればあの方を返して頂ける」

しかし目の前の叔父はもうそれ以上、声を返す事も無かった。

 

*****

 

「てっっ、隊長!!!」
テマン。それ程大声を張り上げんでも聞こえる。
しかしどれ程待たれていたかが、声の響きですぐ判る。

四日ぶりの皇宮の回廊、揺れる油灯の中にテマンとチュンソクが駆け寄る姿を確かめる。
「何処にいらしたのです。王様もじき戻るとしかおっしゃらず」
チュンソクが安堵の余りか、顔を綻ばせてそう言った。

御顔も拝さず皇宮を出た俺を戻ると信じ待って下さった王様。
今更合わせる顔は無い。王様もお許しになれば周囲に示しがつかぬ。
しかし今それを論ずる間も惜しい。火急の懸案は王妃媽媽の奪還。
「王様は」
「坤成殿においでです」
チュンソクは頭を下げた。

攫ったのは徳興君。
奴に動きが無い以上、実働を担う手下がいる。
未だ探しておらぬのは、高麗の力及ばぬ征東行省。

しかし其処には元断事官が居る。
悪知恵だけは働く鼠が元の姫である王妃媽媽を征東行省内へ拉致し、隠しているとは考え難い。

征東行省で見つけるべきは、この拐しに関する証拠。
書状の切れ端でも手下への指令でも、何でも構わん。
そして王妃媽媽の確保。征東行省に居られぬなら何処だ。

王妃媽媽を一刻も早く見つけ、王様を、そしてあの方を安堵させねば。
残したテマンとチュンソクを振り返る事も無く、宣任殿から坤成殿へ回廊を走り抜ける。

俺の出奔は公にはなっておらんのか。
回廊の赤柱に揺れる灯の許、左右に居並ぶ禁軍の歩哨の兵達が安堵の表情で頭を下げる。
数は最低限。他の奴らは表の宵闇の中、全て王妃媽媽の捜索に出ているのか。
これ程の数で探索して丸二晩、杳として行方の知れぬ王妃媽媽。
絶対に有り得ん。考えられるのは見落としだ。
いつでも何処でも可能性はある。灯台下暗し。

辿り着いた坤成殿の扉前、守るは十名ほどの迂達赤のみ。
奴らは無言で回廊を駆け抜ける俺に気付き、
「・・・隊長!」

滲む安堵と歓喜を隠し損ね、口々に叫ぶと深々と頭を下げる。
喜んでる場合か。確り王様を守れと蹴り飛ばす事も今は出来ん。
王妃媽媽に仕える武閣氏たちの姿は、当然の如く其処には無い。
全員が捜索の為、表へ出払っているのだろう。

「王様、チェ・ヨン参りました」
坤成殿の扉前、御声は返らぬ。その返答を待つ間すらも惜しい。
「失礼致します」

一息だけ整えると、俺は無言で扉を引いた。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    あー にくったらしい 鼠男!
    そんなにまでして 欲しいか?
    無い物ねだりだぞ!
    それに 威張ってれば いいってもんじゃ…
    頭は良さそうだけど
    あっという間に 追いやられると思うけどね
    王さまが こんなに頼んでるのに…
    ٩(๑`^´๑)۶
    ヨン… 助けてあげて 泣…

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