2016 再開祭 | 金蓮花・拾捌

 

 

「こんにちは」

そう声をかけながら、壁一面に薬草用の仕切り棚のある立派なお店に入ってみる。
チャン先生が教えてくれた。まず必要なのは露蜂房。
解毒、皮膚の化膿に有効。ハチの巣だってことは、この際忘れるわ。

毒があるんじゃないの?そう聞いた時にチャン先生が言ったはず。

「故に散血化瘀の作用の没薬、活血伸筋の作用の乳香と合わせます。
この二つと合わせる事で、消腫生肌の効能を引き出すのです」

毒を以て毒を制すのね?私がそう言ったら真面目な顔で言われたっけ。
「まさしく以毒制毒、それがこの解毒薬の根本的な考え方です」

先生、元気かしら。まだ別れてから3日しかたってないけど。
急患が出たりしてないかな。王様と王妃様の体調は大丈夫?

最初はハーブ園っぽく思えた典医寺も、こうやって他の薬房に入ってみると、やけに懐かしい気がする。
いろんな事を教えてもらった。
チャン先生がいなかったら、あの人の最初の敗血症のオペだって成功した保証はないわ。
確かに私はあれもない、これもないって、文句ばっかり言ってたもの。

ちゃんと恩返しできたかしら。先生も私を押し付けられて迷惑だっただろうし。
少しは何かお互いに学び合えたかしら。
私がこんなにたくさん教えてもらえたみたいに、先生も何か私から学んだものはあったのかな?
変に感傷的な気分で、背中を向けたドクターらしき人に近寄る。

「あの、露蜂房はありますか?」
「少々お待ちくださいね」

その中年の優しそうな男性ドクターは言いながら、ベッドに横たわる小さな男の子の診察をしてる。
ふと覗き込んだその男の子の首、滲出液のにじむ紅斑。
そしてドクターが診察してる男の子の細い腕、手首の乾燥性の皮膚病変と掻破痕。
ああ、増悪期なのかな。今が一番かゆいわよね。

「体内の毒素が外へ出る際に痒みを伴うので・・・」
ドクターは言いながら、その子の病変を指先で確かめる。
この時代、卵や乳や小麦粉が一般の人の手に入るとは思いにくい。
遺伝とアレルギー体質。ダニや埃アレルギーなら避けるのは難しい。
「アトピーですもんね」

つい口に出てしまった私の声に、ドクターが不思議そうな顔をする。
そうよね。この子の病名が確定できたから、何だって言うの?
アレルゲン検査も出来ない。IgE数値も計れない。ステロイド軟膏も、タクロリムスも手に入らない。

自分の原始的な毒も解毒できずに、人の薬がないない言うばっかり。
自分の頭の蠅も追えずに、誰かを心配するなんて図々しいわ。
自分がこんなになってまで、まだ帰りたくない気持ちがあるなんて。

でも怖い。もしも帰って、あの人の前で痛みだしたらどうすればいい?
あの人は何度だって言う。お帰しします。必ず天門にお連れします。
そのたびに面倒に巻き込む。王様や王妃様やみんなを巻き込んで。

誰よりも一番巻き込みたくないあなたを巻き込んで、迷惑をかけて。
投獄されて追放されて、慶昌君媽媽の時みたいに心も体も傷つけて。
そして1人きり、私に隠れた夜の中でああして皇宮を眺めさせるの?

もう繰り返しちゃダメなのに。あなたは将軍になる人なのに。
私は約束通り、このまま素直に黙って天門から帰れば良いのに。

 

*****

 

兵の流れの止まった通りの奥、募兵の目印旗と居並ぶ民。
予想通りの光景に、募兵の列に並ぶ男らの最後尾に声をかける。
「募平ですか」

振り返った男らは、それぞれに気の良い笑みを浮かべて頷いた。
「そうさ。あんたも出遅れるなよ。平民に格上げされた奴婢がこぞって願い出てるからな」
「衣に飯に、剣までくれる。またとない機会だよ」
「もう奴婢じゃなくて兵士だぞ、国を守るんだ」

嬉し気な男達を其処に、募兵の書状を書きつける卓脇に立つ一人の兵へ歩み寄る。
考えたくはない。
しかしこの募兵が武器や飯や身分を餌に、市井の民を捨て駒として釣っているなら。

「国境地帯で何か」
兵は近寄った俺の問いに鼻で哂うと、正しい答えを返しもせず
「ああ、募兵に参加するなら並べ」
とだけ、面倒臭げに言い放った。

どういう事だ。
此処に並ぶ者たちは戦況も教えられず、何処で何の任務に就くかも知らされず、ただ列を成し死に行く為に名を連ねるだけとでも言うか。
「・・・上官は何処だ」
「何だと」
「何処だ!」
「この野郎、何様のつもりだ!」
堪え切れず俺が声を荒げると、少し離れて屯していた他の兵がわらわらと此方へ駆け寄って来る。
何様が聞いて呆れる。お前こそ何様のつもりだ。

上官は何処だ。こんな腐った募兵をかけるのを許す上官は。
こんな手抜きの募兵の所為で有能な奴らが士気を失えば如何する。
泣く民が増え恨が積もり、それが王様の国を揺るがせば如何する。

鍛錬不足で死んだ兵と、その帰りを待った者に土下座をするか。
民の恨の積もった責を負い、その命を持って償う事が出来るか。

駆け寄った兵達に兵に周りを取り囲まれて、瞬時考える。
名を明かすか。身分を明かし上官を締め上げ、手裏房経由でチュンソクに繋ぎを取り、王様へご報告するか。
それが許されるのか。そんな事に時間を割けるのか。
それこそが自らの手で捨てざるを得なかった物なのに。

息を吐き周囲の兵の面を確かめた視界の隅、動く影に視線が止まる。
平服だ。兵ではない。しかしその手には確かに長物を握っている。

そうだ。誰よりも護らねばならぬ、決して諦められず捨てられぬ方。
無言でその兵の輪を抜け、先刻あの方と別れた薬房への裏道を戻る。

歩き始めてすぐに、別からの視線に足を止める。
それを辿れば細い木の下先刻の男と同じよう平服を纏い、それぞれ矢筒を背負う三人の男達。
山で獣を追って暮らす猟師にしては、その面構えと纏う気は悪すぎる。

両界の州鎮軍の関所の膝元、兵で溢れ返る邑。
まして昼日中の往来で、まさかこれ程までに。

男達の顔を確かめ一目散に駆け出す。

あの方と最後に別れた薬房までの最短の裏道を。

 

 

 

 

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